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[伊勢神宮+大神神社+footprints on the sand/あしあと+柏手] 祖神 大物主は三輪山へ、天照は伊勢湾へ

日本ほど神様が多い国はないといいますが、確かに八百万の神様というぐらい、日本人にとっての神様とは日常生活を通して、ありとあらゆるところに出没します。例えば、山、川、木、海、空、雲、太陽、月、土、動物といった自然界に存在するもの、そして家の中にあるような(大黒)柱や食器、洋服や宝石、ひいては人間からでる爪の垢まで、何かしらの魂が宿っていると考えます。

包丁の魂が眠る墓

こういった目に見える・見えないにとらわれず、すべての生物や無生物に魂や霊が宿っているという考え方をアニミズムと呼びます。先述の垢については少々行きすぎな気もしますが、尊敬する人の爪の垢を煎じて飲むと、確かになんとなく神懸ったようにすぐれた人になれるような気になります。

今回は世界の三大宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教とは違う、八百万の神様からなりたつ日本の神道からアニミズムなエネルギーをいただいてみようと思います。


伊勢神宮(いせじんぐう) - 三重県伊勢市

邇邇芸命(ににごのみこと)が天孫降臨して以来、大物主神(おおものぬし)とともに天皇のお側で祀られていた天照大神(あまてらすおおみのかみ)は、第10代 崇神天皇の御代、国中に疫病が蔓延したためその原因を神にたずねたところ、大物主神が崇神天皇の夢枕に現れ、「疫病は私の仕業であり、自分の子である意富多多泥古(おおたたねこ)が私を祀れば疫病は収まる」と伝える。崇神天皇は早速、意富多多泥古を探し出して、大物主神を宮中から奈良県の三輪山へ移して祀るようにした。

大神神社
巳の神杉(みのかみすぎ)
大物主神の化身である白蛇が棲むことから名付けられたご神木

するとたちまち疫病は治まり、国には平和が戻る。それ同時に、天照大神を皇居外のふさわしい場所にお祀りされることを決意され、皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は大和の笠縫邑に神籬を立てて大御神をお祀りするが定住の土地が定まらなかった。その後、第11代 垂仁天皇の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)と交代され、大和国から、宇陀、近江、尾張、美濃と様々な土地を巡幸後、伊勢にたどり着くや否や、天照大神が宇治の五十鈴川上を大変入られたため伊勢国を定住の地として神宮を創建された。ちなみに、この御鎮座地巡幸には60年もの歳月を費やしており、最終的な宇治山田にたどり着くまでに約23回も引っ越しをしている。この各地を遷座してまわった史実は事実のようで、その足跡として「元伊勢」と呼ばれる神社・土地が14カ所も鎮座している。

元伊勢神社 皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうきしきちょう)抜粋

1. 美和乃御諸宮(奈良県桜井市)
2. 宇太乃阿貴宮(奈良県宇陀市)
3. 佐々波多宮(奈良県宇陀市)
4. 伊賀穴穂宮(三重県伊賀市)
5. 阿閇柘殖宮(三重県伊賀市)
6. 淡海坂田宮(滋賀県米原市)
7. 美濃伊久良賀波乃宮(岐阜県瑞穂市)
8. 伊勢桑名野代宮(三重県桑名市)
9. 鈴鹿小山宮(三重県亀山市)
10. 壱志藤方片樋宮(三重県津市)
11. 飯野高宮(三重県松阪市)
12. 多気佐々牟迤宮(三重県多気郡明和町)
13. 玉岐波流磯宮(三重県伊勢市)
14. 佐古久志呂宇治家田田上宮(三重県伊勢市)

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お伊勢参りと言えば、なぜか私は外宮にご縁があり、というか外宮に辿り着きます。外宮に行こうと思っていくというよりかは寧ろ、吸い寄せられるように外宮駐車場に行き着きます。
そろそろ年末も近くなり、お守りを含めた授与品の整理整頓をしていると、その中でも「外宮」と書かれたお守りに目が留まりました。伊勢では必ずこの勾玉の形をしたお守りを授与していただいたため、改めて丸くふくらみの鈴守を内宮で授与していただいた際、私のお伊勢参りは二見ヶ浦と外宮に行って帰っていることが多いことに気が付きました。

外宮 開運鈴守
内宮 開運鈴守

こういったことも引き寄せの法則で起こることです。私の場合、外宮にご縁があり、そしてそれは豊受大御神(とようけのおおみかみ)とのご縁であり、更には天之御中主(あめのみなかぬし)や国之常立神(くにのとこたちのかみ)とのご縁でもあります。こういったご縁のある神様からは引っ張られるように、或いは、自分からそのご縁の糸を手繰っていけばいくほど、神様も喜んで更に高いエネルギーを与えてくださり、また更に高い波動を魂に宿してくださります。

引き寄せの法則は常に万人に対して常に起こっており、その法則に気が付くのは「あなた・わたし」次第です。この引き寄せは知識や学があるから気が付くものではなく寧ろ、「あなたの・わたしの魂が神様と呼応する」ことで、ようやく意識レベルに伝わってくるものです。すなわち、体主霊従=私本位であればあるほど、そのご縁は縁遠くなり、身魂に届きにくくなります。四国八十八巡礼には「同行二人」という言葉があり、またキリスト教の精神に基づく「footprints on the sand/あしあと」という有名な詩があります。

