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とても個人的な音楽史⑤ 「神聖かまってちゃん」 本当に「ロックンロールは鳴り止まないっ」。

 2010年代に、自分が、どの曲を一番数多く聞いたのかは、はっきりしている。
 神聖かまってちゃん。「ロックンロールは鳴り止まないっ」。
 いつ、その曲を知ったのかも、覚えている。

「神聖かまってちゃん」を教えてもらう

 2010年の4月に、中年になってから、学校へ入学した。周囲は若い人も多く、初めてのことも多く、緊張していたせいか、何十年かぶりに時間がゆっくりと過ぎていく、という感覚を味わった。そんなことにも慣れて来て、楽しくなってきたころに若い同期が勉強会を開いてくれて、そこにいろいろな人が来ていた。

 親睦会もあって、そこで、近くに座った20代の青年から音楽の話を聞かれた。サンボマスターの事を話したら、「どうして好きなんですか?」と聞かれて、深夜にテレビを見ていて、見た目はパッとしないボーカルでギターの山口が、ギターを弾き始め、歌い始めると、テレビ画面でさえ、その輪郭がくっきりして見えるようになって、すごいと思った、と言ったら、「そういう輪郭がはっきりするようなのが好きでしたら」とカバンの中からごそごそとiPodを出してくれて、教えてくれたのが「神聖かまってちゃん」だった。バンド名を口頭で聞いたときには、何を言っているのか分かりにくいくらい違和感がある名称だった。「ロックンロールは鳴り止まないっ」をその時に聞いたのだけど、最初は、なんだか言葉が少なくて、変な曲だと思った。

 家に帰って、ユーチューブで、また見た。いろいろな過去のロックスターが次々と出てきて、大きい目が映っている、やっぱり妙な映像だった。その目は、曲を作っている側のものなのかも、と何回か見て、やっと分かって、気がついたら、何度も再生するようになり、1日に複数回聞くようになり、もっといつも聞いていたくなりCDも買った。iPodにも入れて、移動の時に聞くようになった。まるで、「ロックンロールは鳴り止まないっ」の歌詞のような曲との関わり方だった。

 アルバムは、すでに2010年の3月に発売されていて、話題になっていたらしいが、そのことはまったく知らなかった。それでも、どの曲もすごくリアルで、こんな曲を作れて、演奏できて、歌える凄さを感じていた。

 個人的な事情に過ぎないが、1999年に、仕事をやめて10年介護に専念し、その間に母親を亡くしたが、義母の介護は続き、その時間の中で、資格をとろうと勉強を始めてから3年たち、学校に入れたのが、この年だった。
 介護のために、午前5時に寝る生活は続いていて、学校での勉強はしていたが、そのあとはまったくわからないから不安だった。夜中に起きていることが多くて、昼夜逆転に近くなり、その上、将来が分からない不安が強いと、気持ち悪い話かもしれないが、どんな年齢でも思春期に近い気持ちになるように感じていた。
 だから、こんなに「神聖かまってちゃん」が聞けたのかもしれなかった。
 2010年の年末に出たアルバムは、2枚とも買った。
 1枚をメジャーから、1枚をインディーズから出すことも含めて、素晴らしいと思っていた。
 バンド名「神聖かまってちゃん」を普通に「かまってちゃん」と呼ぶようになっていた。それは、やはりちょっと気持ち悪い距離感かもしれなかった。

映画「ロックンロールは鳴り止まないっ」

 2011年には、ライブも行こうと思った。両国国技館でのライブのチケットを買って、それが東日本大震災の影響で中止になり、全国でのライブハウスでのフリーライブに切り替わった。それにも申し込んで、来月には、まずは川崎でのライブに行けることになった。ライブハウスには、これまで行ったことがなかったが、その前に映画になっているのを知った。ドキュメンタリーかと思ったら、そうでないと知って、あれだけの素材だったら、そのまま伝えればいいのに、という気持ちにもなったが、その後、予告編などを見ているうちに、都内ではレイトショーを小さめの映画館で上映する、という規模だと知った。予告編で、女子校生で将棋の棋士でもある役の二階堂ふみ、という女優の表情を見て、見ようと思って、妻に言ったら、妻も乗り気になってくれたので、一緒に行くことにした。

