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「コロナ環境への適応が進むこと」。2020.10.17.

 雨が降っている。
 毎週土曜日は、午前9時前に、電車に乗って、出かける。先週は台風が近づいていて、雨だったが(リンクあり)、今週は台風ではないけれど、雨がずっと降っている。
 1000円カットの店の前には、店の前の細いビニール屋根の下に、雨を避けるように、一人だけ待っている。

 ホームにきたら、一人だけ先に人がいて、こんなに少ないと思っていたら、人が改札を通ってきて、10人はすぐに超える。それでも、ただ静かなままだった。
 
 気温は低めで、秋に入って初めて、普通のウールのセーターを着た。

 おととい(10月15日)東京都内の感染者が284人になった。かなり多いはずだったのだけど、ニュースの扱いも大きくなかったはずだし、自分の気持ちも動きにくくなっていて、500人を超えて、過去最高みたいなインパクトがないと、もうあまり怖くなくなってしまったのかもしれない。

適応した広告

 電車の中は、座席は埋まっていて、窓はわずかに開いている。「距離」はとれず、体が触れるかどうかくらいの混み具合になっている。

 電車を乗り換える。
 窓はしまっている。

 「なんで、そんなに近づくのだろう、と思ったら、歩きスマホでした

 そんなマナー啓発の広告があったのだけど、これは、コロナ禍を知る前だったら、意味が分からない内容のはずだった。「ソーシャルディスタンス」が感染拡大予防の一つとして、もしくは、マナーとしても守らなくてはいけないもの、という合意を踏まえての言葉だと思う。状況への適応力が高い広告で、こうした言葉の存在で、さらに環境が変わってきているのではないか、とも思う。

 今は、コロナ禍でもあるのだけど、その状況も前提としての、「コロナ環境」が、社会を覆ってきているような気がした。

適応している乗客

 電車に乗って、「距離」がないのに、つい座ってしまう。
 周りを見ると、以前よりも、座席で眠っている人が増えた気がする。あちこちでうなだれて、少し落ち込んでいるようにも見えて、ただ、少し前まで座っている人で、寝ている人はほぼいなかったと思う。気がついたら、隣の初老の男性も寝ている。

 それだけ、適応が進んでいるのだろう。

 駅で降りて、エスカレーターに乗る。ちょっと、ぼんやりしていたら、ついエスカレーターのベルトを、がっちりつかんでしまった。あ、と思って、だけど、もうそんなことを誰も気にしていないようだったのだけど、トイレに行って、せっけんを使って、手だけを洗って、それから改札を抜けた。

 そうしたら、そこにティッシュ配りの人がいた。
 歩いている人も、普通に手渡しで、もらっている。
 こういう光景も久しぶりに見た。

 そういえば、ラジオを聴いていて、このパーソナリティは、コロナに感染して、復活したんだ、みたいなことを、しばらく思っていたのに、いつの間にか、そう思うこともなくなっていた。

 自分も、この「コロナ環境」に適応してきているのに、気がつく。

適応している情報

 午後4時過ぎに、用事が終わって、また駅に来る。
 
 雨はずっと降っている。

 駅のホームの真ん中付近で待っていたら、もっとレール寄りに3人が、ほぼ「ソーシャルディスタンス」を保って、等間隔で並んでいる。真ん中の中年女性はマスクをして、左端の初老男性と、右端の若い男性は、マスクをしていない。

 電車が来て、乗ったら、時間も夕方になっているし、違う車両なのに、朝と同じように、車内の静かさの印象が同じだった。
 ドアの上の小さな画面に映像が流れる。

 山形の観光。
 青梅線・五日市線。
 やまなし。

 まるで、コロナ禍がないような、以前と同じような、きれいなコマーシャル映像が続く。

 そのあとに、ニュースになる。
 
 菅首相、学術会議会長と会談
 水際作戦を国に要請
 免許証とマイナカードを一体化
 米国、孔子学院を閉鎖

 電車を降りて、改札へ向かうときに、ポツンとあるアルコールを、いつも使っているのに、今日は、忘れた。


 駅の動く映像の広告。

「今日もこの街の心の距離は0メートルです」。

 身近さを強調するためのコピーなのだろうけど、これも、今の「ソーシャルディスタンス」をとることが「常識」になっているのを前提にしている。このコピーの意味合いは、おそらく、1年前だと分からなかった。こうした言葉が存在することで、いつのまにか、「コロナ環境」の浸透を、さらに促進しているように思った。

カサと子ども

 電車を降りて、道を歩く。

 親子連れが歩いてくる。
 父親と男の子2人。

 まだ小学校入学前くらいの幼い男の子(たぶん弟)が、一番前を走っている。
 すごく一生懸命らしく、両手で持ったカサまで、大きく前後に揺らしているので、カサをさしていないのと同じようになっている。

 それでも、まだ走って、すれ違って、去っていった。



(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、幸いです)。

「日常が戻ったような錯覚」。2020.10.3.

「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」。①「コロナは、ただの風邪」という主張。 (有料noteです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月 (無料マガジンです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」② 2020年4月 (有料マガジンです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月 (有料マガジンです)。


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