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読書感想 『わたしたちが光の速さで進めないなら』 キム・チョヨプ 「とても遠い先の、こまやかな出来事」。

 深夜のテレビ番組を録画して見ていた。そこで、一人の作家のコメントが、印象に残った。

 それは、「人類の滅亡」という大きめのテーマについて話している時の言葉だった。

 この前、外を歩いているときに、マスクに髪の毛が一本はさまった。それを取ろうとして、マスクを外して、髪の毛をはらった。その時は、何も感じなかったのだけど、その後、ふと、そこで感染してもおかしくなかった、と思った。

 大きな出来事に対して、すごく日常的で、細やかなのに、それでも大きなこととつながっているような描写だった。
 それは、作品も読んでみたくなるような言葉だった。

 韓国の新鋭SF作家。キム・チョヨプ。あとで調べたら、1993年生まれだから、20代のはずだ。

「レンズマン」でのつまづき

 SFというジャンルは、そんなに熱心に読んだことがない。それでも、考えたら、子どもの頃に見ていた特撮モノも、スターウォーズを始めとした宇宙を舞台にした映画も、ジャンルでいえば、SFなのだと思う。

 ただ、SF小説に限れば、「レンズマン」シリーズで、その理屈についていけなくなり、自分の理解力がないせいもあるのだけど、そこでつまずいて、SF小説が縁遠くなった。

 だから、本当に久しぶりに、キム・チョヨプの表現に促されるように、SF小説を読んでみようと思えたのは、自分でも意外だった。

『わたしたちが光の速さで進めないなら』 キム・チョヨプ

 SFの短編集で、遠くの未来、または遠くの宇宙の話ばかりではあるのだけど、そこで静かに進む話は、どれも、日常の細やかさにあふれている。

 自分とは縁がない世界に思えながら、どれだけ時代が進んだとしても、その時代での理不尽さは、やはりなくならず、そのことで翻弄されたり、立ちすくみそうになったり、絶望したり、希望を求めたり、という「人間」の姿は、そんなに変わりがないように思えてくる。

 7つの作品。

 「巡礼者たちはなぜ帰らない」
 「スペクトラム」
 「共生仮説」
 「わたしたちが光の速さで進めないなら」
 「感情の物性」
 「館内喪失」
 「わたしのスペースヒーローについて」

 毎晩、眠る前に一編ずつ読む1週間だった。

真っすぐな意志

 とても遠くて、現代とはあまりにも違う世界でありながら、そこで繰り広げられていることが、登場人物にとっては、当然ながら切実で、すぐ隣町にいるように思えるせいか、その短編を読み始めたら、読み終えるまで、その人たちがどうなったのか気になって、微妙に就寝時刻が遅くなった。

 分かりやすいハッピーエンドではなく、かなり切なかったり、虚しかったりするような話も多いのに、読後は、夜中の部屋で、ふっと天井の方を見て、何かさわやかといっていい気持ちになったのは、不思議だった。

 それは、作者自身が、「日本語版への序文」に書いていることを、かなり本気で信じているせいかもしれない。

 人は誰しも、この世界の外のどこか別の場所、遠くて美しいもの、広大で圧倒的な何かを希求する心を少なからず持っているのではないでしょうか。きっと、そうしたものに人一倍強く惹かれる人たちが、SFを読んだり書いたりするのだと思います。

「見えないもの」への、「見え方」の違い

 大きなテーマを前にしても、テレビでのコメントで感じた細やかさは、確かにどの作品でも伝わってきたから、それはある意味で、読者としての勘が当たったのかもしれない。
 ただ、それは正解の半分で、あとの半分は読まないと分からなかった。


 それは、『見えないものへの「見え方」の質が違っている』ということだったと思う。

 どれも設定自体がストーリーのポイントにもなっていることもあり、詳細は書けないけれど、不可能なことがなくなっていくような、その遠い未来や遠い場所に展開される「日常」で、それでも、どんなことが起きるのか?

 その遠い先に対して、著者の「見えかた」の質が違うのだけど、描写されることによって、読者も、その視点を共有することができ、そのとき初めて、その遠い未来の「見えないもの」が見えてくる、というような読み方になっていたと思う。

 さらには、遠い未来が明るくなるはずだった技術革新が、一瞬ユートピアを実現させたかに見えて、その技術革新が、かえって新しい「地獄」をつくってしまう可能性まで、著者には「見えた」上に、さらに、そんな状況では「見えないはず」の希望まで「見せてくれる」ことが、作品の魅力につながっているように思う。

 例えば、ある一編のなかの、ごく一部を引用すると、その感じが少し伝わるかもしれない。

 彼女は、顔に醜いまだらを持って生まれても、病気があっても、片腕がなくても不幸じゃない世界を見つけたかったのだろう。まさしくそんな世界をわたしに、彼女自身の分身に与えたかったのだろう。美しく優れた知性を備えた新人類ではなく、相手を踏みつけてその上に立つことをしない新人類を生みたかったのだろう。そんな子どもたちだけからなる世界をつくりたかったのだろう。
 地球の外に「村」が存在するのは、彼女の研究が成功したという証拠でもある。

SFが届く場所

 作者は大学院で、生化学で修士号を取得したとプロフィールにあった。
 「生命現象を化学的に研究する」学問らしい。

 化学を専門的に学んだ、ということは、例えば、ウイルスというものに関しても、私のような素人には、コロナウイルスも、電子顕微鏡を通した上に、写真でしか見たことがなくて、だから、その小ささに対して、想像するとっかかりそのものがない。

 だけど、大学院まで進んだのであれば、そうした生命現象に関する、存在することが想像しにくい「見えないもの」に関しての、「見え方」がやっぱり違うのだろう、と思えたのは、この作品を読んで、新鮮な視点をもらった気持ちがしたからだった。

 テレビでのコメントは、繊細さだけでなく、ウイルスという目には見えない小ささについての「見え方」が違うから、印象に残る、鮮やかな表現が出来たのだと、7編を読み終えたあとは、思うようにもなった。


 世界の描き方は、確かにSFらしいし、科学の力で、作品そのものも、より遠くへ届いているはずだけど、「レンズマン」でつまずいた私のような読者にも、十分以上に届いたのだから、実は想像以上に広い範囲の読者にも、オススメできる作品だと思います。




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