 下北沢のトリウッドには、私たちの他には、場内には4人くらいの客。1人だけ、自分たちと同じような年齢の人がいて、あとは若く、1人で来ている客ばかりだった。

 映画では、登場人物が出るたびに、マンガみたいに周りが色どられたり、文字が重なったり、みたいなやり方が、ちょっと引っかかったが、思った以上に、画面には、静かで、上品でリアルな空気が流れていて、久しぶりに映画を見ている感じが高まっていった。最初は、あれだけスクリーンが小さいことが気になったのに。
 映画の終盤で、ライブ映像が重なり、「ロックンロールは鳴り止まないっ」が始まると、それまでの画面でのいろいろなことをまとめて持っていくように、一気に盛上がって行った。

 映画が終わったら、妻は、すごく感動した、と言って、泣いた後の、涙がまだメガネにたまっているくらいだった。それをふいていたら、ずっとこぶしを握りしめたような格好で見ていた、と言った。私も、よかったので、Tシャツを買おうと、サイズで迷っていたら、妻もほしい、というので、白のSとMの両方を買った。妻は、見たのを忘れたくないから、と言っていた。それから妻は、「の子さん」と呼ぶようになり、その後のアルバムで、ファンからブックレットに使う作品を募集したことがあって、そこにイラストを描いて、妻が応募したら、載せてもらっていた。まだ学校に通っていて、二人くらいの若い人に自慢して、ちょっとほめられた。

初めてのライブハウス

 2011年5月19日。川崎クラブチッタ。
 前から、この日は「神聖かまってちゃん」のフリーライブのチケットが当たったため、行くのを楽しみにしていた
 ライブハウス、というのは初めてのことになる。午後6時過ぎに川崎のクラブチッタに着く。家からもしかしたら一番近いライブハウスなのかもしれない。チケットとハガキの両方を大事に持って、入り口に行ったら、ほとんどチェックらしいものもせずにスムーズに入って、神と描かれたTシャツと、特典CDももらって、中に入る。去年から学校に行っているけれど、さらに若い人間がたくさんいる、というより、当然のように若い人達が主流で時々、私のように、年齢が高めの人は少しだけだった。

 夜の感じが漂う建物の気配。ちょっとわくわくしていて、ロビーにあるベンチに座る。黙って一人で来ている人達が多い中でやっぱり黙って、座っていた。ドリンクは、500円で水を買って、それを飲みながら、座っていたら、その前をいろいろな人達が通り過ぎる。かまってちゃんTシャツを普通に着ている若い女性も大勢いる。壁ぎわには小さいコインロッカーが並び、その上には音楽関係のポスターだけが貼ってある。全体的に黒がベースの空気。ここにいると、世の中のほとんどが「かまってちゃん」のファンなのではないか、と思えてくる。

 午後6時20分過ぎ、ホールを見ようと思って、その奥に歩いて入ったら、薄暗い中で、人がもう前の方は立って待っているし、あとは、壁にもたれて、すみっこに座っている人たちがいて、なんだかいづらくなったけど、ライブハウスって、やっぱりステージが近い。一番奥から見ても40メートルくらい先で演奏していることになるのだろう。だけど、冷房がきいているせいか、ちょっと寒い。上着を出すかどうか迷う。ロッカーを開けたら、それだけでもう300円かかるからだ。でも、やっぱり出したのはカゼ気味のせいもある。さっき、かぜ薬を飲んだばかりだった。周りの若さに、やたらと緊張していた。

 約20分前にコーヒーが飲みたくなって、500円のコーヒーを飲み、トイレに行ったり、うろうろしてから、やっぱりホールに入る。寒くて上着を着る。前からだと、全体の5分の4くらいのうしろの方の場所に立っている。それは、ライブハウスに行く前に、学校の若い同期に相談したら、無理に前に行くとアキレス腱を切りますよ、などと言われていたせいもあった。

