見出し画像

[大洗磯前神社+畝傍山東北陵 神武天皇+五社神古墳 神功皇后陵+武藏野陵 昭和天皇+伏見桃山陵 明治天皇+古墳+纏向遺跡+高野山 五輪塔+縄文土器] エネルギーを吸収する方法

日本は八百万の神々が住まう土地として様々な空間で神様に出会うことができますが、その待ち合わせの一つが鳥居です。神社はもちろんのこと、村の産土神や鎮守様、さらには個人管理によるお稲荷さんにいたるまで、ご神体が宿るところには必ずといってもよいほどに鳥居が存在しており、多くの日本人は鳥居を見ると聖域というイメージをもちます。

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ) 鳥居

神仏分離令が発布される以前はお墓にも鳥居が立っており、その名残として天皇陵や古墳ではいまだに鳥居が存在しています。ある意味、鳥居は神聖な領域へ通じる結界門の役割をもっているといえます。

初代 神武天皇 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
五社神古墳/神功皇后陵(ごさしこふん/じんぐうこうごうりょう)(第14代 仲哀天皇皇后)
第124代 昭和天皇 武藏野陵(むさしののみささぎ)
第122代 明治天皇 伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)

また、こんなところにも鳥居が・・・として、不法投棄が絶えない森林やマナー違反がみられる場所にも鳥居が設置されており、これは鳥居を見かけると神様に見られているような気持ちとなり、不適切な行動への抑制がかかることを利用した先人の知恵です。

家電、家庭ごみといった不法投棄を抑制するための鳥居対策

そういった鳥居にまもられてきた史跡を通して先人が描いてきた死生観や宇宙観についてお話したいと思います。

古墳(こふん)

古墳という言葉は文字通り古い墓を意味しており、3世紀後半から7世紀にわたり、多くの大型古墳が造られたため、その時代を古墳時代と呼ぶ。古墳時代は前・中・後期の3期タイプに識別され、前期の大型古墳は近畿を中心に顕在する。

前期の古墳は山稜上に多くあり、形態は円墳と低く、細い前方部をもつ前方後円墳が一般的である。副葬品には宗教的且つ、呪術的なものが多く、鉄製農工具も発見されている。これは被葬者が司祭者的な存在であると同時に、生産機能の集中的体現者でもあったことを示している。中期になると古墳は平野に多く現れはじめ、特に仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵/大仙古墳)といった2重・3重の濠(ほり)をもつ大古墳が出始める。副葬品は武器や武具、馬具をはじめ、金や銀の工芸品などの石製模造品がメインとなり、これは被葬者が司祭者から政治的支配者に変わったことが分かる。後期では古墳が山の斜面にも作られるようになり、規模は総体的に小ぶりであるが、その数は増加した。墳丘の周りの掘られた部分には水をためた濠となっていることが多く、またその斜面は、葺石(ふきいし)が敷きつめられているものもあり、装飾や墳丘の崩れの防止などが目的だったと考えられている。

古墳の種類

特によく知られてるのは前方後円墳であり、その他にも帆立貝形墳や円墳、方墳といった形状を含め、計10種類以上の古墳が確認されており、その大きさや埋葬物により被葬者の生前の財力や権力などを推測することができる。

古墳女子とは - 刀剣ワールド抜粋

時の流れとともに古墳の大きさや形状は変化を遂げており、埴輪もその変化の一つである。埴輪は日本の古墳にのみ見られるもので、死者の魂を守ったり、しずめたりするものとして、古墳の上や周囲に並べられる素焼きの焼き物である。特に人物や動物を形どった埴輪は行列や群像で並べられており、その時代の死生観を目に見える「型」で表現している。

NPO法人文化遺産の世界 前方後円墳の完成想像図
(古墳の墳丘上の埴輪や葺石は死後の世界をあらわしたものといわれている)

纏向遺跡(まきむくいせき) - 奈良県桜井市

邪馬台国の候補地としても知られる日本最初の都市形成が残る集合遺跡である。纒向遺跡には数十基の古墳が存在しており、その中でも卑弥呼の陵墓として知られる箸墓古墳をはじめ、纒向石塚古墳や矢塚古墳、勝山古墳等々、大和朝廷の発祥の地としても知られている。

纏向遺跡

箸墓伝説を含め、纏向遺跡の設立には諸説があり、まず当時に発展していただろう銅鐸が多量に人為的に割られた状態で発掘されていることである。これは纏向を支配した人々が銅鐸を否定する側にあったということになる。纏向は3世紀半ばに突然に登場した王権として知られており、天皇系譜でいう崇神(すじん)・垂仁(すいにん)天皇にあたる。

