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青森県民の皆さん、原子力に関心はありますか


東京から青森に引っ越して一年。
日々様々なギャップを感じる中で、どうしても気になることがある。

原子力について。

気にはなるけど言ってはいけない気がして、あまり人に話せないでいた。

でも、一年経った今。
そんなことを言っている場合ではない気がしてきたので、少し勇気を出して書いてみる。

津軽も他人事にはできない


わたしが住む黒石市は、青森県の西側、津軽地方に属する。

原子力施設が主に立地している、東側の下北半島からはわりと距離がある。

それでも、引っ越してすぐの頃から「原発立地自治体」を感じられる要素がたくさんあった。

たとえばこういうもの。

役所で目に入った「むつ小川原地域・産業振興財団」の助成金のチラシ。これは簡単に言うと原子力マネーだ。

テレビをつけていると流れてくる「原燃ふれあいコンサート」のCM。明るく読み上げられるそのタイトルが不気味だ。

これらは独特の空気を放つ。
明らかに東京にはなかった空気。わたしにとっては異質なもので、その気配を感じるたびにぞわっとしている。


日本原燃の敷地に初めて立ち入った日


夏になると、日本原燃や関連会社の方々を対象とした、中元ギフト向け商品の販売会が行われる。

カタログに掲載された県内の事業者が、商品を持って関連施設に赴く。

そこで試食を提供したり、商品を販売したりする。

わたしも、市内から出展する事業者の方のお手伝いに行かせてもらうことにした。

行くと決まると、まず事前に書類であらゆる情報を提出する。名前や免許のコピー、体重など。

そして当日、初めて入る敷地内。

提出した書類をもとに、一台ずつ車を確認。
降りて並んで、人間も確認。

それぞれ再び車に乗り、列になって敷地内を移動。危うくはぐれそうになる。やっと辿り着いたゲートでまた確認。

・・・といった具合に、広大な敷地内で、ものすごい回数の確認をされながら、わたしたちは再処理事務所へ向かう。

とても煩雑な手続きだが、毎年のことで慣れている事業者の方々は「ここはたくさん買ってもらえるから」と笑顔を見せる。

そして自然に中指を出し、機械に静脈を登録する。

怖かった。


黒石も他人事にはできない


その翌月、黒石市内で地域のイベントがあった。
出場者を募集し、競うコンテスト。

そこに、先の販売会で顔見知りになった日本原燃の社員の方が出場されていた。

このイベントに出るために、わざわざ黒石まで・・・?と思ってしまったのが本音だ。

決して「こんなイベントに」と言いたいわけではない。

イベントはすてきだった。
遠くから人が来てくださるのもありがたい。
ただわたしには、どうにも不自然だった。

一方で、市内の方々は自然に受け入れている様子。

素敵なことだ。当たり前だ。
遠くからわざわざ来てくれた人を歓迎する。
そうでありたい。いつもなら。

「嶋田さん、原燃の人たちと名刺交換した?まだしてねえば、した方いいよ」とかけてもらった言葉。

明確にモヤっとしたのを覚えている。
どうしても、最後まで違和感が拭えなかった。

原子力施設からは距離があるように見える津軽。でも原子力に関係するものは、こんなにも自然に溶け込んでいる。

日本原燃や、関連会社の「ご近所付き合い」が功を奏している。

これが原発立地自治体なんだ。
そう思った。


避けているのか、無関心なのか


原子力について、日頃あまりに誰も口にしないので、青森県民にとってはタブーな話題なのかと思っていた。

そのため、誰にでもぺらぺら喋る勇気はなかったが、何度か話題に出せそうなときを選んで話してみたことがある。

そこで返ってくるのは、主に「それで食べてる人もいるから一概には言えないよね」というような言葉。

まるで他人事だ。

でもきっと当たり前だ。前の世代からそうして来たのだろう。そうなるように誰かが仕向けたのかもしれない。

もしここに生まれていたら、わたしも同じように答えるように育ったかもしれない。

しかし、今こうしている間にも「何かが漏れた」「ずさんな管理」のようなニュースが結構な頻度で出ている。大々的には報じられなくても。

いつまで「一概には言えない」にしておくのだろう。

ここでよく考えずに放置すれば、次の世代が大人になる頃には、時間が経つうちにたくさんの思惑がはたらき、きっとさらに複雑な問題になる。

もっと「一概には言えない」ことになる。

もしくはその前に何かが起きて、それどころではなくなっているかもしれない。

そうなってしまってからでは遅い。


福島


少し前に、青森へ移住してこられた福島出身のご夫妻とお話する機会があった。
お二人は2011年の原発事故に関して「福島が申し訳ない」と仰っていた。

わたしにしてみれば、それまで何も考えず、東京で呑気に電気を使っていたことが申し訳ない。

一旦そう思った。そしてすぐに思い直した。今はどうなんだ。


このとき、いまや自分も原発立地自治体の住民であることを強く自覚した。

このままでは当事者として「青森が申し訳ない」と言うことになる可能性がある。

嫌だ。

それを言うことが、ではなく、大好きな青森がそうなってしまうことが嫌だ。

本当は、青森がどうだなんてことではなく、日本の問題だ。

原発立地自治体の前に、原発立地国。
福島のことだって、とっくにみんな当事者のはずだ。

日本に安全地帯はない。どこで何が起きてもおかしくない。

でも、本当に自分事として考えるって難しいことだと思う。
もともと災害に関心があったくせに、自分だって到底できていなかった。

お二人の言葉は悲しかった。
福島の教訓だと思った。活かさないわけにはいかない。


とはいえ、正解ってなんだろう


ここまでまるで分かったかのように、偉そうに書いてきてしまったが、問題はとても大きくて根深い。

六ヶ所村の真っ直ぐな道、東通村のひとみの里、大間の新しい役場、有刺鉄線や監視カメラ、関係者以外立入禁止の看板。

これらの不自然な光景。
見るたびにざわざわする。そして調べるほどに何となく絶望する。

原子力マネーに頼らず、自分たちでどれだけ稼げるようになれば抜け出せるのだろうか。

その前に、抜け出そうとするのが正解なのかも分からない。資源は枯渇に向かう。

こんなことを言っては元も子もないが、わたしが今いくらどう頑張っても、きっと全然解決できない。

わたしにできることなんて何もないかもしれない。

でも、見ないふりをして逃げるのは無責任だ。

今を生きる大人として、次の世代に申し訳ない。

ここにしっかり向き合いもせずに、今後もし子供を生むようなことがあった場合、それは罪かもしれないとさえ思う。

せめて、一人でも多くの人と一緒に考えられるようになりたい。

そのためにはまず知識がなさすぎるので、勉強することにした。


これからやること

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たまたまCMで見て即応募した、げんねんレディースモニター。

講義や施設見学を通じ、一年かけてエネルギーや原子力について学ぶ。
それに対して参加者が意見を述べるというもの。

まずはここでちゃんと学んで、何かしら自分の言葉で伝えられるようになる。そしてまた思うことを書く。

◇◇◇

いま、わたしの頭の中では「青森の方々(特に津軽の方々)は原子力にあまり関心がない」という仮設が立っている。

勉強と並行して、それを検証してみたい。

原子力だけが問題ではない。
風力や太陽光だって問題だらけだと分かった。

でもまずこの記事が一歩目。
とても緊張するが、外に出してみないことには何も起きないと思った。


ひとまず、

「ヨソモノ目線で見た青森は、ものすごく原発立地自治体だ」

ということが、一人でも多くの方に伝わりますように。


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