 あと、5分くらい。ステージまでだいたい30メートル。すぐそばに白髪でスーツのおそらく40代と思われるサラリーマンが大きな荷物を持ってやってきた。時間が近くになっていると、さっきより明らかに前のめりの空気になってきていて、座っていた後ろの人達も、もうみんな立ち上がっている。スタンバイな感じが濃くなるのは、試合の前と似ているかもしれない。スモークがたかれて、周りが少しかすんでいる。最初、スポットライトをあびて、映画でも見たあの剣マネージャーが出て来て、それだけで歓声が上がり、拍手もされ、でも、注意事項を述べていて、それを聞いているだけで、体温が上がってくるのが分かる。具合悪そうな方がいたら、周りも助けてください、などという事を剣マネージャーが言っている。


 ライブが始まったら、少し遠くで、ちょっとした夢のような光景が続いた。ずっと遠くにいて、でも、時々近くにいて、音が体の何かを開くように感じる時もあって、爆音が体に響いて、ということはあったけど、最初に思っていた、心臓によくないんではないか、という心配はなくなった。

 最初から、曲始まりではなく、「順番分かんないんです」と、の子が言いながら、そして曲が始まると、その延長線上にいるはずなのに、すぐに圧倒的にテンションが上がって、はっきりと違う存在になった。最初に教えてくれた人が、輪郭がはっきりするのが好きなら、と言っていた理由が改めて分かった。

 なんだかすごいと思わせる瞬間が何度もあり、アニメの話で「日常、って面白いよね」、みたいな話もしていて、でも、うそが少なく、演出しようという意図もあまりないようだけど、話をしている時と演奏の時のギャップがものすごくあった。

 曲が始まると、特にフロアの前半分はものすごくとびはね、手をあげていた。「ロックンロールは鳴り止まないっ」の前は、ボーカル/ギターの、の子が「テンションあがるよね。分かるよ」みたいなことを言って、本当にその通りだった。

 最後に「ちりとり」を歌い、その前に、夏に発売するCDの話を、ベース「mono」が始めたら、の子が、「そんなの関係ねえ。今がすべて。今の目の前のお客との調和がすべて」みたいなことを、見開いた目で話し始めたのは、なんだかすごいと思って、そして、それこそ気持ちをこめて歌って、これで終わりかと思ったら、の子が一人でギターを抱えて、ステージにいたら、さらに延長になった。

 そこで、「23歳の夏休み」、本当の最後は、「ぺんてる」を演奏していたら、それが、体に来たのを感じた。そこで、もうこのライブハウスの終わりみたいで、終わりの音楽が流され、マイクが切られ、でも、何かを歌おうとしているのか、しゃべろうとしているのか、分からず、それでも客席にダイブして、戻って来て、それでも何かを話そうと、そして、叫んで、頭をさげて、おじぎを何度もしていた。の子は、御礼を言っているのだろうけど、ひょこひょこと動き、マネージャーに連れられるように帰っていった。ものすごくグダグダだけど、ものすごく、分かる気もした。まだ足りないのだろう。もっと伝えたいし、返してほしいのだろう。こちらの気持ちも揺れた気がした。

 終わって、出口に向かうだけでも、その数十メートルにえらく時間がかかり、その間に、「今回のちりとりが音のバランスがよかったね」という冷静な話をする男女がいたり、「26歳ききたかったね」と素朴な会話をしている若い女性達がいたり、「ファンが変って、なんだか怖い」という女性がいたり、そんな声や会話をききながら、外へ出た。


2度目のライブ

 2011年5月26日。恵比寿リキッドルーム。
 去年、「神聖かまってちゃん」の事を教えてくれた若い人と恵比寿駅で待ち合わせをしたら、若干目立つ格好で、改札からまっすぐにこっちへ来た。久しぶりで、しかも、前回は初対面で短い時間しかしゃべってないのに、かまってちゃんの事で話し、妻が映画で泣いたとか、いろいろと話をして、ライブの始まりを中で、飲み物を飲みながら待っていた。

 誰かと来るのは、1人で来るのと、また違う、わくわくした時間が過ぎていって、始まる頃になったら、一緒に、前の方へと移動をし、それは、前回の5分の4のうしろから、前半分に位置に入ったところで、かなり近めだったけど、それでも、すみだったので、それほどのジャンピングゾーンではなかったようだった。ただ、一緒に行った男性はさらに前の方へどんどん進んでいった。

