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講師プロフィール


こんにちは、クライミング講師の浅井和英です。私のプロフィールを紹介します。

肩書き

佐久平ロッククライミングセンター代表、アンコールクライマーズネット代表理事、クライミング講師、山のcafeランプ経営責任者、お山出版編集長、道楽登攀代表、

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多分2004年ぐらいに

クライミングを始めました。(山と渓谷社ROCK &SNOW049参照)自分のことですがほとんど記憶がないので、プロフィールを確認する時には、雑誌の取材記事などを参照にしています。ありがとうロクスノ。感謝。

クライミングを始めて、何クソ根性で必死になってグレードを追いかけ、2年弱で当時目標だった5、13をレッドポイントして「グレードはもういいや」と、ドロップアウトして海外をフラフラします。

といっても持ち合わせがあまり無いので、東南アジアか、アメリカのサンフランシスコの友人宅に居候状態でクライミングに明け暮れます。クラッククライミングのテクニックはインディアンクリークで。スピード重視のマルチピッチクライミングのノウハウはヨセミテで磨きました。私のクライミングに対する基礎的な考え方はアメリカでの経験がベースとなっています。

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中国の経験

クライミングを始めてまだ間もない頃に、アートウォールの森山さんに連れられて中国のどこかを開拓したこともあります。場所も時期も覚えていないので、時々あれは夢だったのかと思うんですが、仲間に聞いて事実を確認しています。多分まだ5、13すら登っていなかったのでクライミングを始めて1年足らずだったかもしれません。

この時、中国で経験した自由なクライミングスタイルが、その後の開拓や、海外へのクライミングトリップに結びつきます。


国内では

最初に縄文人の篠原さんと、千曲川(佐久〜小海)のボルダリング開拓をするも、河川工事で90%の課題が砂利と化しますが「ああ、無くなったな」ぐらいの感じで、開拓のモチベーションは別の地域に向います。

私は終わったことにほとんど興味がありません。記憶があまり長続きしないので不便なこともありますが、その反動というか未来に対する興味は強いので、新しいことをどんどんやりたい私にとっては意外と便利です。

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2007年に開拓した八千穂高原ボルダーはROCK &SNOWで特集として紹介していただきました。そのあと私自身は行っていませんが、時々、動画を見たりします。たまに「登れたよ!」「他のラインも登ってみたよ!」といったメッセージが届くこともあり、とても嬉しい気持ちです。

ほかに、クラックで有名な湯川の河原沿いに、湯川ボルダー、というのもやりました。故・吉田和正さんもご自身のブログで「湯川で、ボルダー、、、」と書かれていて、同じような発想になるんだな、と同じクライマーとして少し嬉しくなったのを覚えています。

野辺山にほど近い杣添川ボルダーはそれからしばらくして開拓しました。

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2009年に

何か面白いことをやりたいと、大雪のサンフランシスコに行き、ディープスノーソロという普通のスポーツクライミングルートをフリーソロしたあと、雪の上に飛び降りるという遊びをしました。

その前に行ったベトナムで、クライミングのあと海にダイブするディープウォーターソロから着想を得ました。場所は、ハ・ロン湾です。

ちなみにこの時、地元ベトナムの公開プロジェクトを初登しました。名前はDourakutohan、ディープウォーターソロで5、12b、オンサイト初登です。

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アンコールクライマーズネット

そんなふうに遊んでいる中で、カンボジア、アンコールクライマーズネット元代表理事(故)伊藤忠男チュウさんに出会います。

彼と共に、カンボジアでのクライミング指導、岩場の開拓、氏が亡くなられたあとは氏の生涯のプロジェクトだったアンコールクライマーズネットの代表理事を引き継ぎました。

この時に開拓したルートは、ボルダリング、スポーツクライミング、トラッドクライミング、マルチピッチクライミングルート、と自分でも、もはや何本開拓したのか覚えていません。とにかく素晴らしい経験をさせて頂きました。

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国内の記録

ボルダリングでは覚えている範囲だと、八千穂高原などのほかに、2012年松原湖ボルダー開拓。2013年?市野萱ボルダー開拓。2014年荒船湖ボルダー開拓。六車ボルダー開拓。などがあります。

スポーツクライミングでは、軽井沢の岩場、佐久の岩場、若狭湾でクラック。

マルチピッチクライミングだと、兵庫県淡路島の福良の岩場を開拓。長野県佐久市の東トキンの岩場、宇宙ステーション5、10b(4ピッチ)があります。

そのほかにも、非公開の岩場での開拓は、公開している量の倍ぐらいはありますので、我ながらよくやったと思っています。

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海外の記録

海外は、2010年以降はヨーロッパ中心になりました。日本でなかなか成果の出なかった高グレードもヨーロッパに行くと登れる機会が多く、何よりノンビリとした雰囲気に惹かれました。

思い出深い国は、イタリア、スペイン、ギリシャ、などです。この時、スペインにあるマルガレフという岩場で5、13c(8a+)を登り、自己最高グレードを更新しましたが、日本に帰ってきて同じグレードを登ってもサッパリなので、私にはスペインがよく合っていたのだと思います。

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2016年に

子供が産まれてから、クライミングは随分のんびりしたものになりました。最近は、バリエーションルートや、マルチピッチクライミング、アルパインクライミングなど、景色を見ながらのんびり登っています。

クライミング以外にも、新たに古民家カフェをオープンしたり、書きモノをしたり、サーフィンを始めたり、変化が色々とあり楽しい日々を過ごしています。

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講師としてのモットー

子供が産まれたことにより、以前よりも穏やかに物事を観察できるようになったのは大変ありがたいことです。クライミング講習において講師は客観的、包括的なものの見方が重要です。

過去の技術に囚われすぎては的確な技術を伝えることは出来ません。
新しい技術にばかりに目を奪われてしまっては見落としているリスクに気付きません。

先にも書きましたが、私のクライミングに対する考え方やスタイルはアメリカで得たものが多いです。日本の山岳技術とアメリカの山岳技術、それらをバランスよく組み合わせて、より実践的な内容の技術をお伝えする事が出来ます。そして何より、クライマーはトップを登ることがやはり最高の瞬間だと思います。そのためのお手伝いをするのが私の役目です。

受講生の皆さんが山で命を落とさず、一生涯登れる技術を得てほしいと私は考えます。


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