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読書感想(おちまこと)

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読んだ本の感想を書いています。
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#芥川賞

読書感想 『コロナの時代の僕ら』 パオロ・ジョルダーノ  「不安の中での知性のあり方」

2020年に入ってすぐの頃、1月くらいを思い出そうとしても、とても遠くに感じる。そして、今とはまったく違う社会だったのだけど、それも含めて、すでに記憶があやふやになっている。  それは、私だけが特殊というのではなく、今の日本に生きている人たちとは、かなりの部分で共有できるように思っている。 海外の人たちへの関心の薄さ  最初は、そんなに大ごとではなかった。  新しい病気がやってきそうだけど、そんなに危険ではない。あまり致死率が高くなく、いってみれば、毎年、流行を繰り返す

読書感想 『東京都同情塔』 九段理江  「とても強い小説」

 どんな本を読むのか。  自分がそれほど早く本を読めるわけでもなく、若い時から古典と言われる作品をたくさん読んできたわけでもない。読書の習慣がついたのは、中年と言われる年齢になってからだった。 本を選ぶこと だから、どの本を読むのかについて、ただ自分の感覚に従って、例えば昔のレコードの「ジャケ買い」のように、本の表紙や作品名だけで選んで、それが自分にとっての名作であるような鋭い選択をできるような自信は全くない。  ただ、それでも色々な本を読むようになって、ラジオやテレビ

読書感想 『うるさいこの音の全部』 高瀬隼子 「知名度が上がることのどうしようもない閉塞感」

 芥川賞や直木賞は、今も注目を浴びやすい。 芥川賞 その作品を読んでなくても、読んでその優れたところがわからないとしても、芥川賞作家は、すごい。  そんなことは、今も常識になっているのだと思う。  そして、もう少し情報が豊かになると、直木賞は広く読まれ、芥川賞は芸術性が高い、といった見方はいい方で、芥川賞は、わけが分からない、などという言葉も何度も見聞きしたことがある。  文藝春秋という一つの会社が創設した文学賞が、これだけ広く浸透し知名度があるというのは少しでも冷静

読書感想 『苦役列車』  「正直を極めることの美しさ」

 その作家は、21世紀には、もしかしたら珍しい存在になった「私小説作家」であることは知っていた。それは、芥川賞受賞会見での受け答えでの印象とも真っ直ぐにつながっていた。  それでも興味がありながらも、読めなかったのは、自分が、ちょっと怖く感じていたのだろうと思うけれど、その西村賢太に関するドキュメンタリーは見た。  その中で、著名な人だけではなく、いわゆる西村賢太のファンでもある人も出てきて、かなり熱心に語り、同時に、自身の配偶者の女性にもすすめて、だけど、その女性は、か

読書感想 『ハンチバック』  「受け止めきれない怒り」

 2023年の芥川賞受賞作は、ニュースなどで知っていた。重度障害者では初めての受賞だと報道された。  そう指摘されて、普段、本当に考えていないことに気がついた。  そして、そうした受賞時の言葉にまで、これだけの力をこめられることはすごいのだと思ったのだけど、それは、自分も含めた社会の環境を考えると、やはり「2023年になって初めて」なのは、とても遅くて、問題なのだろうと思った。  読む前に、多少、心が構えてしまった。  それ自体が、いろいろな意味で問題があることなのは

読書感想 『この世の喜びよ』 井戸川射子 「名づけられない幸せ」

 前作・『ここは、とても速い川』については、作家・保坂和志が、涙を流した、といったことを言っていたので、読んだ。  あまり経験したことのない速い文章のリズムなのに、静かな感じがした。  それでも、泣くまではいかなかったので、きちんと読めなかったのではないか、といった不安もあったのだけど、不思議な感触は残った。  井戸川射子は、1987年生まれ。だから、新しさを伝えることもできるはずなのに、すごく新しい感じはしないし、かといって古くもない。というよりも、作者の年齢自体がわ

