AIに、人類が滅ぼされない方法を考える
録画していたテレビ番組を見ていたら、AIの話題になっていました。
AIというのは、独立して思考することが前提なので、厳密にいえば、本当のAIは、まだ出来ていないとか。
AIが、人間の知性を超える地点として、シンギュラリティという言葉もあって、一時期、頻繁に聞いた記憶もあるが、あれは、実はそれほど根拠がないのでは、とか。
AIに仕事を奪われるのではないか、それは想像以上に、広い範囲に及ぶのではないか、すでにそれは始まっているのではないか、とか。
とても中途半端な知識に過ぎませんが、それでも、そんなことは聞いた記憶があります。そして、今は、コロナ禍の話題ばかりで、そうしたことが、微妙な危機感とともに語られていたこと自体に、すでになつかしささえ感じます。
あの頃は、やっぱり平和だったのではないか、という気持ちと共に。
そんなAIにまつわる話を聞いた時は、自分たちが、産業革命の頃の「ラッダイト運動」のようなことを行う可能性も想像したこともあります。最初に世界史で学んだ時は、自分たちの仕事が奪われるから、という理由も含めて、機械を打ち壊すといった「ラッダイト運動」は、どこか滑稽なことにも感じましたが、それは、あくまでも現代の視点から見てのことのようでした。少しでも知ると、約200年前には、本当に命のかかったシリアスな行為だった、というのは分かりますし、今の自分たちが知らないうちに、似たような状況に置かれつつあるから、以前よりも「ラッダイト運動」のことは、不遜かもしれませんが、分かるようになった気までします。
だけど、すでに、「ネオラッダイト運動」に対して、堀江貴文氏が警鐘を鳴らしていることも、今回、恥ずかしながら、初めて知りました。
その中では、客の利便性を考えず、キャッシュレス決済導入を拒む飲食店などを、その例としてあげていますが、今だに携帯も持っていない自分も、知らないうちに「ネオラッダイト運動」に加担していることになるのかもしれない、とも思いました。
話はそれてしまい、申し訳なかったのですが、冒頭のテレビ番組の話に戻ります。
テレビ番組の、 AIの話題は、シンギュラリティよりも、おそらくもっと先、AIに「心」が芽生えた未来のことになっていました。それは、100年先か、1000年先か、もう予測もはっきりできない遠い先のことらしいです。
そこまで進化してしまったAIは、すでに、新しい生物ではないか。そして、とても知能の高いAIにとっては、人類をどうするかについても、選択権は、進化したAIにかかっている可能性は高い。
そうなった未来には、人類は、AIに従属して生かされるのか。それとも滅ぼされてしまうのか。さらには、人類は、今の人類ではなくなっているのではないか。という話題にまで進みました。
どうすればいいのか、になる前に番組は終わったのですが、勝手に、そのことを考えました。
「AIが、どれだけ進化したとしても、どうすれば人類は滅ぼされなくてすむのか?」
もしも、AIが、それだけ進化したとして、「心」があるとすれば、複数の意志があるはずです。その場合に、それまでの「地球上の支配者」でもあり、「生みの親」でもある人類をどうするかについては、おそらく話し合いのようなことがあるはずです。(ここまでの仮定が、すでに違っている可能性はありますが)。
そんな時に、たぶん、AI(進化型)は、人類を生かしておくべきかどうかの価値判断のひとつとして、人類の歴史の振り返りと再検討を行うのではないでしょうか。それによって、滅亡させたほうがいいのか、どうかを、決める材料にしていくために。
その時に、もしも人類の歴史が、AIにとって、「頭が悪いのに、すごくがんばった。よりよくしようと、努力してきた」という歴史だと分かったら、たとえ、その時に劣った生物になってしまった人類だとしても、AIにとって、敬意が芽生え、少なくとも滅亡させないのではないでしょうか。
だから、AIに滅ぼされない(あくまで個人的に考えた)方法は、とても地味なものです。
「人類は、人類の社会をよりよくする努力と工夫は、常にしておいた方がいいのではないか」
そういう、とても小さく面白みのない、もしかしたら、すでに手遅れかもしれない、個人的な結論になりました。
ただ、この結論自体が、感傷的な発想にとらわれすぎた、自分の限界でもあるでしょうし、優れている存在のことを「善」であるに違いないと考えるのは、人類の偏った見方であり、願望に過ぎない可能性もあります。
人類にはもう理解できない「進化」というのは、そんな価値観とは無縁の、全く違う価値観の可能性も高いのではないか、などと思うと、もう、考えても無駄、というような気持ちにもなります。
たぶん、こういうことに関しては、誰かがもっときちんとした考えを提示してくれているとは思うのですが、今回は、恥ずかしながら、無知であったとしても、今の自分の手持ちの少ない材料で考えました。
図々しいお願いだと思いますし、自分の無知に対しての怠慢だとも感じますが、もっとすごい考えがあれば、教えていただければ、とてもありがたいと思います。ただ、すごく優れた考えは、そこまで理解できる力がないと、ただの意味不明になってしまうので、難しいとも思います。そんなことを思うと、さらにグルグルするだけですが。
分かりにくく、未熟な思考の経過を、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(参考資料) ウィキペディア 「ラッダイト運動」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラッダイト運動
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