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「こたつ記事」について、「こたつ」に入りながら考える。

「コタツ記事」という言葉が、皮肉というか、揶揄というか、あまりポジティブではないニュアンスと共に使われるようになったのは、いつ頃からなのだろう。

「こたつ記事」のはじまり

 造語で広く使われるようになった言葉で、これだけはっきりと始まりが分かっている言葉も珍しいのではないだろうか。それは、2010年のことらしい。この記事の筆者・本田雅一氏が作った言葉だった。

すごく懐かしい話だ。確かにこたつ記事という言葉はちょうど10年前に筆者が造語したもので間違いない。
こたつ記事というのは、ブログや海外記事、掲示板、他人が書いた記事などを“総合評論”し、こたつの上だけで完結できる記事の事を個人的にそう呼んでます。自分たちでこたつ記事が優れていると宣言している方もいれば、言ってない方も。柔らかな言い方をすると“文献派”の方々。
いわば文献を集めて論理を組み立てる人たちの手法をインターネットの時代に適合させたのがこたつ記事で、個人的には「こたつ記事=質が悪い」とは考えていない。ネットのない時代から直接の取材なしで書かれる記事は多く存在し、中には質の高いものもあった。

「こたつ記事」の見られ方 

 確かに、インターネットの時代の前から、文献を集めて、そして本を書いている人は、少なくなかった。ただ、その頃は、資料と称して、本を集めること自体は、どこか敬意を込めて語られていたような気がする。

 そして、本田雅一氏が指摘しているように、その方法であっても、優れた記事はもちろん存在していると思うが、ただ、この「こたつ記事」が、微妙に軽く見られるのは、全てインターネット上で完結する、というような手軽さのような、「苦労の足りなさ」みたいな見られ方が、背景にあるように思う。

 やっぱり、汗水たらして、という行為がある方が、もしかしたら、まだありがたさと説得力がある、ということだとも思うが、同時に、「こたつ記事」で、とても優れている記事について、自分の無知のせいもあって、具体的にすぐに思い浮かばない、ということもある。

 さらにいえば、書き手の経験という、オリジナルな一次資料や、書き手の独特の視点というものを完全に抜いた記事も、実は少ないように思う。だから「純こたつ記事」と言えるような文章も、その質は別として、本当はかなり少ないのではないか、という気もしてくる。


(ウィキペディアにも、この始まりは、同じように書かれている)。

こたつの時代

 日本電機工業会の「1990~2018家電生産推移」によると、電気こたつの生産台数は1990年の178万2065台から、ほぼ右肩下がりで減少。同統計では2003年の24万7735台を最後に、それ以降の数値は公表されていない。

 電気こたつの前の時代は、堀コタツで練炭を熱源にしていたから、それは、電気が出てきたら姿を消すのは必然かもしれないが、その後の、電気こたつも、この記事にあるように急速に減ってきている。

 1990年から、10年少しで、大雑把にいえば、生産台数が7分の1になっているから、「こたつ記事」という言葉が誕生した頃は、さらに年数がたっているので、こたつ自体は、もっと減っているはずだ。

 だから、推測に過ぎないけれど、「コタツ記事」という言葉が作られた頃は、本当にこたつに入って、記事を作成している人は、思った以上に少ない可能性がある。

 誰かが言っていたのだけど、人は少し昔のものに対して、強く興味を抱きやすい、といったことがありそうなので、こたつが、実際にはあまり目にすることがなくなり、過去の郷愁のようなものを感じさせるものになった頃に、「こたつ記事」という言葉が生まれたから、より定着してきた可能性はある。

 無意味な仮定かもしれないが、こたつが当たり前に、どの家庭にもある時代だったら、違う展開になっていたのかもしれない。

「こたつ記事」が増えた背景

「こたつ記事」という造語作成だけでなく、そう言われるような記事が増えていった背景については、前出の本田雅一氏が、指摘と分析をしている。それは、納得のいく内容だった。

 こたつ記事は粗製濫造しやすいことも批判の対象になっている。冒頭の新聞記事にあった例では、ネットの流行や人気タレントに注目し、あおり気味のタイトル(釣りタイトルと呼ばれる)をつければお手軽にページビューをかせげる。やっていることは、かつて問題になったバイラルサイト(SEOによる流入を利用して話題性のある記事でトラフィックを集めることを目的としたメディア)と同じだ。
 こたつ記事はそこから生まれる価値は低いものの、生み出すコストが安いため、悪貨が良貨を駆逐する状態を引き起こす。そうした状況を生み出す土壌が今のインターネットにはある。

 さらに、「こたつ記事」が注目を集めたのは、コロナ禍の影響もある。

 コロナ禍もこたつ記事を増やす大きな要因になった。対面取材は大幅に制限され、多数の記者が参加するオンライン会見では突っ込んだ質問がしにくい。取材はできても表面的な内容になりがちで、苦々しく見ていたこたつ記事と大差ない記事になりかねない。新型コロナウイルス感染症の終息までこの状況は続くのだろう。(本田雅一)

「こたつ記事」という言葉が呼び起こすもの

 2010年に、「こたつ記事」という名前が誕生した頃には、すでにこたつの存在は、影が薄いものになっていた。そして、この「こたつ記事」という造語を作った本田氏は、ITジャーナリスト、という先端の仕事であるのだから、その頃に、こたつを使用していた確率は低そうだ。

 それに、これは個人的な感覚だけど、2020年代は、実際にこたつを使っているかは別として、「あたたかいもの」の象徴として、「コタツ」という言葉が使われるようになってきているので、流れが微妙に変わっているのかもしれないが、少なくとも2010年代は、こたつは古臭い上に、貧乏臭いものとして見られていたような印象がある。(だからこそ、逆に、そこに価値を見出すこともできるかもしれない)。

 もしかしたら、「子ども部屋おじさん」という表現との親和性も高い気もする。

 

 そういうことも含めて、「こたつ記事」という短い言葉には、おそらくは、造語を作った本人の意図以上に、いろいろな感情を引き起こすものとなり、さらにコロナ禍のために、再注目をされる、という偶然の運命のようなものも作用している。

 今になってみれば、「こたつ記事」という言葉から完全に逃れられるような文章は、特にインターネット上には、実はかなり少ないのではないか、と思えるから、とても絶妙なネーミングだと改めて思う。

(ところで、こたつ、というひらがな表記と、コタツ、というカタカナ表記の違いは、カタカナの方が、象徴としてのコタツ、という感じがする)。


 この文章も、2人が入ればいっぱいになるような小さなこたつに入って、こうして書いている。

 寒がりなので、まだしばらくはコタツを使う日々が続きそうだ。

 だから、この文章は、本当の意味でも、「こたつ記事」なのだけど、同じようにこたつに入って、「こたつ記事」を書いている人は、今は、どのくらいいるのだろうか。




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