「目に薄い膜がはっている人」や、「目を見せないような笑顔を作る人」のことを、考える。
日本の首相と、東京の都知事。
現任者への共通する印象は、個人的には「目に薄い膜がはっているように見える人」だった。
それは、ある種の政治家の特徴かもしれない、と思っている。
目に薄く膜がはっている状態
若い時から、「目に薄く膜がはっている人」は、ほぼいないと思う。
ただ、生きる時間が長くなり、特に「交渉」や「腹芸」や「裏での動き」が多い仕事を続け、「言えなくなること」が多くなったり、「自分の本当の気持ちを悟らせない」ような時間が長くなってくると、そういう人たちの中には、目の周りに変化が訪れる人がいる。
一つは、目に薄い膜がはってくる人。
もう一つは、瞳を見せないような笑顔を作るようになる人。
個人的には、目には、自分の気持ちのすべてが現れると思っている。
自分の気持ちを伝えるときには、そのことはとても大事になるのだけど、「交渉」が主であり、特に「相手に言うことをきかせる」ときに、有効な方法の一つは、「自分の気持ちを悟らせない」事になる。
自分のことは分かられているのに、相手の気持ちが分からない。
その状況は、人を不安にさせ、場合によっては恐怖につながり、特に相手の方が立場が上だったりすると、過剰な忖度を生むはずだ。
相手に、そんな態度をとらせ続け、そうした時間を過ごすことで、最も自分の心が現れやすい目に、その環境に適応するためなのか、目の表面に薄い膜がはられ始める(ように見える)。そうなると、その人の気持ちは、とても分かりにくくなる。それは、「相手に言うことをきかせる」ようなコミュニケーションに有利になるはずだ。
そのある種の完成形として、現在の首相や都知事がいると思っている。
「目に薄く膜がはっている人」の弱点
そして、政治家だけでなくて、職場や家族など、身近な人であっても、程度に差はあるものの、だんだん「目に薄く膜がはり始める人」がいる場合がある。
そんな時に、どうしても警戒してしまうのは、そういう人は、やむを得ずかもしれないが、「政治的な人間」になることを決めてしまったと思えるからだ。
ただ、「目に薄く膜がはっている人」は、相手に言うことをきかせることに適応しているとも思うのだけど、弱点はあるはずだ。まず、見た目が変わってしまうことで、印象が悪くなることもそうだと思うのだけど、これは、都知事への評判から考えても、みんながみんな思うことではないようなので、見た目に関しては、それほど弱点にはならないのかもしれない。
私自身は、当事者ではないので(これからも、そうありたいけど)、はっきりとは分からないが、「目に薄く膜がはる」と、相手の目は、少し見えなくなると思う。そうであれば、相手の気持ちに対しては、理解する力が落ちる、と思う。
それは、弱点でもあるのだけど、相手の気持ちが分からない方が、相手を動かすことに徹底できるという点では「有利」だろうから、「目に薄く膜がはる」形態を選択した人にとっては、弱点ではないのかもしれない。
目が見えなくなるような笑顔を作る人
これは、いわゆる「くしゃっとした笑顔」の人全般を指していない。
「目が見えなくなるような笑顔」の持ち主で、それで魅力的な人はもちろん大勢いて、その人たちの共通点は、もちろん、目も心から笑っていることだ。
ここで考えたい対象は、メディアを通して、ど観察する機会が多いから、どうしても「政治家」や「経営者」になってしまうのだけど、普段の目つきは実に鋭く、場合によっては悪く、それは怖いくらいなのだけど、自分のイメージに関わるような時、写真を撮られる瞬間などに、急に「笑顔」を作る。
それも、顔を大きく動かし、目が見えなくなるような笑顔を作る人がいる。ただ、その奥にある目は、笑っていない、と思う。
これは、自分の目つきのことは客観的にわかっていて、だけど、イメージは少しでもよくしないといけない、ということも理解している人の振る舞いだと思う。
少し昔の政治家には、何人もいたはずだけど、このタイプの人は、減っているような印象がある。
「目を見せない笑顔を作る人」と「目に薄く膜がはる人」との違い
この「目が見えなくなるような笑顔の人」と「目に薄く膜がはる人」の違いを考えると、まずは目の構造の違いもあるのだろう。目が大きい人は、どれだけ表情を動かしても、目が見えなくなるほどの状況は作りにくい。
ただ、そうした構造上の違いをいったんは無視すれば、おそらくは、「目を見せない笑顔を作る人」の方が、とても慎重というか、悪く言えば臆病なのだと思う。
それは、「目に薄く膜」をはれば、自分の気持ちを悟られにくくなるから、威圧的なコミュニケーションの際は有利になるとしても、どうしても、相手の気持ちを読み取る精度は落ちるはずで、そのことを恐れているから、「目に薄く膜」をはることをしないで、とにかくよく見える目を選択している、ということなのだと思う。
全くの想像を積み重ねているので、ここまでも的外れの可能性もあるのだけど、そう考えていくと、政治的にどちらが能力が上かと言えば、同じように怖いとしても、「目が見えなくなるような笑顔」を作る人の方が、「有能」の可能性がある。
人の気持ちがどう動くのか。それを常に把握していないと、確かに、「微妙な政治的な動き」は難しくなるからで、現在、「目が見えなくなる笑顔を作る」人が少なくなってきているのは、マイナスなことなのだろうか。
その人の「悪い程度」が強ければ、どちらのタイプにしても、周囲は不幸になってしまうけれど、同じように「悪い」とすれば、より「有能」な方が、周りを幸福にするとも限らないので、それについては、考えが追いつかない。
目がはっきりと見える政治家
いつも目がはっきりと見えて、その怖さも愚かさも含めて、見せても平気な人がいる。政治家の中でも、そういう人がいて、それは、本人の能力というよりは、そのバックボーンがとても強力で、ずっと守られている場合だと思う。
すぐ思い出すのは、副総理と言われていて、「失言」を繰り返す人だ。
でも、もし、いつも目がはっきりと見えて、感情が伝わりやすいのに、その気持ちが真っ当だから、本当に信頼できて、その上で有能な人が、政治家だけでなく、社会の中で、力を持つ場所に何人もいれば、それは他力本願な発想でもあるのだけど、もっと生きやすい世の中になるのに、と思うことがある。
この何十年も、そんなことを時々思っているが、この人は凄いのでは、と思っている人の目に、少しずつ薄く膜がはっていくように見えることもある。
そうならないと、生きていけないほど厳しいのだろうか、と思い、それが世の中なのかも、と考えながら、理不尽さも感じ、そういう時は、自分の顔を、特に目を、鏡で確認したりする。
ただ、もし、自分自身が、他の人から見て「目に薄く膜がはっているように見える人」になった場合は、その自分を肯定しているはずだから、その「薄い膜」には、気がつかないだろう、とも思う。
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