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「柿の葉の色」について

 毎年、秋くらいになると、家の玄関の前に古い机が置いてあるのだけど、その上に柿の葉が並ぶ。紅葉だけど単色ではなく、一枚の葉にいろいろな色が混じっている。庭にある柿の木から散ってくる葉っぱの中で、妻が気に入った柿の葉を選んで、それを並べてある。

 この習慣がいつから続いているのか忘れてしまったのだけど、もうずいぶんと長い間、毎年のように並べてあって、その柿の葉の色を見ているせいか、自分でも、少しきれいに思えてきて、時々、まだ拾われていない紅葉した柿の葉を持って、妻に、これは?と聞いて、これは可愛い、などと言われる時と、微妙に違っていて、うーんという感じになる時がある。
 まだ、机に並べる基準については、私は、わかっていないというか、微妙で、とても難しいけれど、選ばれたのは、見ていると、なんとなく「いいもの」に思えてくる。


 この見出し写真の柿の葉も、妻に呼ばれて、撮った一枚なのだけど、妻に聞いたら、これは、今年の秋の「はじめの一枚」みたいな存在らしい。

 柿の葉の紅葉は、全部赤くなるわけではなく、緑や黄色やだいだいや赤が混じる。
 その混じり具合やグラデーションによって、いろいろなきれいさが出てきて、それが、すごくいい、という話を妻に聞いた。

 いろいろなパターンがあって、そして、この「はじめの一枚」も、たとえば、少し調べてみると、円星落葉病という一種の葉っぱの病気かもしれないが、それよりも、妻にとっての問題は、その丸い部分の大きさや場所やバランスのようだった。
 そして、この「はじめの一枚」は、よかったらしい。

窯変天目茶碗

 そんなに詳しく知っているわけではないけれど、器の世界で、窯変天目というものがあるのは、微妙に知っている。それは、器を焼いた時に、泡のような模様が出てしまって、本来ならば失敗のはずだったのを、誰かが(よく知らないので、すみませんが、千利休と言っておけば半分は当たる気がする)それを美しいもの、として「見立て」て、それ以降は、偶然性も含めて希少だったはずなので、価値があがって、今は国宝にもなっているらしい。(どうやら、この場合は、曜変天目というのが、正しいらしいです)。

 それでも、やはり、窯変天目は、最初は失敗だったはずだ。
 でも、そこに美しさを見たのは、それが意図を超えたもの、という言い方が感傷的すぎるのであれば、意識して作られたものではない、というところに美を感じていたはずだと思う。

 それに対して、ある種の権威が語ったから、価値が保証されたり、人が追随したりはしたと思うが、それでも、その計算されてない美の価値が、そのことで、共有されたのは間違いないと思う。

柿の葉の紅葉

 柿の葉について、改めて妻に聞いたら、明らかに熱量もあがり、毎日ちょっと楽しみだし、色の鮮やかさやいろいろなバリエーションを葉っぱが見せてくれる、と強調し、そのあとに、部屋から出て、どこかに行ったと思ったら、手に何枚かの紙を持ってきて、見せてくれた。

 A3の紙いっぱいに広がっていたのは、柿の葉だった。そういえばこの季節になると、コンビニに行って、この「柿の葉紙」を作っていた。でも、どこかに仕舞っているはずだから、こんなにすぐに出てくるとは思わなかった。1枚あたり、柿の葉は、たぶん10数枚写っている。

 改めて見せてもらうと、本当にいろいろな色がある。赤と黄色と緑とだいだいと。その組み合わせも考えたら、本当に無限だろうし、そして、それの色も組み合わせも、偶然で、計算されていない美、ということだと思う。

 いろいろな色がある葉っぱだけでなく、ちっちゃい葉っぱが真っ赤に近くなっているのは可愛いし、2枚の葉っぱが重なっていてるように一枚に大きいV字型になっているような葉っぱは珍しいし、とも教えてくれた。

 その紙は何枚かあり、それは去年だったり、一昨年のものだったりして、あとは切り取られたものがあったら、それは、その「柿の葉の紅葉のコピー」を切り取って、誰かに贈り物をする時に使ったりしたらしい。

 もう少し前、義母が生きている時は、毎年のように庭の柿の実をとって、その皮をとって、干し柿を作っていた。それを、北海道に住む妻の友人に送る時は、その柿の葉の紅葉をコピーした紙で包装していたのは覚えている。

 柿の葉は、思ったよりも大きく、秋になってくると、ガサっとした感じの音を立てて、たとえば、紅葉やイチョウのように、ひらひらしたり、くるくるしたりする情緒もなく落ちてくる。だけど、妻が机に並べるようになってから、柿の葉の紅葉のバリエーションは、本当に多く、独特の美しさがあることは、少しわかってきたように思う。

柿の葉寿司

 そんなことを思って、今回、検索をしてみたら、さっきも書いたように葉っぱの病気のことも知ったし、あとは、思った以上に多くの人が、柿の葉の紅葉に注目し、その写真をアップしているのも、分かった。

 そして、もちろん、そのごく一部しか見てないのだけど、その人が、どの葉っぱを選んでいるのかが違っているのは分かる。この人は柿の葉の紅葉という現象に注目しているから、その葉っぱの色の変わり方が分かるようなものを選んでいるんだ。と思ったり、妻と同様にその人なりの美しさを発見しているように思えるものもあったりするが、やはり、その人の好みみたいなものが反映しているので、よく見ると、その選択の基準がそれぞれ違っているようだった。

 そして、そういえば、柿の葉寿司があった、などと思っていたら、やはり、「紅葉柿の葉寿司」という商品もあった。それは、柿の葉の紅葉がバリエーションがあることを生かした寿司で、三十の寿司がいろいろな色として並んでいる写真は確かにきれいだった。そして、このくらいの数がないと、その色の豊かさは分かりにくいから、ビジネスとして、様々な要素を、考えて抜いていることも伝わってくる。


 秋はまだこれから深まるので、庭の柿の葉は、まだ地面に落ちてくるだろうし、その中には、今まで見たこともないようなきれいな「ベストな一枚」を妻が選んで、机に並べてくれるかもしれないから、そう思うと、ちょっと楽しみは増えている。



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「いちばん柿」が、食べられてしまっていた話。

「思い出に関する、いろいろなこと」

いろいろなことを、考えてみました。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月 (有料マガジンです)。

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