 ライブが始まったら、ダラダラと話し、歌い、という感じで進んでいって、前回は、先週の木曜日だったから、かなり、このバンドとしてはハードスケージュールのはずだけど、ボーカルの、の子は、うれしそうな顔をして、そして、観客とのかけあいも多く、メンバーとの会話も多く、全体として、とてもサポーティブな空気があって、そのせいか、先週よりも、声も通っているように聞こえた。

 話もただダラダラしているのではなく、笑いがちゃんとあって、そのうちに時間がたち、約2時間くらいのところで、「あと15分です」という言葉に、えー、となり、だけど、ここまでの進み方だけでも、なんだかいい意味できびきびしていて、そして、の子の気分もずっといいままで、幸せそうな、といってもいいような表情をしていて、こちらもずっと少し笑っていられたような気がする。

 時々、見ていて、ああ、ここにいてよかった、という気持ちに素直になれて、時間が進んで、最後の方で「いかれたニート」を演奏した時は、妻が、この曲を聴いて、「伝わってくるね」と言ったことを思い出した。頻尿だけど、トイレにもなんとか行かずに、アンコールを迎え、「ロックンロールは鳴り止まないっ」になったら、地面が揺れた。ぶわんと空気も変った。それから、まだやるぞ、みたいになって、「夕方のピアノ」になって、「しねよ、さとう」と歌いだした時の、の子の目はやっぱり尋常じゃなくて、少しガラスっぽくなった。

 これは、その死ねよ、と本気で思えるくらいのつらい時に、完全に戻っているんだろうな、などと、やっぱり余計なことを考えたが、確実にパワーがまた上がって、そこからダイブもして、「学校に行きたくない」を、何かの上にあがって、歌っていた。その下で剣マネージャーが、落ちても大丈夫なような場所にいるのも見えた。

 だけど、ものすごく、集中力というか、ホントに何かの神みたいに見える瞬間もあって、すげえー、と思いつつ、終えた。もう音響機械の音を切られているのに、まだ、の子はしゃべっていて、そして、ものすごく深い本気のおじぎを何度もして、ひっこんでいった。今日は、おそらく、かなり満足なのではないだろうか、と思った。

 一緒に行った人は、汗びっしょりで着替えて、それから、駅まで歩きながらも話もした。もう少しで、の子にさわれそうだった。ペットボトルにはさわれたけど、と笑っていた。楽しかった、と言っていて、私も楽しかった。

 そして、勝手な推測だけど、おそらくこの世から完全に否定されたような気がしていた時期があったから、今、こうして曲を作って、歌っているのではないか。の子が、このことを続けて、伝わることで、満たされて、音楽を作らなくなったけど、うそみたいに穏やかになる未来、というのもいいかも、などと、年寄り臭いことを、思った。今日は、すごくよかった。

2013年、3度目のライブまで

 それからも、の子さんも頑張っているんだから、みたいなこを、時々、思いながら、iPodで曲は聞いていた。「ロックンロールは鳴り止まないっ」は、カウントを見たら、いつのまにか1000回は超えていた。

 
 2011年の夏にアルバムを買った。まだモノがないと安心できない世代なので、CDを買った。

 その後、いわゆる、ヒット曲がそんなにあるわけでもなく、最初のアルバムにあった、ものすごい集中力みたいなものではなく、ややハッピーな曲も増えてきた、ということは、それは、だんだん認められるようになってきた、という環境の変化と無縁ではないのだろうと思った。

 2012年になった。
 こんなことを思うのは、本当に熱心なファンでないのかもしれないけれど、これからも、思いをきちんと出して、それが作品に結びつき、いつのまにか、落ち着いて、普通に穏やかな人間になっていったとしても、それは幸せなのではないか、みたいなことを、やっぱり思ったりもした。ただ、この1年間くらい、あまり曲を作っていないのではないか、などと感じていた頃、2012年の秋に、新しいアルバムが出た。

 このアルバムを聞いた時は、最初はあまり印象に残らずに、エッジがきいていない気もして、なんとなくもの足りなかったのだけど、でも、何度か聞くと、普通にいいアルバムで、その普通さみたいなものを求めていないのかもしれない、ということを自分で気がついたりもした。自分が、勝手だと思った。

