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伊川津貝塚 有髯土偶 24:笠覆寺とUFO

愛知県名古屋市南区笠寺町の天林山 泉増院は本寺(ほんじ)である天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)の塔頭(たっちゅう:宿坊)です。笠覆寺の本堂は今回辿っているレイラインからはわずかに外れていますが、笠覆寺を紹介しておかないと、泉増院の本質は理解できないので、番外で笠覆寺の基本的なことだけを紹介します。
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愛知県名古屋市南区笠寺町 天林山 笠覆寺
名古屋市南区笠寺町  天林山 笠覆寺(放生池/白瀧大神社/辨財天/仁王門/本堂)

ところで、一般の人にとって「りゅうふくじ」という寺院名はまったくなじみがなく、「笠寺観音」という通称で通っている。
名古屋市の南区で「かんのんさん」と言えば、誰にとっても笠覆寺を意味する。
そして、名古屋市内南半分の地域で「笠寺」と言えば、その名称は誰でも知っている地名であり、誰しも「観音さん」を連想する。
泉増院と笠覆寺の間には旧東海道が通っており、笠覆寺の表参道の入り口は南側を通っている旧東海道に面している。
表参道入口右脇には「尾張四観音之一 天林山 笠覆寺」と刻まれた寺号標が建てられている。

愛知県名古屋市南区笠寺町 天林山 笠覆寺 寺号標/太鼓橋/仁王門

尾張四観音」とは徳川家康が名古屋城の築城に際し、鬼門と裏鬼門、その2鬼門と対称な方向に位置する観世音菩薩を奉る以下の尾張の4寺を定め、結界を張ったものです。

 (名古屋城の南々東)
 真言宗智山派 天林山 笠覆寺(本尊:十一面観音)
 (名古屋城の東北東)
 天台宗 亀井山 龍泉寺(本尊:馬頭観音)
 (名古屋城の西南西)
 天台宗 浄海山 荒子観音(本尊:聖観音)
 (名古屋城の北北西)
 真言宗智山派 鳳凰山 甚目寺観音(本尊:聖観音)

陰陽道を基にした考え方では、その年によって上記4方向を歳徳神(としとくじん:女神)が司るとされ、歳徳神のいる方向を「恵方(えほう)」と呼び、初詣、引越しなど、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる習慣となっている。
不思議なのは四方向なのに恵方は5年で一巡するようになっていることだ。
これには笠覆寺のある南々東だけが5年のうち1年目と4年目の2度、恵方が巡って来るようになっており、笠覆寺だけが特別な寺院であることが解る。
ところで、現在は恵方を向いて恵方巻きに齧り付くというもっともらしい風俗が定着しているが、ああした下品な食べ方の風習が伝統的な風習であるはずもなく、バレンタインチョコと同じような、現代になってから出てきた企画商品にすぎない。
関西(奈良・京都ではない)から始まった風俗ということで、お里が知れている。
笠寺観音は初詣、恵方、節分、六の日(朝市が立つ)のいつでも縁日が立ち、人で賑わう場所である。

寺号標の先は放生池(ほうじょういけ)に架かった幅4mほどの頑強な太鼓型の石橋がある。
頑強なのは初詣や恵方になった時の安全対策だと思われる。

橋の先には巨大な仁王門が設けられている。
この仁王門をくぐり抜けると短い石段があり、本堂に登るスロープに連なっている。

石橋の上から放生池を見下ろすと亀が中島や石垣上で甲羅干しをしている。

名古屋市南区笠寺町 天林山 笠覆寺 放生池

その数は300匹以上と毎年確認されており、通常は「亀池」と呼ばれている。
潅木に遮られて明確でないが、上記写真の放生池の北側(左奥の太鼓橋の右側)には辨財天と白瀧大神社(しらたきだいじんじゃ:天八千々姫命/白瀧姫命)が祀られている。

笠寺町 天林山 笠覆寺 放生池 辨財天

ここの辨財天は朱色が、まったく使用されておらず、丘陵上に瓦葺入母屋造の鞘堂(さやどう)が設けられている。
ここに私見で土偶と結びついているとみている辨財天が祀られていることも、笠覆寺を紹介する動機になっている。

