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「最愛のかたち」-----「シーナ&ザ・ロケッツ」

 言い訳のような言葉から始めるにはふさわしくないのは知っているけれど、それでも、書くことにちゅうちょがあるのは、私のような少し知っている人間が、もっと熱心に支えたりする人がいるのは容易に想像できる人たちのことを、何かしら語っていいのだろうか、と思うからだ。

 それでも、「シーナ&ザ・ロケッツ」の映像を見るたびに感じることがある。


「シーナ&ザ・ロケッツ」

 本当のファンとはとても言えないけれど、やっぱりこのバンドのことを知ったのは、他の人と同様に、1979年に発売された「ユー・メイ・ドリーム」でだった。

 ボーカルの独特の声と、印象に残る楽曲で、それは、年数が経っても記憶に残る音楽だった。

 そのバンドに鮎川誠、というギタリストがいて、その姿は、映像で見ただけでも、音楽に詳しくなくても、ちょっと見ただけでも明らかにかっこいいのはわかった。

 だから、このバンドが人気も出て、注目もされるのも納得もできた。

歴史

 それから何十年も経って、いろいろなことがあり、様々なミュージシャンが登場し、その長い時間の中でも、ずっと「シーナ&ザ・ロケッツ」は当然のように音楽活動を続けていた。

 ずっと熱心に追いかけているわけでもないのに、それでも、その活動のことが届いてきたのは、2015年にボーカルで鮎川誠の妻であるシーナが亡くなり、さらには、2023年には鮎川誠も亡くなりそのたびに、ドキュメンタリーの映像がテレビでも流れていたからだった。

 そして、映画にもなった。

 そこでのミュージシャンの言葉が、このバンドの凄さを表しているように感じた。

鮎川さんとシーナが死んだことは大したことじゃない。“いた”ってことがすごいんだ
—甲本ヒロト

(『映画 シーナ&ロケッツ 鮎川誠 〜ロックと家族の絆〜』ホームページより)

最愛のかたち

 いなくなってしまった事で、その映像を見る機会が逆に増えた。

 その度に、鮎川誠がいて、その前にシーナがいて、演奏をしている姿も見るようになった。

 どんな曲でも、どんなときでも、それが何十年か前でも、最近でも、シーナが亡くなるまで、それがずっと続いていたのは、そうしたごく一部の映像を見ているだけの視聴者にも伝わってきた。

 そして、いつも鮎川誠はギターを演奏しながら、その前で歌っているシーナを、全力で支えているのが、そういう映像でもわかる気がした。

 さらには、そこに愛情と信頼と敬意まであって、それが昔でも最近でも変わらないように見えた。

 もちろんバンドだから、音楽はその全体の成果でもあるのだけど、いつも、この二人の姿は、際立っていた。

 こんなに長い時間、いつも変わらず、鮎川誠は、シーナに全力で気持ちを伝え続けるように支えているのは、すごいと思ったし、インタビューでも、それが変わらなかった。

 最愛がかたちになっている。

 それが、何十年も変わらない。

 もちろん、それほど知らない視聴者が少しだけ見てのことだから、それがどこまで正確なことかは分からないけれど、少なくとも、ここまで伝わってくる存在は他に知らない。

 すごい人たちだった。

 そのことだけは、わかったように思う。



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