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固有名詞を、たくさん出す人に、どうしてガッカリしてしまうんだろう。

 私にとっては、とても重要な存在である現代美術のアーティスト二人が対談をする企画があった。その場所は、美術関係者がかなりの割合を占めているようで、独特の雰囲気があって、ちょっと緊張感もあった。

司会

 20年以上のベテランの芸術家が、さらにキャリアのあるアーティストに話を聞くような形にもなっていたのだけど、このトークを成立させるために司会の人も存在していた。

 司会の人も、何十年も美術業界に関わっているマスコミ関係者で、その人の仕事で、とても得るものも多く、そういう意味では、どこか恩に感じる気持ちも、それまでにあった。

 トークショーが始まる。

 二人のアーティストがいて、その二人がオフィシャルな場面で顔を合わせて話をする機会も珍しいから、それだけでも見にきた甲斐があったような気持ちにもなっていたし、内容も興味深く、最後に専門用語が飛び交う雰囲気に押されて、質問をし損った薄い後悔はあったものの、全体的には満足感があった。

 ただ、そのマスコミ関係者は、司会をしていたのだけど、もっともベテランのアーティストの話をするときに、その司会の人の言葉のほとんどが固有名詞に感じた。

 あの時代に、この人がいた、あの人を知っている。このイベントに関係した名前。その時の場所を連発していた。

 それは、知っている人にとっては、それだけでイメージがふくらむかもしれなかったが、かなり昔になっているのだから、ある年代以上の人間にしか分からないことでもあるし、聞いていて、それは司会の人が、それだけ、この美術業界でもあちこちに関係していたらしい、ということだけが伝わってくるような時間だった。

 なんだか、ガッカリした。
 勝手な話だけれど、その後、その人が関係する仕事に関して、あまり興味が持てなくなってしまった。

固有名詞

 こういう出来事は、いろいろな場所で、思った以上に多い。

 特に、その固有名詞が、いわゆるビッグネームだったりすると、「私はその人を知っている」ということを伝えるだけで、それは場所によっては、後光がさすような力を持つことはある。

 でも、それは、やっぱり一種の自慢話に過ぎないと思う。
 
 そして、固有名詞を出し合うような人たちの会話になると、その数による競争が行われているように、固有名詞がほとんどの会話になっていく。

 それは、コミュニケーションというよりは、争いであって、その会話から、その当事者同士で、秘かに勝ち負けが決まる以外は、そこに別の人たちがいるとしても、得るものはないような気がする。

 その固有名詞が人であると、政治的な色合いが強いが、たとえば、それが書物の固有名詞だと、今は少なくなったかもしれないが「それを読んでないと話にならない」といった、知識争いの道具になっているのだと思う。

 固有名詞を連発する人を見ると、その場にいる他の人のための有益な情報、というよりは、自分の自慢話、もしくは争いの道具に感じてしまって、だから、ガッカリするのだと思う。

 せっかく話を聞くのだったら、エゴ拡大の道具としての固有名詞ばかりを聞きたくない、と思ってしまうのだろう。

便利

 ただ、固有名詞は便利だったりする。
 
 固有名詞によって、話の通じ方は速くなるし、その選択や並べ方によって、意味が生まれ、そこに豊かさや美しさが感じられることもある。

 だけど、それは、そうしたことを共有している、という前提があってのことで、幅広い聴衆がいた場合に、自分の自慢のために固有名詞を連発したとすれば、それは上品な行為とは言えないと思う。

 ただ、共有していないとしても、場合によっては、固有名詞でしか伝えられないことはあって、それは、特に人の名前については、かなり意味の重さが変わってくるのではないだろうか。

人名

 だけど、特に人名の場合は、その人を表していることは少なく、生まれた時につけられた偶然性の高いものでもあるから、そこに親の願いがあるのは間違いないとしても、その名前と、その本人には、本来は具体的に関係がないから、おそらく、「えーと、あの人のな名前は」と記憶に定着しにくい、いうことになるのだと思う。

 極端な例えだけど、クマっぽい人が、「熊田」という名字だったら、忘れにくいけれど、多くの場合、人名とその人を具体的につなぐ要素は少ない。

 だから、自分にとって大事な人以外は忘れがちなのだろうけど、同時に名前を覚えてもらっていると嬉しいのは、自分の存在そのものを肯定されているような気持ちになるからで、その場合の固有名詞は、また違う意味を持つのかもしれない。

 そういえば、政治家のような仕事をする人の中には、一度会った人の名前や、話した内容をかなり具体的に覚えていて、次に会った時に、そのことをさりげなく伝えられる能力がある人がいるらしく、そういうことが一票につながるのは分かるのだけど、本当は、それは政治家としての能力とは関係なくて、選挙力といっていい力なのだとは思うけれど、これも固有名詞を利用している、ということになるのだろう。

 固有名詞の話なのに、抽象的な内容になってしまったけれど、それでも、言葉の中で、固有名詞が占める割合は、どれだけになるのだろう、と思う。



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