辨財天の東隣には瓦葺切妻造棟入で白壁を持つ、人が出入りできるサイズの社殿が設置されていた。

笠寺町 天林山 笠覆寺 白瀧大神社

白瀧大神社の総本社と言えそうなのは群馬県桐生市川内町の白瀧神社らしいが、その創建は永久年間(1113〜1118年)に京から仁田山(群馬県)に嫁いだ白滝姫によって、機織ノ神である天八千々姫命(アメノヤチチヒメ)が祀られ、創建された神社だという。
天八千々姫命は天棚機姫神(アメタナバタヒメ)の別名だが、『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に登場する機織ノ神とされている。
白瀧姫命(シラタキヒメ)は尾張では「白龍神」とされていることが多い。

表参道の石橋の先には仁王門が聳えているが、1820年(江戸時代後期)に建立されたもので、屋根は本瓦葺入母屋造平入三間一戸の楼門で、横幅は8.93mという巨大な建築物で、東海道を行き来した人の記憶には必ず残るランドマークになっていたことだろう。

天林山 笠覆寺 仁王門

向かって右の間(ま)には寄木造の金剛力士(通称:仁王)阿形像(あぎょうぞう)が収められている。

天林山 笠覆寺 仁王門 金剛力士阿形像

像高は6m以上ありそうで、左手に金剛杵を持っている。
眼球は金色に光っている。

左の間(ま)には金剛力士吽形像(うんぎょうぞう)。

天林山 笠覆寺 仁王門 金剛力士吽形像/藁草履

対になっている阿吽(あうん)両像とも上半身裸形、下半身には裳(も)を身に着け、頭には髻(もとどり)を結い肩からは天衣を垂らしている。
両像とも間の壁には、それぞれ金剛力士のために願掛けで奉納された複数の藁草履が掛っているが、どの藁草履も比較的新しく、願が叶うとお焚き上げされているのかもしれない。
かつては、大きなものでは1足の長さが1.5mくらいあるものが掛っていたのを見かけたことがある。

仁王門の中央を通り抜け、石段を上がると、本堂に上がるスロープが設けられており、その左右には朱地に「南無十一面観世音菩薩」と白抜きされた幟が林立している。

天林山 笠覆寺 本堂

十一面観世音菩薩が笠覆寺の本尊で、寺伝によれば、呼続(北西770mあたり)の浜辺に打ち上げられた夜な夜な不思議な光を放つ霊木から彫り出されたものとされている。
この霊木は丹八山(たんぱちやま)の伝承では「丹八山の周辺の海岸に流れ着いた観音像の姿をした流木」とされていた。

本堂は本瓦葺入母屋造平入の建造物。
仁王門の2年前(1763~1818)に建立されたもので、横幅は18.38m。

本堂周辺の扉や瓦には笠覆寺の笠紋が入っている。

天林山 笠覆寺 寺紋

玉照姫(たまてるひめ)が雨に打たれている十一面観世音菩薩を見て笠で覆った故事がそのまま寺院名になっている。
この故事と寺紋の印象は個人的に強く残っていて、米国のロック・バンド、ボストンのファースト・アルバム『幻想飛行』のアルバム・ジャケット(下記図版)を初めて見たときは、思わず笑ってしまった。

BOSTON『幻想飛行』/『宇宙戦争』H.G.ウェルズ(エドワード・ゴーリー画)

イメージがそっくりだったからだ。

こんなサウンドだ。

以後のボストンのアルバム・ジャケットも、このUFOがイメージ・ポリシーとして使用されている。

ほかにイラストレーター、エドワード・ゴーリーによるSF小説の傑作『宇宙戦争』の挿絵の宇宙人の操るマシーンも笠覆寺寺紋を連想させる。
これらを見てしまうと、笠覆寺の笠紋がUFOにもエイリアンの顔にも見えてくるから不思議だ。

8年に1度公開になっている秘仏とは別に本堂に奉られた撮影可の笠で頭を覆った十一面觀音が以下だ。

天林山 笠覆寺 本堂 十一面観世音菩薩

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『笠寺縁起』によれば、霊木が流れ着いたのは天平8年(736)のことで、僧善光が十一面観音を刻み、小堂を建てて安置したことが笠覆寺の始まりです。当時は天林山 小松寺といい、笠覆寺の真南620m以内に位置した寺院だったそうです。



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