 2013年用の、ずっと8月が終わらないカレンダーは買った。

 そして、2012年の末には、来年が明けてからのライブのチケットを買った。


2013年1月5日。Zepp DiverCity Tokyo

 それでも、久しぶりに行ったライブは、すごくよかった。「おっさんの夢」という曲も、生で歌っていたのは、すごくよかった。安定した表現に見えた。まだ、これからなのかもしれないし、解散するかも、みたいな感じはなかった。

 直接的な感じを失わずに、観客との距離も近くて、それでいて、曲が始まると、ボーカルが、違う存在になるような感じと、目の力の尋常でない力も相変わらずで、だから、また行きたい、という気持ちにもなった。の子も、御礼を素直に言っていて、このライブは残ると思う、という言い方もしていたし、それが、観客としてもうれしかった。アンコールの「23歳の夏休み」の前、「年は関係ないんだよ。40歳でも、50でも」と言ってくれていて、妙にうれしかった。素直にがんばろうと思えた。

タワーレコードでのミニライブ

 そのあと、「神聖かまってちゃん」の活動は、ゆるやかになっていったようだった。それと共に、勝手なものだけど、こちらの関心も、2013年のライブをピークに、下がっていくようだった。

 それでも、気にはなり続けていて、2014年のアルバムは購入した。

 2015年にはベストアルバムが出て、その発売記念に渋谷のタワーレコードの地下のライブスペースでのミニライブには行った。そこに行くと、この世界でもっとも人気のあるバンドに見えるのはあいからずだったし、変わらず、集中力の高い演奏を見せてくれるのは、やっぱりうれしかった。

 2016年、夏にミニアルバムが出て、やっぱりタワーレコードでミニライブがあった。
 始まる前から、前方の人たちの熱気はすごい。時間になって、メンバーが出てきた。演奏される曲がセンチメンタルで、インパクトというよりは、ポップソングとして洗練される方向に行くのかな、などとも思いながら、聞いていた。

 曲の合間の話がグダグダしながら、オリンピックの卓球の話題をしていたりもして、相変わらずだったのだけど、前よりも、メンバーが仲いいな、というような印象になっていた。そして、最後の方で、「来年、再来年も、ここでやる、その時にアルバムを出す」という話をしていて、少し安定感が出て来たのかな、と思って、そして、ビッグになる、という言い方もしていたが、なんだかうれしい気持ちにもなった。


次のアルバムが出たのが、1年後の2017年だった。

2018年にもアルバムが出た。

 どちらも気にはなっていたけど、買わなかった。
 その間、アニメのテーマ曲になったり、映画で曲が使われたりもしていた。


 2018年の12月。個人的な出来事だけど、義母が103歳で亡くなり、介護生活が、19年で、突然終わった。

 その頃、何かの拍子に、なぜか、「神聖かまってちゃん」の話になったことがあった。
 今どうしてるんですか?と言われた。別に、そんなに熱心なファンでもなくて、だから、何かを言う必要もないし、言える資格もなかったのだけど、「今もやってますよ、そんなに変わらないのに続けてます」みたいなことを、どぎまぎと、ぎこちなく言葉を返した。

 そして、「神聖かまってちゃん」のメンバーの1人が脱退することを知った。

2020年。メンバー脱退

2020年1月13日。Zepp DiverCity Tokyo
 起きて、今日はライブに行く日で、久しぶりで、なんだか緊張をするのは、ライブはやっぱりまだ慣れていなかったせいだった。
「神聖かまってちゃん」のメンバーの一人が抜けるということを知って、久しぶりにチケットを予約した。ダイバーシティトウキョウ、も久しぶりだった。その前にギャラリーに寄って、電車を乗り継いで、目的地に向かって歩いて、その途中でトイレに寄って、着替えた。思った以上に、もう汗をかいていた。

 それから、ライブハウスへいき、階段をくだって、チケットを準備して、ドリンク代が600円です、と声が何度も聞こえて、機械的に入り口でチケットをもいでもらって、600円を渡してドリンクとの交換メダルをもらい、中へ入る。新しいアルバムも販売もされていた。