その頃といえば、まさに国中に疫病が蔓延しており、崇神天皇の夢枕に大物主神(おおものぬしのかみ)が現れ、「疫病は私の仕業であり、自分の子である意富多多泥古(おおたたねこ)が私を祀れば疫病は収まる」と伝える。崇神天皇は早速、意富多多泥古を探し出して、大物主神を宮中から奈良県の三輪山へ移して祀ったところ、たちまち疫病は治まり、国に平和が戻った。それ同時に、天照大神も皇居外のふさわしい場所にお祀りされることを決意され、崇神天皇皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が御杖代(みつえしろ:神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)となり、大和の笠縫邑に神籬を立てて大御神をお祀りするが定住はされなかった。その後、垂仁天皇の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)と交代され、大和国から、宇陀、近江、尾張、美濃と様々な土地を巡幸後、伊勢にたどり着くや否や、天照大神が宇治の五十鈴川上を大変入られたため伊勢国を定住の地として神宮を創建されたという条である。

また、垂仁天皇の時代、殉葬という皇族の墳墓に近習者を生きたまま埋める葬礼が行われていたが、その状況に心を痛めた垂仁天皇へ野見宿禰(のみのすくね)が殉葬をやめるための新たな方法として土を使って形どった人や馬など陵墓に立てるように提案した。これが埴輪の起源である。

このように考古学上、崇神・垂仁天皇の時世にいくつかの大きな変化があったと考えられており、その一つに両天皇は渡来人であったという見方が強い。つまり、出雲系の先住民が継承してきた銅鐸やその祭祀を完全に否定することで、新しい王朝を築いた大王たちであり、それを証明するかのように、それ以降、巨大な古墳を製造する技術の躍進や高度な文化も花開き、大和王朝に至ったと説である。また崇神天皇の時代に創建された神社の数は他の天皇と比べても突出して多くあり、加えて出雲系を重んじる神社が多いことより、先述の大物主神の祟りを含め、国津神の神威を恐れたことを示しているといわれている。

おまけ

五輪塔(ごりんとう)

光譽上人 五輪塔(こうよしょうにん ごりんとう)

インド古来の世界観によると、宇宙を形成する物質は地・水・火・風・空の5つの要素から構成されているとされ、その5つの構成要素を形どったものが五輪塔です。この五輪塔は大日如来のお姿を表わしており、空海が説く「大日如来の身体が宇宙全体であると同時に、修行者の身体でもある、すなわち大日如来と修行者は本質的に同じである、それ故に即身成仏(この身のままで仏となる)できる根拠である」という密教をベースに、覚鑁上人(かくばん)が高野聖として空海の教えを普及するに伴い、全国へ広めた供養塔です。

 

五輪塔と大日如来と言霊

「死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させる」という空海や覚鑁の強い信念を現すがごとく、高野山にはすさまじい数の五輪塔がその「型」を成しており、またその型から放たれる「言霊」もすさまじい霊的エネルギー魂として故人を浄土へ導いています。

高野山 五輪塔
高野山 織田信長墓 五輪塔

高野山は神の世界も仏の世界も、この世もあの世も、すべてが宇宙の中で一つにつながっていると説く密教の聖地として開山され、そして空海が今もなお世界の平和と人々の幸福を祈り続けて永遠の深い瞑想に入っている聖地です。私たちのご先祖様たちが一切の苦しみなく、ただ安楽な浄土の世界へ導かれたことに感謝をしながら、高野山の五輪塔に参っていただければ幸いです。

縄文土器(じょうもんどき)

土器に施された縄目文様から名づけられた縄文土器は、土をこねて形を作り、火による化学変化を起こすことでより強度な容器となったといわれており、器の内側にはオコゲの跡やふきこぼれによる変色があることより、食物の煮炊きに使われたようです。

 

新潟県唯一の国宝 火焔型土器(かえんがたどき)

実はこの縄文土器にも五輪塔と同じ宇宙観(地・水・火・風・空)が偶像化されており、まず土(地)に水を混ぜて器を作り、火で土器を焼き上げた後、風で乾かした容器上部の空間には、宇宙(空)が表現されているといわれています。日本を代表する芸術家の1人である岡本太郎さんはこの火焔型土器を「縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰でもがドギッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである」と表現しており、日本の造形美の根源として縄文文化へ賛歌をささげています。

縄文土器や五輪塔は私たちの先祖が描いた生と死の世界観であり、その世界観は常に神と仏の世界と一つのつながりをもち、そして3Dを超えた高次元の宇宙の中にあると表現されています。その宇宙の中にあるつながりをより分かりやすく見える化したものが、宇宙の物質で作られた縄文土器や五輪塔という偶像物であり、また古墳や埴輪に表現された魂魄観であり、それらのすべては私たちの原点である宇宙へつながるための「型」といえます。さらに先人たちは神々とのつながりをより強くするために惟神の道を歩み、また解脱するための悟りを説くことで、日本特有の神仏習合という型も生み出しました。

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を現実化させるために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るにも、中今(なかいま)を生きることです。

中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今を全力で生きることで物事を現実化させていく確実な道です。

今を大切にお過ごしください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?