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「note連続投稿」が、277日で途切れた時の気持ち

 いつものように比較的、軽い気持ちで再起動をしたら、そのままノートブック型のコンピューターは使えなくなった。その週は、珍しくリモートのミーティングが2つもあって、初めての故障のパターンだし、自分の「コンピュータースキル」を考えたら、たぶん、しばらくは使えなさそうだから、ファクシミリや手紙を書いて、急ぎ目の連絡をした。

 それから、まずはアップルのサポートに電話をしようと思ったが、携帯電話も持っていない(リンクあり)し、メモもしてなかったから、その番号さえ分からずに、妻にご近所の方にお願いして、聞いてもらった。

 それから電話で問い合わせをして、指示に従って、普段押さないようなキーボードを押すと、見たことがない画面になった。だけど、wi-fiがないとその先の作業もできないことが分かり、恥ずかしながら、家にそのシステムはないし、スターバックスに行くことも提案されたが、もし、作業が出来ても、その先のことが分かるような気がしない。その時に、noteの投稿が途切れることを覚悟した。

 コンピューターは去年買い替えて、それで、noteも始めることができたし、まだ故障もしないと油断していたけれど、でも、これで277日続けてきて、今週も続けられそうで、このまま、何年かは続けようと思っていたのに、急に終わってしまった。

 何か、とてもガッカリした。思った以上に気持ちが暗くなって、急速に、やる気そのものが失われていくのが分かった。

初めてのSNS

 2020年の3月から、それまで半年くらいグズグズして始められなかったのに、やっと初めてのSNSとして、noteを始めた。毎日、投稿してきた。コロナ禍になったから、思った以上に、毎日書くことがあって、特に大きな出来事がなくても、とにかく、書き続けた。

 投稿を続けることで、その続けていること自体に、さらに引っ張られるように書き続けて、そのうちに、コロナ禍の中での不安があったから、それで余計に書き続けられているのは分かったが、時々、何やっているのだろう?こうして書いて意味があるのだろうか?というような暗い思いに囚われそうになり、そうした無力感に完全に気持ちが覆われないためにも、たぶん、書き続けた。

 書きたいことは書いていたけれど、春になり、夏になり、秋になる頃にも、書くことだけは続けていた。この先、どうなるのか分からないし、新型コロナウイルス感染への恐怖が小さくなるわけでもなかったのだけれど、何しろ書き続けていた。

 読んでくれた人の反応もあったので、続けられたと思うが、そのうちに、書いている日々の蓄積によって、余計にその途切れること自体が怖くなっていった。自分で始めると決めて、続けてきて、まずは1年は続けようと思って、それは、200日を越えたあたりから、可能だと思えてきて、毎日、「〇〇○日、すごい」みたいな表示もあまり見なくなって、正確な数字も気にしなくなった頃に、急に途切れることになった。

 これで、何かが終わった。そんな気持ちになった。自分が決めたこともできないのだから、これから先に、何かが出来ると思っていたのは、幻想だったんだと思った。

御百度参り

 水曜日に故障して、だけど、その日の分は、すでに投稿していたから、完全に途切れたと確定するまでには、木曜日の夜中の午前12時だから、それまでには、かなりの時間があった。
 
 故障は直る時が来るし、もしも、本当に壊れてしまったとしても、今は携帯電話も持っていないから、メールなどのためにもコンピューターはないと、完全に社会から隔離される状況になるのだから、買い直すことになると思うから、そうであれば、途切れたとしても、また投稿は始められるはずだ。

 だけど、どうして、こんなに「終わった感じ」がして、暗くなってしまうのだろうか。

 水曜日の夜中は、妙に寂しかった。
 ずっと夜中の12時過ぎに投稿する習慣が続いていたから、その投稿をするまでは眠れなかったし、投稿した後もすぐに眠れるわけもなかったから、やることがあると、夜中の静かさはそれほど気にならなかった。

 2年前に、19年間の介護が終わった時に、それまでずっと夜中の担当だったから、夜がとても長く、そして、早く眠ることもできなくなっていて、何か物足りない感じが抜けるのに、1年以上かかったのだけど、その時の空虚感と似ていた。

 夜が明けて、木曜日が進んで、その時は仕事もあったし、イチョウの並木を見て、すっかり冬になったことを感じたりして、noteのことは忘れていたのだけど、帰宅して、夜になって、夜中になって、12時を過ぎて、途切れたのが確定して、なんだか、改めてがっくりした。

 いつの間にか、投稿を続けることが、祈りというか、御百度参りみたいになっていたことに、改めて気がついた。

 続けることで、何かが変わる。何かが叶う。願いさえも具体的でなく、そんなあいまいな願掛けのような思いまで乗せていたことに気がついた。

 書くことそのものが目的だったはずなのに、変な欲がついていた。
 そして、そうした願いがあったとしても、1年も続けられない自分への無力感もあった。
 いろいろと情けない気持ちにもなった。
 同時に、9ヶ月の努力が水の泡になってしまった、と思った。

復帰

 コンピューターに関するスキルや知識など、いろいろなことが至らないために、様々なデータはなくなっていながらも、なんとか復元できたのが、12日後だった。それは、現代に、あまりにも適応していないような能力の低さだと思う。

 ただ続けることが目的になってしまっていて、書くことそのものが目的だったことと、いつの間にかズレていた。

 そして、投稿していない毎日は、やはりゆっくりできた、というよりは、この9ヶ月は必要以上に追われていたことに、改めて気がついた。

 それでも、投稿しないとしても、毎日、何かしら文章は書いていて、久しぶりに長めの文を手書きで書くのも新鮮だったけれど、あまり分量は書けなかったから、こうしてnoteのシステムに引っ張られて、書いている部分もあることに気がついて、自分の力だけでは続けられなかったかもしれない、と思った。

 これからも、なるべく毎日投稿はすると思うが、出かける時に、もし何かあったら、と思って、その前日の夜中の12時過ぎに投稿することで、その不安を減らそうとしてきたが、それは、眠る前の緊張感につながり、睡眠が短くなったりと、あまり良くなかったと気がついたので、そのリズムは変えようとは思った。

 久しぶりに手書きで何かを書き続けてきた時間は、この9ヶ月と違って、かなり内省的な内容になった。ただ紙に向かってペンで書いているのは、同じ「書くこと」なのに、自分の未熟さのせいか、どこか別の場所へ、会ったことのない誰かへ、つながっている感覚は持ちにくかった。そんな時間を過ごし、1週間を超えた頃、また投稿を続ける生活に戻れるかどうか分からないような不安が大きくなった。

 介護をしている時は「終わらない緊張感」の中にいたと思っていたが、それとは違うけれど、もしかしたら少し似たような緊張感の中に「連続投稿」の時にいたのかもしれない、と思うようになり、そうした緊張感の中で書いているのは、やはりダメなのでは、と考えるようにもなった。


 それでも、これからもまた、書き続けると思う。

 この12日間も何かしら書いてきたし、何があっても、たぶん書くとは思うけれど、これからは、ちょっと違う気持ちで書けるかもしれない。

 やっと復帰ができた。

 やっぱり、少しうれしい。




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