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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。映画館で見た光景。

 映画館で見るのは映画に決まっているけれど、自分だけで見ていなくて、まったく知らない人たちと一緒に見ているから、そこで思いもかけない光景を見ることがある。

 初めての地上波放送 というキャッチフレーズで、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を、テレビで放送していて、それも、後半しか見ていないのだけど、月並みだけど、本当にすごく面白くて、あれだけ激しくてヴァイオレンスにあふれているのに、最終的には、どこかさわやかで、その印象とともに、久しぶりに、映画館での光景を思い出した。

1979年 「マッドマックス」

 「マッドマックス」が最初に日本で上映されたのは、1979年だから、もう40年くらい前になる。話題になったことも覚えているし、熱心な映画ファンでなくても見た記憶があるし、それまでにないような荒々しく、スピードの中の体験だったことは、印象にあるが、何かを語れるほど詳細までを覚えていない。それでも、「マッドマックス」が世界中でヒットしたので、続編の2と3も制作されたが、続編によくあることなのかもしれないけれど、最初の生々しさみたいなものは、生意気だけど、そんなに感じなくなっていた。

 日本の漫画「北斗の拳」もマッドマックスの世界観の影響が強く見られるように思えるし、荒廃した世界に、未来の暴走族のような集団が現れる、といったイメージは、あらゆる場所で見るようになった、と思う。

 「マッドマックス」の3作目が作られたのが、1985年。それから、「マッドマックス」の続編は作られないまま年月はたった。

2015年 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

 新作が作られると聞いたのは、2010年代だから、3作目から、25年以上がたっていた。

 最初に聞いた時は、「マッドマックス」の構想をもとに、誰か別の監督が撮るのではないか、と思っていた。それは、その時に「マッドマックス」シリーズの監督のジョージ・ミラーは、たしかけっこうな高齢になっていたはずで、もっと違う作品なら、年齢が武器になると分かるのだけど、「マッド」マックスを撮るには、どこか若さが必要ではないか、と勝手に思っていたせいもある。

 「マッドマックス」の新しい作品が撮影される頃、1945年生まれのジョージ・ミラーは、70歳に近いはずだった。もちろん、年をとったからといって出来なくなることばかりを考えても仕方がないけれど、でも、あの「マッドマックス」は無理ではないか、と2015年に日本での上映も始まり、映画館に向かって、イスに座っても、本編が始まるまでは、ちょっと疑っていた。

 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、すごかった。

 その内容への感想、分析などは、この5年間にあらゆる角度からされているので、今から何かを言うのは、無理だとは思うけれど、何しろ、見てよかった。そして、登場人物では、女性が魅力的で、きれいで、かっこよくて、「マックス」は、彼女たちの護衛みたいに見えるような感じもあったのだけど、30年以上前のような生々しさや、荒々しさが、ちゃんと現代にも通るようにしながら、息づいていた。さらには、体験のような映画だから、大画面で大音量で、そして、他の大勢の人と一緒に見られてよかったとも思った。

 ジョージ・ミラーは例外的なのかもしれないけれど、約70歳が、この映画を撮ったのは、中年になり、これから老いていく自分にとっても、すごく励みになることだった。

映画終了後の光景

 神奈川県川崎の映画館で、「マッドマックス  怒りのデス・ロード」を、緊迫感や高揚感とともに見た。そして、映画が終わった。満足感が残った。エンドロールが終わるまでに、立ち上がり、去っていく観客もいるが、全部を見ていく観客も少なくない。その時間が過ぎ、映画は完全に終わって、場内が明るくなる。

 私は、前後でいえば、ちょうど真ん中くらいの位置。そして、頻尿なので、一番すみに座る習慣がついていたのだけど、今回は、ずっとトイレに行くこともなく、観ることができた。この映画は、ほんの少しでも離れてはいけない、という気持ちにもなっていたせいもある。

 あちこちで、バラバラと、それぞれのタイミングで観客は立ち上がり、荷物を持って、映画館をあとにしていく。その中で、かなり前方の集団が目についた。

 映画館は、平日はかなり年齢層が高くなっている印象だが、この日は、若い人が多かった。その中で、その集団は、明らかに私よりも年上の人たちで、この映画を撮ったジョージ・ミラーの年齢に限りなく、近く見えた。

 5〜6人の、その白髪の目立つ男性たちは、少し遠いところからだけど、柔らかい笑顔で、立ち上がっていて、何かを話しながら、ゆっくりと映画館から出て行ったように見えた。

 確かめたわけではないけれど、あの男性たちは、最初の、1979年「マッドマックス」も映画館で見たのではないか、と思った。ここからは、本当に都合のいい妄想に過ぎないのだけど、その時に、おそらくは20代くらいの若者で、「マッドマックス」を見たら、いろいろな意味で影響を受けて、そして、それから36年がたった。

 彼らも、当たり前だけど、年をとり、いろいろなことがあり、それでも、あの「マッドマックス」の新作をやるらしい。それも、最初の「マッドマックス」の監督が、70近くで撮るらしい。じゃあ、一緒に観に行かないか。そんな言葉が、電話かメールかラインかで、とびかって、そして、この日を迎えて、一緒に映画館に集まったのではないか。

 そんなことを勝手に思ってしまうような集団だったし、会話のかわしかたの気配や、距離感も、遠くから見ただけで、勝手な決めつけだけど、なんとなく関係性に歴史を感じたし、なにより、うれしそうな表情を見て、こちらも少しあたたかい気持ちになって、もし、そういう36年ぶりの「マッドマックス 」だったら、いいな、みたいな妄想までふくらんでいったのだと思う。

 映画では、続編や久しぶりの新作で、がっかりすることもあるから、歳もとって警戒心も強くなりがちな自分にとっても、そして、見たばかり、という有利さはあるにしても、それでも、「マッドマックス 」の中で、この新作が一番好きなのかもしれない、と思えるのは、たぶん幸福なことだった。

 その時の気持ちと、あの男性たちの集団の光景を、今も覚えていることを、テレビで、映画「マッドマックス  怒りのデス・ロード」を見た時に、思い出せた。さらには、映画館の時は、大画面と大音量で、自分もずっとウォー・リグに乗っていた気持ちだったから、いろいろな場面を細かく覚えていないことにも、テレビ放映で気がついた。


(参考資料)



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