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「小腹満たし」という言葉が、少し怖く感じた理由。

 午前中に、何かをしながら、ややぼんやりとラジオを聴いていたら、急に強く耳に入ってくる言葉があった。

 小腹満たし。

 それは、健康に良さそうなナッツのCM中の言葉で、要するに、小腹が空いたら、〇〇ナッツ。というキャッチフレーズなのだけど、そこで、小腹満たし、というくっきりとした単語は、たぶん、造語に近いものなのだろうし、もしかしたら、すでに一般的なのかもしれないけれど、なんだか怖く感じた。

小腹が空いた

 小腹、という響きも、個人的には、大人になってから覚えたから、ちょっと粋な方向の言葉のような印象がある。幼い時は、小腹が空いた、という言葉を知らなかったから、最初は、違和感があった。

 子供だったり、青年といった年代だったりすると、小腹が空いた感覚はあまりなくて、すぐにお腹が空いていた。つまり大腹を満たすために、大量に食べることになって、それでも運動量が多いのか、新陳代謝が高いせいか、太りにくいものの、何しろ、バクバク食べていた。

 小腹が空いた、といった表現には、ちょっと余裕を感じる。

 少し空腹だけど、どうしようか?と誰かと話したりして、あれがいいか、これがおいしいかも、などと会話をしているうちに、その空腹自体から、少し気持ちが逸れて、じゃあ、もう少し待ってから、ちゃんと食事をしようか、といった流れになることさえある。

 もしくは、昨日の何かの残り物だったり、ちょっとしたお菓子のようなものが、冷蔵庫に残っていたりして、それを取り出して、お茶でも入れて、食べる、といった光景が浮かぶ。

 こんなふうに書いていると、大人というよりは年寄りな感じだけど、どちらにしても、小腹、というのは、あいまいな表現でもあって、なんとなく時間をゆっくりさせるための言葉、のような印象まであった。

「小腹満たし」という単語

 小腹が空いた、という微妙な欲望への応答として、小腹満たし、という単語ができたとすると、それは、とても直接的で、時短なものになってしまうように感じた。

 小腹が空いた、というあいまいな時間を認めないようなニュアンスもある、「小腹満たし」という言葉が定着すれば、そこには、具体的な「商品」の姿が浮かびやすくなる気がする。

 だから「小腹満たし」という言葉自体が、消費生活の促進と結びついたマーケティングの用語のように感じ、人の欲望枠取りをして、特定し素早く対応できる商品を提供するための存在に思えたから、ラジオのCMから流れてきた「小腹満たし」が、とても強引なものに感じて、怖く感じたのだと思う。

 小腹満たしに「○○○○」。

 その「○○○○」には、具体的な食品名しか入らないし、そして、その言葉を繰り返されたら、もしかしたら、今度、「小腹が空いた」と思ったときに、反射的に「○○○○」が浮かんでしまい、それは、どこか気持ちの方向を強制されているような気持ちになるかもしれないが、そのうちにもっと広く使われるようになると、それすらも感じなくなり、「今、小腹満たしには、これ」というような発想になってしまうかもしれない。

 それは、コントロールされる怖さにつながる可能性もある。

 

 小腹が減った、という少しゆったりした感じや、少しの余裕がある気配が、小腹満たし、という言葉によって、丸ごと削られてしまうと感じたのだけど、それは、本当に個人的な感覚に過ぎないのかもしれない、とは、思う。




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