97.人を殺してはいけない理由

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こんにちは
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97.人を殺してはいけない理由

以前書いた記事に
「祓うとは魂を消滅させ人が人を裁く事になる」
と書きました
魂を裁くのは神様しか手を出してはいけません

ですが魂に限らない部分では
人が人を裁かなければいけない場面があり
裁判官の仕事であったそれが
裁判員裁判導入となりグッも身近になりました

とある友人がある日に
裁判の動画をみてこんな事を呟いていました
「理由があって
人を殺していい一般人
が、居たんなら法律は必要ないよな」

これを聞いて
自殺は殺人では無いのか?と疑問に思いました
人を殺していい一般人は法律上居ない筈なのに
自殺についての法の縛りがない
自殺と尊厳死の違いは?
その事について考えてみました

無差別殺人や快楽殺人となれば
人生や経験を奪う事への批判は
比較的わかりやすいものとなるだろうけど

「理由」のその部分に自殺と尊厳死を含むとしたら
どうなるのか
人を殺していい一般人が手にかけるのが
自分の命だったらどうなるのだろう?

命の危機を感じる程の体調不良に見舞われた事がある
余りにも体調が悪くて
震えが止まらない痛みと吐き気を感じた時に
こんなに痛いのが続くのであれば
死んでしまった方が楽かもしれないと考えた

闘病生活が長い人ならば
そう考えついてしまう日もあるだろう

師匠は心臓の病気がありかなり苦しんでいた
其処に追い討ちを掛けるように霊障が加わり
かなり辛い状況がずっと続いていました
死にたいと心が折れてしまう日々もあって
そんな師匠の側にいて尊厳死を考える事もあった
もう解放してあげて欲しいと感じていました

解放してあげて欲しいと思えたのはもっと昔にもあった
闘病生活の苦しみを小さい頃に目の当たりにした
苦しい痛いと苦しむ患者は父で
看護し続ける母は心も体もボロボロになっていった

それでも生きたいと願い
この世から離れる事や私達を残して逝くのを悔やんだ
そんな姿を見て「解放してあげて欲しい」と感じた
幼かったからそんな風に思ったのかもしれない

でも今となり年月を経て
「人が死ぬ事は魂の死では無く神様の元に戻る事」と
理解してから改めて考えてみると
余りにも無理矢理に命を繋ごうとするから
余計に心残りが膨らんで魂が囚われてしまうと感じた

魂が囚われその場から動けないのなら
地縛霊になる可能性がある
そうならない為には無理矢理に命を繋ぐのではなくて
自然の形に近い命の終わりを示す必要が
あるのではないかと考える様になった

人は地縛霊などになり現世に留まってしまうと
自分の力だけでは昇天する事ができません
そしてそのままで居ると忌物や人の念に取り込まれ
いずれ厄介な悪霊となり祓われ魂が消えてしまいます

「人が死ぬ事は魂の死では無く神様の元に戻る事」
神様の考える人の死は人が考えるモノとは
違うという事です

神様にとっての人の死は
「帰ってくる」っていう解釈です
なので必ずしも死ぬ事は悲観するモノではない

神様にとっては1番大切なのは経験です
人が人生を過ごすのは経験をより多く積むのが目的です
そして人生とは学校生活のようなモノです

神様が人に生を与えるのは
学校(現世で生き過ごす事)に
子供を通わす親の気持ちに近いです
なのであまりにもその人にとって辛いだけで
成長の糧がないような人生だったら
家に帰ってくる(死ぬ事)ほうがいいと
判断する事もあります

ただ、学校に行った限りは
「学校での人間関係を辛くても
なるべくしっかり沢山学んでほしい」
そんな風に思われています
人の思う死とは随分とかけ離れていますよね

人は生まれる前に人生を決めると言われています
そしてそれは自分だけのモノではなく
その人生で関わる全ての人の
人生の一部も担う事となります
自分が人生の岐路で選んだ選択肢から
亡くなる結果になったのも
経験すべき流れと自然になったのかもしれません

しかし医療進歩からの延命は自然と言えるでしょうか?
戻っておいでと道が出来ているのに
それを阻害している事になる
無理矢理伸ばす時間を過ごせば欲も出てくる
欲は時に人が昇天する時の足枷になってしまう
そうやって考えると尊厳死の必要性も出てきます

しかし自殺と尊厳死の線引きなんて
他人が出来るものではないから難しい

自殺は殺人です
自殺は自分の命と自分の人生に関わる全ての人の
成長する為の糧を奪っている
自然な死では無いのです

※自殺についてのリスクは記事の「自殺禁忌」に
書いているのでご興味ありましたら読んでみて下さい

自殺をすれば魂を傷つけてしまう
それは元に戻る事のない傷となるし
回数を重ねてしまえば
魂は消滅してしまう恐れもある
そう考えると自殺は
人(自分)が人(自分)を裁いている事となる
神様の仕事を人が勝手にしてしまう行為
禁忌を犯す事になります

なら心が死んでしまったら
それは自然な死とどう違うのだろうか?
心が死ぬと靄に身体を奪われて魂がいずれ消える

きっとその為に死神という存在が居るんだと思います
死神は魂を護る存在でもあるんですね
彼等はとても仕事に忠実でした

尊厳死は自然の命の限りを超えない事
自殺は魂を消滅させない為にしてはいけない
魂を護る為に命の期限を伝える神様がいる
そうやって考えると魂の権限は神様だけだとわかります

また人を殺したり殺されたりすると
因縁や怨恨など靄の元が発生してしまい
忌物や浮遊霊なども其処へ寄ってきてしまいます
そうなると魂の危機を迎える事になるので
加害者の魂と被害者の命の両方を護る為にも
人殺しは避けなければいけなくなります
魂を護る為のルールを犯さない為です

最初の方に書いた友人の呟き
「理由があって
人を殺していい一般人
が、居たんなら法律は必要ないよな」
というのにはもう一つの決まり事である
「魂の権限を人が持たない為」に
理由があっても人を殺してはいけない
という結論に辿り着くんですね

誰かの生殺与奪の権利一つで
関わる心と人生がどれだけあるか
其処に想像力を働かせると
命を奪うなんて考えられない
命を奪った事への罪悪感や

自分がした事の後悔や大きさの認識は
実感を持とうとしない限り結局は学ばないし学べない

食事や生きる事が
生き物の命を奪う事だと言う事に意識が向かない

日々の今の命に目を向けれない人には
人の命の重さや尊さも未知数過ぎて
奪ったとしても現実味を持たす事が出来ないのであれば
それは意味を成さなくなる

法のもとで裁く人々には
命と魂についてしっかり考えてみて貰いたいです

97.人を殺してはいけない理由