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読書感想 『百年の女 「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』 「男性の変わらなさの歴史(でもある)」

 雑誌には、その時の「今」がある。

 後で見たり、読んだりすると、何が書かれているか分からないほど、もしくは、その時の新しさが、とても古くなって、自分が「いい」と思ったことまで、なんだか少し汚れてしまうような気持ちになったりする。

 ただ、それは、10年の単位の話であって、「100年」になると、完全に歴史になって、見え方が違うと思うのだけど、そんなに続いた雑誌はほとんどない。

 だから、「婦人公論」が「100年」を迎え、それを振り返る企画があるのを知って、すごく頭がいい発想だと思った。そして、酒井順子氏であれば、冷静で、適度な距離感を持てるとも感じた。


『百年の女 「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』 酒井順子


「中央公論」のような雑誌だと、「公」の思想に近いイメージがあって、そこではプライベートな姿は、意外と出にくいと思われるのだけど、この「婦人公論」には、女性だけでなく、男性の気持ちの歴史も、想像以上に刻まれているように思う。

 創刊は、1916年。大正時代。初代編集長は、嶋中雄作。

 『中央公論社の八十年』によれば、家庭における嶋中雄作は、一回り下の妻に対して暴君のように振る舞っていたとのこと。家庭では男尊女卑、しかし『婦人公論』では男女同権を唱える矛盾を妻が指摘すると、「理論と実際とはちがうよ」と、笑ったのだそうです。

 その最初から、男性の矛盾まで、形になっているようなものであるけれど、それも含めて貴重な「歴史」になっていると、改めて思う。

 特に男性文化人などは、女性向けの雑誌ということで軽い気持ちで臨んでいる様子が見受けられることもままありました。
 だからこそそこには、彼らの本音が無防備にさらされています。

戦前の印象

 とても大雑把な印象だけど、創刊初期の大正時代から昭和の初期にかけては、まだ「自由」な気配があるものの、関東大震災の時も含めて、「人の命」への扱いが、それほど重くないから、それが時代の感覚なのだとも思う。

 大正十二年(一九二三)の有島武郎情死事件以降、日本ではずっと「自殺ブーム」が続いている状態ではありました。

 そして、戦中は当然のように「戦意高揚」の色合いが濃くなっている。

 開戦後の『婦人公論』では、何かにつけて「個人の生の目的は、国家のそれに従属しなければならない」などと、全体主義が説かれています。 

戦後の変化

 戦後は、歴史的な事実として、初めて女性に参政権が与えられた。

 百年の歴史を振り返って実感するのは、「女が丁寧に扱われるようになった」ということです。(中略)女も人間として見られるようになったのはようやく戦後のことであるという事実は、今の若い女性達にも是非、知っておいてもらいたいところです。

 今でいえば、ウソのようなことでもあるのだけど、戦後も80年近くなると、戦前のことは遠くなってしまうが、この歴史の進み方の遅さを知ると、戦後の変化のゆっくりさとも繋がっているような気がしてくる。

 女性は何か意見を表明する時、大真面目にならざるを得ない。対して男性は「女が何かキーキー言ってるな……」という態度。この図式は、伊藤整とその周辺のみならず、あらゆる面で見ることができました。 (昭和29年)

 この構図は、2020年代になっても、場所によっては、健在でもある。そして、これはとても、たちの悪い態度だとも思う。

感覚の変わらなさ

 その後も、昭和50年代(1970年代から、1980年代)の意識は、今から見ると、とても古いのだけれど、この時代に「若者」だった世代が、現在の「若者」の「親世代」だと考えると、今も、この頃のまま、変わっていない人は想像以上に多いのではないか、と思う。

 今では当たり前に使用している「専業主婦」は、この頃までは「ヘンな言葉」だったようなのです。それというのも、従来は「主婦」といえば専業が当たり前で、わざわざ「専業」とつける必要がなかったのでしょう。(昭和56年8月号)

 さらに、40年前とはいえ、ここまでの感覚が共有されているのは、少し驚くものの、ただ、「女性蔑視発言」をナチュラルにしている21世紀の高齢者の意識は、ここから↓更新されていないのではないか、とも感じる。

 とはいえ、男性がガラリと変わるわけではありません。たとえば昭和五十五年十月号には、作家の吉行淳之介と宮尾登美子による「女と男のほどよい関係」という対談が掲載されていますが、そこで吉行は、女性というのは誰しも、男性から殴られるなどひどい目に遭わせれると「とてもいい気持」になるものだ、と語っています。対して宮尾も「それはあると思います。女はみんな」と答えているのに驚かされるわけですが、さらには「いまの弱い男性に、私は絶望感みたいなものを持ってます」とも。

 だからなのか、今では「常識」になった「セクシャル・ハラスメント」への動きも鈍い。

 昭和五十四年の十二月号には「職場での性的いやがらせ」という」記事が。
(中略)
 日本ではじめてのセクハラ訴訟が起こされ、「セクシャル・ハラスメント」が流行語として選ばれたのは、平成元年(一九八九)のこと。セクハラの顕在化には、もう少し年を待たなければなりません。  

価値観の変わらなさ

 私自身も、昭和生まれの男性であるから、自分でも知らないうちに、こうした「女性蔑視」の思想と無縁ではないと思う。そこから時代がたち、自分でも、意識の更新を心掛けてきた部分もあるし、家族の介護を続ける中で、いろいろと考えることも多かった。

 それでも、まだ分かっていないことも多いと思うから、私自身が何か偉そうなことも言えないが、21世紀の高齢者の発言に、今の若い世代の人が、強い違和感があり、理解ができない、という思いが起こった時に、この「百年の女」を読んで、その人が20代の頃の「感覚」を確かめると、少なくとも「理解」がしやすくなると思う。それによって、そこからの対話や、対応の参考にもなると、考えられる。

 全世代の女性にお勧めできると思いますが、さらには、これからの時代に、社会の中で、健全な人間関係を築きながら生きていきたい男性にも、お勧めできると思います。社会的に力がある人ほど、必読書だとも思います。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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