秋が混じっている。
もしかしたら、すでに古い言葉なのかもしれないけれど、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれていて、9月に入って、秋だ、などという気持ちを削ぐように、暑い日もあったりするが、夜になると、いつの間にか秋の虫の声が大きくなっていることに気づく。
9月でも、季節的には、まだ夏かも、と思えるのは、その気温の高さと、セミがまだ大きな声で鳴く時だ。それも、より切羽詰まったように聞こえてくるのは、夏も終わって、秋が来ているのに、などと聴く側が勝手に思ってしまっているだけなのかもしれない。
イチョウの木
イチョウの並木はあちこちにあるけれど、ほぼくっつくように並んでいるのに、黄色くなっていたり、黄色が混じったり、ほぼ緑のままで、様子が違っている。
秋が混じっている。
そんなことを思って、歩いて、また別の場所のイチョウ並木は、すでにほぼ黄色くて、ここは、秋になっていると思う。
そこに立っていると、後ろからは、セミの声が大きく響き始め、少し遠くの草むらからは、秋の虫の声も聞こえてくる。昼間の午後1時過ぎ、ここでも夏と秋が混じっている。
自分自身が、あまり周囲を気をつけて見ていないせいか、夏と秋の混じり具合いは、場所がちょっと違っただけで、かなり変わってくるのを、見落としているようだった。
カワセミ
さらに川沿いの道を歩く。
川へ向けて、50センチくらいの長いレンズを向けて、何かを撮影している男性がいる。
そっと後ろへ回って、何がいるのかを確かめる。
私の前に、すでに一人、先に来ていた観客がいる。
カメラのレンズの先を見る。
鳥がいる。
とても狭い河原に、青い小さい鳥。
自然界では異質なくらいの鮮やかな色彩。
カワセミ。
名前は、私でも知っている。
そっとデジタルカメラを出し、スイッチを入れる。ピロロローン。といった起動音がして、これで、カワセミが飛んでいったら、と緊張しつつ、だけど、まだ、動いていない。
そっとシャッターを切る。
カメラを構え続けている男性がいなかったら、カワセミがいることに、一人では気づけなかったのに、シャッター音で飛び去ってしまったら、恩を仇で返すみたいなことになり、申し訳ないと思ったが、カワセミがそのままいることを確認してから、音を立てないように、素早くその場を去る。
本当は、あと何枚か撮影したかったけれど、それで、飛び去ることを考えたら、できなかった。
夕方
夕方になっても気温は微妙で、長袖一枚だと、ちょっと寒いかも、と思いながら、上着を着て、歩くと、汗をかきそうだった。
木から、枯葉が一枚ぶら下がっている。
何か、つながっているのは透明な糸だけど、クモなのか、それともミノムシなのか、分からない。
ここにも季節の変わり目がある、と勝手に思う。
風に揺れていて、撮影しようとすると、横向きになってしまい、画面の中で、線のようになってしまい、だけど、その枯葉が正面を向いてくれるまで待っていると、予定の電車に乗れないかもしれないので、あきらめる。
さらに歩いて、午後にカワセミがいた場所の上の道には、年配の男性が立っていた。
こちらを見て、何かを言いたそうな表情をしている。だから、立ち止まって、その男性と一緒に、河原を見た。
「止まっているよ」と声をかけられる。
あれから4時間以上たっているのに、おそらく同じカワセミがいた。
「カワセミですか」
「そう」
「きれいな色ですね」
そんな短い会話をして、その場を離れたけれど、あのカワセミは、ずっといたのだろうか。あちこちに飛んで、その上で、また、そこに戻ってきたのだろうか。遠ざかるほど、微妙な疑問はふくらんだ。動いていたかどうかまで、気になった。
月
電車に乗って、家にたどり着く頃には、もう暗くなっていた。
午後6時半で、すっかり暗くなっているから、いつの間にか、日が暮れるのも早くなっている。
空には、月が見える。微妙な半月。少し雲がかかっている。
「月にむら雲」といった言葉を思い出すが、全部の文章を知らず、なんとなく風流な感じで覚えていたが、実は、風流とは遠く、もっと現実的な言葉だったことを、検索をして、恥ずかしながら、初めて知った。
夜に寝るときにかける布団は、多くなっている。
だけど、少し暑く感じたりもする。
ただ、もう少したつと、こんな微妙な、秋が混じっていると思ったことも忘れるほど、寒くなっていくと考えると、毎年のことだけど、少し不思議な気持ちになる。
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