94.見る目

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こんにちは
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94.見る目

※神様は話の中に出てきません

友人とは全く違うのに一緒に過ごせば
お互いの精神を成長させる鏡になる
思えば不思議なものです

人間関係を築く中でお互いを写していた鏡は
いつの間にか自己投影となって
己を受け入れる難しさを垣間見せるけど
そんな時にもやっぱり友人の存在が糧になる

友人はとても器量良しだ

華やかな見た目
細やかでさり気ない気遣い
機転のきいた受け答え

でも私は彼女の

人の価値を地位やお金ではなく
結果は別とした努力そのものを評価して
その人の人となりとして見る力

其処が物凄く優れていると感じ尊敬している
見る力を育んだ背景は経験からきている
他人は一面しか見えず見ようとしない限り見えてこない

肩書きやブランドに信頼を寄せる事に慣れすぎてしまい
いつの間に全ての基準がそうだった
相手を知るのもまずは肩書きから
「お仕事は何をされているんですか?」
それを基準に自分の知ってる知識内で
その仕事への思い込みと偏見で「その人の人となり」を
勝手に自分の中で決めてかかっている

今度はその「自分が決めた偏見」の中と
どれだけ相手の発言や動作が
擦りあっているかで相手の内面を推し量る
相手の失敗を見れば「人だからね」
と思い相手と向き合い始めるのに
少し経つとまた力量や中身を見ずに
結局気づけばブランド肩書きが基準になってる

そうやって決めつければ人と向き合わなくていい
人と向き合い心を擦り合わせるのは
気力も体力も愛情も必要で
とてもしんどいモノとなる

そうやって向き合う事から逃げて
決めつけてる人が多いので

もう随分昔から「人と向き合っている」と
言える人は居ないのかもしれない

友人は向き合う事を苦手としていたのに
不思議とブランド肩書きに振り回されない
自分で見る目を持っていた

情けない事に私はブランド肩書きに偏見で
人や物事をみる癖は抜けていない
そして抜けない限りどんな形でも騙されるし

見えている物も事も濁っている

ある人は数年ぶりの再会に
私が変わってしまったと表現した
挙げられた変化は知り合った頃から内包していただけ

それを表立って表現してはいなかった

お酒を飲んで豹変する人もそう
その人の見せなかった部分が露見しただけ
お酒を飲んで暴れる人や攻撃する人

ダメな面が出てしまう人は
お酒を飲むからダメになるのではなくて
お酒で露わになったその人の内面

ネットもそうなんだと思う
私はネットだとウザ絡みしたくなるし
かまってちゃん攻撃したくなる
リアルはバレないように無意識にしている
そうやって誰しもが隠す自分を待っている

人の価値ってなんだろう?

DNA、香り、記憶、思考回路、発想力、思いやる心
感じ方の表現力等あげればキリがなく
全く同じ人が居ない替のない唯一無二の存在の価値

改めて存在意義を求める必要があるのだろうか?
「私がが私である事が素晴らしい」
心から自分に対してそう思える人は一握り
価値を外に求める限り増えない

人との競争が前提の世界で

人付き合い、勉強、仕事、お金、地位
それらを奪い合う中で徐々に目減りしていった心が
余裕も時間もお金も奪っていった

仕事とお金が人の価値の基準なのがおかしい
それなのにおかしいと氣付く事がない

同調圧力への弱さからの自己肯定の為なら
他者を蔑むのも平気となり

周りの目から自分を守る事は
第三者の権利が蔑ろにされる事より大事とした人が
増えてしまったように思える
弱さや狡さや脆さは十分にみてきた


特にコロナ禍は人の弱さや脆さを浮き彫りにした

攻撃的で相手を軽んじたり直接貶める表現を使う人と
どこまでも丁寧に表現する人
最初は丁寧なのにどこか慇懃無礼な態度が滲み出る人が

直接的な表現になっただけなのか?
頑張って伝えた自分の思いが届かなかったもどかしさからくる攻撃なのか?

コロナ禍は自分を見直すキッカケの一つ

自分はどうするのかを決める事」だった
人生は連続した選択
「知らなかった」という事が免罪符にならない

それを思い知らされた

人が知らずにしている事は本当に多くて
自分が関わっているのにすら気づけない
その出来事を知っている人も大抵は数人で
しかも表立って目には見えない世界の事

だから関係者を責めても仕方ない
赦せなくて話せないし
知ることも無いけど存在する罪もある

コロナを通して浮き彫りになった自分の弱さや脆さ
隠し持った自分と向き合う必要性が出てきました

友人はこういう「人が隠し持った自分」を
「目を逸らしたい自分」を見つける事に長けて居た
それが彼女の生きづらさなっていたけど
私は彼女のそんな人を見る目の側に居たから
あの時には氣付けなかった事に
今更ながらと遅くはあるけど氣付けた
いつまでもその存在が私の成長の糧としてあってくれる
友人とはありがたいものです

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