読書感想 『嫌いなら呼ぶなよ』 綿矢りさ 「折り目正しい“闇”」

 とても恥ずかしい話だけど、だいぶ長い間、「わたや」ではなく「めんや」だと思っていた。  2004年、19歳で芥川賞受賞、同時受賞が、20歳の金原ひとみだった。そのことは、ニュースとして覚えている。  勝手な個人的な事情だけど、その頃は、仕事も辞めて介護に専念していて、しかも、その家族の症状が悪くなっている頃で、自分は社会から断絶し、そこから落っこちている状況だと思っていたので、そういうニュースはまぶしすぎて、怖いくらいだった。  そのせいか、その後、中年になってから、

読書感想  『ギフテッド』 鈴木涼美  「静かに繰り返すリズムで描く独特の世界」

 とても失礼な読み方なのかもしれないが、興味を持って読んで、面白いと思っていた小説が第167回の芥川賞候補で、気がついたら4作を読み終わり、あと1作品だけになっていたので、やっぱり『ギフテッド』も読もうと思った。  さらに勝手な理由なのだけど、この小説を読むのをためらっていたのは、この著者の「ニッポンのおじさん」と「AV女優の社会学」を読んでいて、この2冊だけで判断などをするのは、やっぱり失礼だと思いながらも、対象と距離をとって書く人、といった勝手なイメージができていたせい

読書感想 『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子 「“組織の日常”の分かりにくい怖さ」

 タイトルと、装丁は、柔らかく温かい。  読み始めも、その印象を裏切らないような感触だったのだけど、少しでも読み進めると、それがまったく違うことが嫌でも分かってくる。  怖いと思っても不思議ではないし、かなりえげつないともいえる細部の描写もあるが、それでも、その文章の清潔なリズムのせいで、ページをめくってしまう。  なんだかすごい。 『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子 二谷という男性社員。芦川と押尾という女性社員。  同じ会社に勤める、この3人が中心に

読書感想   『おらおらでひとりいぐも』 「孤独の多面性。老いのその先」

 この作品が、芥川賞を受賞したときのニュースは覚えている。  かなりの高年齢になってからの受賞で話題になった。  だけど、このタイトルで、方言なのは分かるので、生まれた場所を中心にすえた話だと勝手に思って、なんだか敬遠していた。 『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子 芥川賞受賞は、翌2018年だから、単行本の初版では、そのことは書いていない。改めて経歴を見ると、自分のイメージよりは意外と最近の受賞で、しかも、自分が無知なだけだけど、映画化までされていた。  先に妻が

読書感想 『旅する練習』 乗代雄介 「人生のすべてが詰まった時間」

 小説家の叔父と、サッカーに祝福されているような小学生の姪。  その二人の千葉から鹿島までの旅。  叔父は、風景描写を。  姪は、サッカーを。  それぞれが練習しながら、利根川沿いを歩いて、旅をしていく。  それは、コロナ禍だから、奇跡的に実現したような時間だった。 「旅する練習」  乗代雄介  姪が、黙って借りたままになっている本を返しにいく、といった目的や、叔父と姪が二人で歩いて旅行に行くことも含めて、条件だけ並べていると、設定に、やや無理があるのではないか、と作者以外

読書感想 『破局』 遠野遥 「語られていないこと」

 よく考えたら、文藝春秋という出版社の「賞」に過ぎないのに、今も文学界の中で最も注目もされ、その「賞」をとったかとらないかで、昔で言えば歌手にとっての「紅白」に出ているか出ていないかに近いほどの違いが今だにあり、一般的なニュースにもなるから、不思議な気持ちになる。  そして、今年は、コロナ禍という特殊な状況の中での芥川賞・直木賞の発表があり、授賞式があり、芥川賞は2人が受賞し、高山羽根子(リンクあり)と、遠野遥だった。  遠野は、初めての平成生まれの受賞者であり、記者会見

読書感想 『首里の馬』 高山羽根子 「有用性の向こう側」

 芥川賞と直木賞の予想と、その選考結果について書評家の2人が話し合うラジオ番組があって、それは、とても率直で、取り上げられた小説を読みたくなるような話が繰り広げられていて、ここ数年聞くようになった。  文学という世界から見たら、自分のしていることは、にわかファンみたいな行動なのだと思うし、読みたくなる、といっても、そんなに全部は読めないし、作品によっては、ラジオで聞いていた時のほうが面白いこともあった。  とても遅いとは思うのだけど、小説を語ることも、当然だけど、それは一