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「ラジオの記憶」㊳「ビジネス仲良し」という言葉------Tokyofm 「Drive Discovery PRESS」

 ラジオを聴いていて、ビジネス仲良し、という単語が聞こえてきた。

 どんな表現にも、「ビジネス」という言葉をつけて、それが、心からのことではなく、仕事上に有利だから、という判断で行っていることではないか、と疑いの眼差しを向けられることが多くなった気がする。

 もちろん、それは本気が半分くらいで、「ビジネス〇〇」は、言葉の遊びでもあるのだろうけれど、「ビジネス仲良し」まで来たとしたら、もうあとは、どんなことでも「ビジネス」になってしまうのかもしれない、と思った。


ホラン千秋

 このラジオ番組は、ホラン千秋がパーソナリティを務めていて、そのときは、テレビ番組などでも共演している出川哲郎と仲良しに見えるけれど、あれは本当はそれほど仲が良くないでもビジネス上のプラス----おそらくは好感度が上がるのではないか、といった計算をもとに、実際よりも仲がいいように振る舞っているのではないか。

 そんな思惑を「ビジネス仲良し」と表現されていて、そのことを、ホラン千秋が否定する、という流れになっていた。

 ホラン千秋という人を、もちろん直接知っているわけでもないし、それほど詳しくもないのだけど、そんなにウソをつくようにも思えないし、さらには、若者が使っている言葉をいち早く取り上げるようなタイプにも感じなかった。それに、この「ビジネス仲良し」という言葉の使い方がごく自然だったので、完全に定着しているのだと思った。

 自分にとっては、情報への弱さもあって、新鮮な言葉でもあったし、こうした表現がいつから使われるようになったのか、ということを正確に調べるとすると難しくなるけれど、少なくとも2019年には広く使われていたようだった。

ビジネス仲良し

 -----来年のツアーも決まり、2020年も活躍が期待されるゴールデンボンバーですが、今年ひとつ気になったことがあったんです。9月の『氣志團万博』の煽りVTR(出演前の紹介映像)で、ゴールデンボンバーは「ビジネス仲良し」と紹介されていたじゃないですか。

(「Real  Sound」より)

 このインタビューは、2019年に行われていて、「ビジネス仲良し」は、このバンドの関係性を表すキーワードの一つとして使われているようだから、広くは使われているけれど、どんな時にも頻繁に使われているような表現ではない、ということのようだ。

鬼龍院:まず、一番ダメなのは「嘘くさい」ケースだと思うんです。実際そんなに仲良くないのに「いいですよ〜」と振る舞っていても、どこかにほころびが生まれる。近年の視聴者側は、どうしても「疑いたくなる」から、“仲良し”に徹する意味はないと思っていて。会ったら元気にやるけど、普段は別々で、“仲良し”を演じているわけではない。「ビジネス仲良し」、いいキャッチコピーをつけてくれましたね。

(「Real  Sound」より)

 人からの見られ方に、とても敏感であるように見え、だからこそ、ゴールデンボンバーとしても長く活躍できているように思える鬼龍院翔が、こんなように語っているから、やはり視聴者側が「疑いたくなる」のは現代の特徴なのかもしれない。

「ビジネス仲良し」で検索すると、仲の良いあのコンビ、あるいはグループは、本当は「ビジネス仲良し?」といった見出しが並ぶ。

 どんな関係性も疑われる時代になった、と思う。

松田聖子

 テレビに出ている人たちが疑われるのは、初期のとても素朴な時代を除いて、常にあったことだと記憶している。

 今よりも、レコード大賞といった賞レースが信じられていた時代でも、自分が「推して」いる歌手が賞を逃した場合には、実際に受賞した人物と比べて、「事務所が弱いから、本当だったらとっていた」などと語る中学生がいたりもした。

 それは、まだSNSもない時代だから、雑誌などの情報をもとにしていたのだろうけれど、「疑う」ことは習慣のようなものだとも思う。

 記憶をたどると、最初に、そうしたテレビに出るような人への「疑い」を広く現実化したのは、松田聖子だったのかもしれない。

 松田聖子は歌唱力は評価されていたのだけど、その容姿に関しては、「ぶりっこ」などと言われ、今で言えば「アンチ」も多かった存在なので、その一挙手一投足が注目されるほどすごいアイドルでもあったのだろう。

 ただ、テレビなどでの歌唱は、今見ても、「自分が可愛く見える表情や角度」にすごく敏感で、やや怖い言葉だけれど「表情管理」は完璧だったし、プロフェッショナルだと思う。

 その一方で、「疑われる」素材を視聴者に提供したと思われるときもあって、それは、デビューした年の新人賞を受賞し、松田聖子は涙を流したと言われたのだけど、それはウソ泣きだったのではないか、という疑惑だった。

 今だったら、その瞬間を何度も再生し、検討されるとは思うけれど、当時は、まだビデオ録画もそれほど普及していない頃だと記憶しているから、その真偽がどう決着したのかは覚えていない。それよりも、その後の松田聖子は、古い表現で言えば「ビッグ」な存在になっていったのだから、そうした些細なことは語られなくなったのだと思う。

 その一方で、こんなふうに分析する人もいた。

 松田聖子は、その当時はいくつもある新人賞を全て受賞した。最初のときは、本当に嬉しくて泣いていたのだけど、それから、何度も同じような場面に遭遇したら、すでに驚きも嬉しさも減っているから、素直に泣くのは難しい。だけど、賞によって、泣いたり泣かなかったりするのは、そのスポンサーに失礼になるかもしれない。だから、本当に泣けないとしても、少なくとも泣いているように振る舞ったんだ。

 その真偽は検討されなかったけれど、ちょっと信じそうになった。

疑うこと

 もともと人類自体が疑り深いのか、もしくは日本に住んでいる人たちの特性なのか。それを考えるには材料も能力もないけれど、現在の日本の視聴者にとっては、特に表に出ている肯定的な現象に関しては、まずは「疑う」方が多数派になっている印象はある。

 それは、あまりにも生きている間にだまされてきた、という記憶があるせいなのか。もしくは、マーケティングの技術が高くなったことで、気がついたらビジネスに巻き込まれていて、それに対する警戒心が強くなってきた、ということかもしれない。

 それでも、たとえば仲が良さそうに見える人たちに対して「ビジネス仲良しではないか?」と疑いの視線を向ける、ということは、最初の印象は、仲良しに見えた、ということだろう。

 そのことについて、一瞬でも、自分の気持ちが柔らくなったり、あたたかくなったりしたのはおそらく事実で、その一方で、疑いの気持ちが起こるのは、仲がいい、ということに対して、素朴には信じられないような自分の現実があるせいだろうか。

 だから、あまり乱暴に決めつけるのも失礼だけど、「ビジネス仲良し」といった言葉が飛び交う社会は、もちろん、自分にも無縁ではないけれど、生きるのには厳しいから、どうしても警戒心が強くなり、その表れとして、いろいろなことを「疑う」のが基本になっている、ということかもしれない。

 そうだとすれば、それはちょっと悲しいことだとは、思う。


(この書籍↓には、信じることが書かれているような気がしました)。

 




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おちまこと
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