「柿の実」をとる「季節」
見上げると、柿の実の色が日に日に変わっていくのを感じる。
春先に枝を結構切ったはずなのに、それが、どこを切ったか分からないくらいに伸びていて、だけど、下側の枝を切ったので、今年は、柿の木の上部を中心に実がなっているから、本当に鳥のためにあるようで、毎日のように鳥が来るようになった。
どうやって、鳥たちは、柿の実が色が変わり、この柿は渋柿なのに、食べられるようになったのが分かるのだろう、と毎年のように、ちょっと不思議な気持ちにもなる。
柿の葉について
柿の葉の紅葉の色は、本当にバリエーションがあって、庭に落ちてきているのを、妻が選んで拾って、並べてくれている(リンクあり)。その日によって、枚数も違うし、色味も違う。そして、時々、これは?とわたしも拾って渡すと、5割くらいしか「合格」が出ない。
そして、時には、その柿の葉を拾って、集めて、近くのイチョウ並木の根本のスペースに作った「雑草の庭」(リンクあり)の土に、その柿の葉をさして、並べたりしている。
さらには、柿の葉を拾って、四角く切って、それでツルを折ってくれて、見せてくれたりもした。
柿の実について
今年は、柿がなっているけれど、上にしかなくて、それは2階の屋根くらいの場所だから、とりにくく、ちょっとあきらめていたりもした。だけど、下から見上げると、柿の実は日々、だいだい色を深めていく。
小さい鳥が来て、カラスも来て、そのたびに枝も揺れて、鳴き声を聞く機会も多くなっていく。そのうちに全部食べられてしまうのではないか、といった気持ちにもなるけれど、何しろ、この柿は、どう頑張っても渋柿だし、とってから、むいて、ぶら下げて、干し柿にしないと食べられない。
2年前に103歳で亡くなった義母が生きている頃は、干し柿も好きだったので、柿をとって、枝を整理して、妻だけでなく、義母も一緒に皮をむいて、ひもをつけて、軒先にぶらさげる。わたしは柿の実をとるだけの担当だけど、なんとなくおっくうにもなる。
それでも、義母も喜んでくれたし、ご近所に配るとお礼を言われたり、柿がないといわれる北海道の妻の友人に送ると、やっぱりかなりうれしい、というような手紙もくるので、それで、毎年のように、そんなに切れなくなった高枝切り鋏を使って、柿の実をとっていた。柿の枝を切ろうとする時には、枝を握った状態で、横にゆさぶって、やっととれるので、それは、ちょっとしんどいことだったりもする。
今年は、どうしようか、と思っていたのだけど、家で食べるためというよりは、ご近所に差し上げると、むいて干し柿にまでしてくれて、しかも喜んでもらってくれる、という話は聞いていた。
妻は、柿の実をとるにはタイミングがあって、と言っていて、まだ青い時は、感じなかったのだけど、少しずつだいだい色になってきた頃には、そろそろ、という空気感が出ていたので、こちらも気になっていた。
そして、急に色味が増して、なんとなく、とらないといけない、といった気持ちになった日があった。
天気がいい日だった。
柿の実をとる
高枝切り鋏は、家に2つあって、一つは明らかに古くてさびているのだけど、柿の実をとって、はさめることがある。もう一つのほうが新しくて切れ味は優れているのだけど、柿の実を切ると、はさめなくて、落ちることがほとんどになるから、落ち方によっては痛んでしまう。
ただ、今日は、妻が廊下の棚の中から、高枝切り鋏につけるための「のこぎり」を見つけてくれて、それはピカピカで期待を持たせてくれるもので、ネジを回して、新しいほうの高枝切り鋏の、先っぽにつけた。
妻は、とった柿の実を入れるためのバケツの中をふいてくれて、新聞紙を敷いてくれた。そして、わたしは、上を見上げて、高枝切り鋏を使って、柿の実をとる。太陽はまぶしい。柿の実は、そのまま落ちて、取り損なうと、つぶれてダメになったり、落ちても庭の土のところや、草木の部分に落下すると、干し柿にできるくらいの軽いダメージですむ。あとは、時々、ハサミにはさまったような状態になって、落とさず、無事とれることもある。
それにしても上だけ見て、眼を保護するゴーグルみたいなものをつけて、作業をしていると、気がついたら、せきこだんりもする。庭から、これ以上とるためには、脚立を持ってきて、その上に立って、ほぼ真上を見て、作業をしないとできないのだけど、そうやっても、もしかたら届かないかもしれない
妻の提案もあって、2階へあがり、庭に面した窓から、柿をとることにする。
窓からは、柿の実が多く見える。
今年は、本当に半分よりも上の部分に、目立って、なっている。
妻にいろいろと手伝ってもらいながら、届かないので、窓からもっと身を乗り出そうとすると、妻にあぶないと心配され、柿の実をとって、だけど、はさめないので、落ちて、波型のプラスチックの屋根にあたると、こわれると言われ、ちょっとイライラしながらも、柿の実をとりつづける。新しいのこぎりは、揺れてしまう枝を相手には、まったく切れなかった。
2階からは、これ以上は無理そうなので、また庭から上を見上げて、いくつか柿をとって、それから、電線に支障を与えそうな枝を何本か切って、それで終了になった。妻からお礼を言われた。わたしはそこまでで、なんだか疲れてしまい、申し訳ないけど、あとは妻が作業をしてくれる。柿の実の周りの枝を切って、洗って、乾かして、ご近所に持っていってくれた。
そこまでで、たぶん3時間くらい。
妻も、疲れたと思う。
とったけれど落としてしまって、ダメになった実も少なくなかったけれど、それでも、干し柿にできそうな状態で、全部で80個くらいはとれたので、まだ柿の実は残っているけど、少しは達成感もあったし、何より、今年もやらないと、という「宿題」から解放された気持ちよさはあった。
今年も、柿をとる季節が、個人的には終わった。
柿の葉は、まだ散り続けると思う。
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