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読書感想 『だまされ屋さん』 星野智幸  「人間関係の可能性の拡張」

 妻が先に読んでいて、とても面白いと言っていた。

 途中で、すごく顔をしかめていたので、その理由を聞いたら、登場人物に嫌悪感を抱いていたらしいが、それだけリアルに描かれているようだった。
 そして、終盤に向けての展開が、意外だった、と感心と共に語っていた。

 すごく魅力的な小説に思えたので、内容は教えてもらわないようにして、自分も読んだ。
 妻と、ほぼ同じような感想になった。

『だまされ屋さん』 星野智幸

 家族の話だった。

 そして、その家族は、小説ではよくあるように「幸せ」とはほど遠く、さまざまな葛藤を、みんなが抱えている。

 さらに、その家族の心のうちは、かなり精密に、繊細に描かれているが、それぞれの家族の気持ちの敏感さみたいなものが、決して、他の人を救うような方向へは使われない。

 それでも、その人物や気持ちの描写は、とても正確だと思う。

 梨花の欠点は、普段は穏やかで気遣いも細やかで攻撃性などとは無縁なのに、ひとたび正しさの刃をむき出しにすると、その刃で切れるものすべてを切って、相手の息の根を止めてしまうことだ。
 それは「相談」じゃなかった。母が決めたことをただ承認せよ、という通告だった。ぼくが承認すれば、母の気分は少し楽になるから。母の気分は少し楽になるから。意見は聞かないが責任は分担させる、ということだった。子どものころから、母はいつもぼくにそういう「相談」をしてきた。
「心配と支配も紙一重だからなあ」と巴はため息をつく。

 登場人物の間で交わされる鋭角的な言葉や、心の状態の表現には、ある意味で容赦のなさを感じ、それで思い出したのが、「明暗」(夏目漱石)だった。

「明暗」 夏目漱石

 個人的には、中年になってから、読書の習慣がついたせいもあって、「明暗」を読むのも遅かった。だけど、もう約100年前の作品にも関わらず、そこにいる若い夫婦の繊細でプライドの高い姿は、まるで現代に生きる人のようで、その心の動きの描写もとても緻密で、びっくりするくらいだった。

 これだと、書き手の神経にも重い負担をかけるに違いないと思ったけれど、夏目漱石は、胃潰瘍で亡くなったとも言われているので、それも肯けるというのは不謹慎かもしれない。

「明暗」が「未完」であることは気にならなかったし、死の直前まで書いていて、夏目漱石の作品を全部読んでいるわけではないので、断言もできないけれど、それでも最後に最高の作品を残していると思えた。

 その鋭角的な描写との類似を、「だまされ屋さん」でも、特に前半部分では感じていた。

オープンダイアローグ

 それだけに、この家族の関係のこじれは、もう修復が難しく、そのまま、どのように困難さを増していくのか、といったような興味にもなるのだけど、そのあとは、急激ではないにしても、そして、注意深く進みながらも、意外な展開になっていく。

 それは、フィンランドの病院で開発された「オープンダイアローグ」という、精神的な症状に対応する、画期的でありながら、基本を徹底したような方法を思い出させるものだった。

「だまされ屋さん」の巻末の参考資料には、「オープンダイアローグ」の書籍もあげられていた。

 なんだか納得がいったし、他にもカウンセリングに関する書籍も、参考資料に多くあげられていたし、それらの資料を十分に生かしているような印象だった。

人間関係の可能性の拡張

 小説の終盤に向けて、登場人物たちによる会話というよりは、対話といってもいい、掘り下げつつも、攻撃的でなく、どこかサポーティブな雰囲気のある場面が続いていく。

 こうした小説は、ストーリー展開の意外さが、主な魅力や価値ではないと思う。

 だから、どの小説でも同様とはいえ、特にこの作品は、読んでいる時間が大事になる。どんな言葉が、どのようなタイミングで交わされるのか。誰と誰が、どういうきっかけで、距離感や気配が変化するのか。

 そして、そういう時間の後に、どのような展開になって、何が違ってくるのか。

 読み終わると、感じるのは、フィクションとはいえ、「人間関係の可能性の拡張」のようなもので、不思議な解放感がある。

 もしかしたら、人間関係。もちろん家族関係もそのうちで、それは時間が経つと、子供の成長によって関係性が変わるから、より難しさもあるのだろうけど、それでも、どれだけこじれても、人間関係というものは、どんな状況になっても変化するのではないか、と思えた。


 人間関係について、今、深刻な悩みを持つ方には難しいのかもしれないですが、過去にそうした悩みを持ったことがある人であれば、これからのためにも、おすすめできる作品だと思います。




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