 会場に入ると、ほぼ満員だった。まだこれだけ人を呼べるんだと思い、勝手な気持ちだけど、ちょっとうれしかった。若い女性も多く、メジャーデビューから、もう10年たっていて、どの時期にファンになったのだろうと思い、そして、ライブが始まる。

 あれだけおっくうだったのに、けっこう気持ちは盛り上がって、そして、4人が以前より楽しそうで、仲がよさそうで、ボーカルも安定しているように見えた。それで、今日で、一人抜けるんだ、と思うと、いろいろなことは思う。ベース担当の、ちばぎん 。それも2人の子供ができて、経済的な理由でやめる、と聞いた。

 会場のほぼ一番うしろだから、それほど動かないけど、そばに全身で踊るように動いている女性がいて、ああすごいなとも思うし、右に自分くらいの男性がいて、腕を低めにあげていて、でも、それもすごいなとも思う。
 時間が進んで、思ったよりもきれいなステージで、ボーカルの、の子さんの声も出ていて、さらに時間が進んで、終わる。「おわりは来るんだよ」と繰り返していたから、と思ったけど、アンコールは、この日やめる、「ちばぎん」という声の繰り返しで、そして、アンコールで、「ロックンロールは鳴り止まないっ」のイントロが流れ出すと、もう最大に盛り上がって、それでも、私は、もう体はほとんど動かなかったのだけど、聴いていると、気持ちは、すごく盛り上がった。

ダブルアンコール 「23歳の夏休み」

 ツアー最終日だから、ダブルアンコールだった。
 最後に、今日は、ちばぎんのセットリストで、最初に「怒鳴るゆめ」を選んだのは、ちばぎん自身が、最初に聞いた の子の曲だったから、という話から、最後は「23歳の夏休み」だった。

「かまってちゃん」を教えてくれた若い人が、一度一緒にライブに行った時に、前にいって、躍りまくっていたのだけど、その時に、この曲をやらなかったよね、と言っていたのを思い出し、そして、曲の途中で、歌を客に任せて、の子さんは、何か別の動きをしていた。

 何か取り出して、用意していたのは、幼稚園の時に、ちばぎんの家に行って、パクった「キラカード」だった。そして、それを今回、見つけて、歌詞に合わせて、ちばぎんの背中にはる、という展開だった。なんだか、うそみたいによくできた話だったけど(歌詞では、もらったことになっているけど)、メンバーの男性3人は幼稚園からの知り合いで、そして、ちばぎんは泣いていたようだった。

 最後の曲が終わったが、そのまま、きれいに終わらず、の子さんは話し続けて、気持ちを爆発させろ、と繰り返していた。おわらなかった。最後は、ちばぎんが肩車をして、退場をしていった。

 節目とも言っていた。年月のことも繰り返し言っていた。「おまえらも、年をとっただろう」と言っていた。確かにそうだった。あの時は40代で、今は50代になった。これから、節目で、ここで転んだら、本当に終わりの毎日になると思うけど、でもがんばろうと思う。  

 これから先、10年前のような集中力ではないけれど、それでも、まだ、3人になった「神聖かまってちゃん」は、見続けると思う。そして、絶望のあとの希望をいつも指し示してくれる「ロックンロールは鳴り止まないっ」は、ことあるごとに聴き続けると思う。


 そういえば、初めてライブハウスに行った時に、特典でもらった「神」Tシャツは、何度か着ただけなのに、見当たらなくなってしまった。それも、いつか見つかればいいな、と思っている。


 今回、やたらと長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 この「とても個人的な音楽史」は、⑤で一区切りになります。
 次回からは、「個人的な音楽史 ヒット曲編」として、昔から、気がついたら耳にしていた音楽について、書いていく予定です。音楽的には、まったくの素人の自分が、時代ごとにどんな音楽が聞こえてきたかを伝える事で、その記憶を共有し、さらには違う視点なども教えていただければ、と思って、書きたいと考えました。



(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしいです)。

とても個人的な音楽史③「シド・ヴィシャス」の「マイウェイ」。

とても個人的な音楽史②甲本ヒロトの歌声

とても個人的な音楽史①ボブ・ディラン

マラドーナの、異質な行動の意味を、考える。 1994年と、2010年のW杯。

とても個人的な音楽史④「サンボマスター」 太い輪郭



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