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、
なぜ、
わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

footprints on the sand/あしあと

神様は常に私たちの傍にいてくださり、常に私たちと交信をされており、そして常に私たちの両親に次ぐ、良き師であり、良き理解者です。神人一体となれるよう常に身魂磨きに切磋琢磨しながら、霊主体従の証として、更なる引き寄せを体現していきたいと思います。

おまけ
数年前、夫婦岩駐車場でじっくりと地図を眺めていると、地元の方らしきおじさんに声をかけられ、「お伊勢さんへ今からまいりはるんやったら、詣で方があるから・・・教えてあげるわ」と。
まずは二見浦で穢れを落としてから、外宮、それから内宮へ参拝後、伊勢神宮の鬼門にある朝熊岳金剛證寺(あさまやま こんごうしょうじ)へ行くルートでした。この時点で、外宮へのみ参拝していることに気が付けばよかったのですが、その方の教え最後には、神様への正しい拍手(かしわで)の実践がありました。

柏手は日本で古くから行われている神様への挨拶であり、古くは、神様だけでなく貴人など偉い人への挨拶にも使われました。神社の基本の参拝作法として「二礼二拍手一礼」が知られていますが、この柏手をする高さは鎖骨の高さの同位置でおこない、腕を曲げずに伸ばして二回拍手をします。この際、右手を左手の第一関節辺りまで下げて打ちます。これは、左手を「陽=霊」、右手を「陰=体」として霊を主体とする霊主体従という神道の考え方に由来しています。この時点では右手がずれているため、神様と人とが一体になっておらず、その後、きちんと指先を合わせて祈りを込めることで神人一体となります。ちなみに腕を曲げない理由は隠し事がないという意味だそうです。

廣田神社 おまいりの作法(神社・神棚)抜粋

「・・・」、あまりにもその柏手を打つおじさんの姿が神々しく、また高次元の神々との対話されている姿を目の当たりにしたため、一瞬にして肝を抜かれてしまいました。未だにそのおじさんの柏手が眼と耳に焼き付いており、またその出会いから、私は常に霊主体従として、神様より、より高い波動とエネルギーをいただけるよう、私なりに心を込めて柏手をうつようになりました。

番外編
日本の神話には、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)という神々が存在しており、天津の神様は高天原(天界)に、そして国津の神様はその高天原と黄泉(冥界)の国の間にある葦原中国(あしはらのなかつくに)に現れた神々とされています。高天原に最初に成り出た独神の三柱を、天之御中主、高御産巣日(たかみむすひ)、神産巣日(かむむすひ)を言い、造化三神と呼びます。その後、17の神々が次々と産み落とされ、最後に国生みの神として知られる伊耶那岐(いざなぎ)と伊耶那美(いざなみ)が登場します。

黄泉比良坂の禊下りでは、伊邪那岐から天照大神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、そして月読命(つくよみのみこと)が産み落とされ、その中でも天照大神は伊勢神宮の内宮を代表として全国に祀られており、天皇の祖神として日本で最も重要な神様となりました。他方、素戔嗚尊は高天原から降りてきた神様ですが、国津神である大国主神より葦原中国の国を譲ってもらったため(国譲り)、国津神となりました。この国譲りを成功裏に収めた大国主神は天照大神より伊勢に続く壮大なる出雲大社を造営していただき、その主祭神となりました。

黄泉平良坂
黄泉平良坂 入口
千引の岩(ちびきのいわ)

とすると私たちの祖先は天津神ないし国津神のラインの両方の神様を持ち、また仏教というインドを発祥とするお釈迦様(仏陀)の教えに従い、修行を重ね、そして悟りを開くことで輪廻転生の輪より解脱して極楽浄土へ行かせてもらうという、神様のご加護を受けながら、成仏するという他に類をみない神仏習合(しんぶつしゅうごう)をもつ子孫であり、また多くの日本人は神道と仏教を丁度良い具合に融合させて日々を過ごしているため、「調和」を重んじる民族とも言えます。

悠久の時を刻み続ける今、私たちはこの「調和」を乱す出来事に直面しています。それはコロナ禍であり、地球の温暖化現象といった自然の摂理を破壊するような或いは、対立するような大難です。こういった混乱は決して初めての難事というわけではなく、それは豊鍬入姫命や倭姫命が天照大神が伊勢神宮にご鎮座されるまでの60年の大巡幸であり、また国津と天津の神様が利権をめぐり争った国譲りと類似する大揺れの事柄のように思います。こういった解決が容易ではない出来事であっても私たちの祖先は常に、神への信仰を最優先に、神の存在を日常の営みから切り離すことなく、それどころか生活の中に神を見出し、観じ、そして「和」をもって共に生きてきた結果、今があり、そしてこれからも私たちが直面する大難へ「和」をもって解決できると証明してくれています。

そんな折、再生可能エネルギーは自然界にあるエネルギーや資源を上手く再生・和合させることにより、未来を切り開こうという自然界との調和の上で成り立つ新しい道と言えます。人類史上、かつて経験をしたことのないような変革の最中、地球規模で「和」を実現させるということは、神道と科学を融合させることであり、本当の意味において朽ちることのない世を造り出す、世界中が永遠の弥栄となる記念日と言えます。そんな時代を切り抜く一人として、私に与えられた使命・お役目と霊主体従しながら、一日一日を大切に生きていこうと思います。

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