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小説『こんなもの頼んでないけど?』

ネムキリスペクト/NEMURENU参加作品。今月のテーマは「こんなもの頼んでないけど」▷ネムキリスペクトは、誰でも参加できるジャンル不問のnote内のアンソロジーです。

この小説を題材に、「プロット無しで小説を書く方法」を説明しています。

YouTube『百年経っても読まれる小説の書き方』



『こんなもの頼んでないけど?』 

 エプロン付きのユニフォームを着た背の低い女が、お盆から落ちそうにしながら食べ物を運んで来る。ほんとに落ちそうだが、そこはプロだから落ちそうで落ちない。女はそれらをテーブルに置く。
「こんなもの頼んでないけど?」
義樹(よしき)がそう言うと、女はこう答えた。
「でも、三番テーブルはこれ、ってコンピューターに」
「だけど俺達、今座ったばっかで、まだメニューも広げてませんけど」
「じゃあ、もう一回コンピューターをチェックして来ます」
非常に不貞腐れた様子。義樹は女にこう言った。
「いいや、もう。俺達これで」
 
 麗美(れいみ)の前にラーメンが置いてある。
「ラーメン嫌い」
「ラーメン嫌いな奴っているのか?」
「だって、お腹いっぱいになっちゃうんだもん」 
義樹は何も言わず、麗美に自分の前に置かれていたドリアを差し出して、自分はラーメンを食べ始める。ずるずる音を立ててすすると、麗美が嫌そうな顔をする。アメリカでは音を立てて食事をするのはマナー違反だって言ってたな。だけど、ここは日本だからいいだろうと思って、義樹はずるずる食べ続ける。
 
 ラーメンが半分くらいになったところで見ると、麗美がフォークでドリアをつつきながら嫌そうな顔をしている。
「なんで御飯が入ってんの? 義樹、こないだグラタンにはマカロニが入ってるって」
「それはグラタンじゃないぞ。ドリアって言うんだ。アメリカにはドリアもないのか。お前ってほんとに帰国子女だな」
 久しぶりに麗美と空港で会った時は、確か明るいグリーンだった髪が、今はピンク色に変身を遂げている。
 
 麗美はドリアからカキを取り出して、また嫌そうな顔をする。
「それはシーフード・ドリアだから」
義樹が説明する。
 麗美はドリアからシーフードを取り出して、それを一旦脇に寄せて、皿に山を築く。そして自然に海になった部分に、シーフードを並べていく。カキと、シュリンプと、なんだか知らないけど貝みたいなものを、海に放つ。ランドスケープの仕上がりに、マッシュルームを山のあちこちに刺す。
 
「お前がファミレスって行ってみたい、って言うから来たんだぞ。お前がこっちの大学行きたいなら、ちゃんと色々慣れなきゃだめだぞ」
 義樹は俺が食うからよこせ、と言おうと思ったが、もうすっかり冷めてて不味そうだったから止めた。さっきの背の低い女が来て、皿を下げ、そしたらケーキが二つとコーヒーが二つ出てきた。
「こんなもの頼んでないけど?」
義樹がそう言うと、女はこう答えた。
「でも、三番テーブルはこれ、ってコンピューターに」
「じゃあ、いいです」
麗美はケーキを食べ始め、なんだ、ケーキならいいんだ、と義樹は思う。
 
「これはな、あいつの仕業なんだ。ファミレスのコンピューター・システムにハッキングしたんだよ」
「そんなことして何が面白いの?」
「愉快犯だから」
「なにそれ?」 
義樹は一日中、この帰国子女から、なにそれ? を聞かされる。
「愉快犯っていうのはな、その辺で、愉快、愉快と思って見てるんだよ」 
 
 義樹がそう言った途端に、長い黒いコートを着た男が、義樹の横に断りもなくばさっと座る。
「おお、義樹、こんなべっぴんとデート?」
べっぴんね。こいつは死語を使う趣味がある。麗美には勿論理解できない。義樹が思うに、こいつは義樹の身体のどっかに、こっそりマイクロ・チップを植えたんだ。普通はネコやイヌに、誰が持ち主か分かるように植えてある。だからこいつは義樹がどこにいても駆け付ける。
 
「お前、余計なことすんなよ」
「だけど、美味かっただろう?」
麗美は機嫌の悪そうな顔をしている、って言うか、こいつはいつも機嫌の悪そうな顔をしている。
「全部、支払い済みだ」
「おい、それは犯罪だろ? 人からものを盗むのと同じだ。ちゃんと払うよ、俺は」
「でも、コンピューターではもう払ったことになってる。べっぴんだな。やっぱり、あいの子って綺麗だな。日本語分かるの?」
あいの子ね。麗美があんまり機嫌悪そうだから、日本語が分からないと思っている、って言うか、べっぴんとかそういうの使うの止めて。
「こいつはアメリカ人で俺の父親の弟がこいつの父親」
「違うって。麗美のお父さんは、義樹のお父さんのお兄さんなの」
「ま、どっちでもいいけど、親二人は兄弟なんだ。じゃあなに? 麗美さんのお母さんは?」
麗美はなぜか黙ってしまったから、義樹が答えることにした。きっと質問があんまりストレートだから不貞腐れたのかも。
「こいつの母親はプエルトリコ人なんだけど、なんだか色々混じっているらしい」
「ああ、成程ね。ラテンと日本のあいの子が一番綺麗って言うからな。思い出した。義樹の伯父さんがカリフォルニアで日本文学を教えてるって、あれか?」
「それそれ」
「初めまして。麗美さん。僕は春樹。角川春樹の春樹」
そんなこと言っても分かる訳ねーだろ、と義樹は思う。春樹のことは麗美に色々言ってあるから。俺達と同じ高三で。それであいつが何者かも。
 
「あ、時間切れだ。一つの所にいるとやばいんだ」
ファミレスは二階にあって、春樹は外にある階段を駆け下りて通りに出る。大通りで、向こうとこっちにそれぞれ四車線ある車の多い道。
 約十人くらいの黒服が春樹の後を追う。信号は赤だ。春樹が走る。運動会でリレーの最後に走らされて、大観衆で、必死に走ってるくらい必死に走っている。車のクラクションが、ファミレスの厚い窓ガラスを通して、義樹達にも聞こえる。黒服達も必死に走っている。その中の二人が警察手帳らしきものを車にかざして車を止めているから、今日は警察だな、と義樹は思う。
「今日は警察だな」
麗美は興味なさそうに、コーヒーにクリームを入れてぐるぐるかき回す。天才ハッカーの春樹は、しょっちゅうどこかの機関に追われている。義樹は考える。しょっちゅうって死語かな? いや、そうではないだろう。春樹の側にいると、死語がうつる。死語が自分に憑依するんじゃないかと、不安になる。
 かいつまんで説明すると、かいつまんでは死語かな? 片足突っ込んでるくらいだな、と義樹は安心する。で、説明すると、春樹は天才ハッカーで、永田町とか、警察庁とか、一般企業とか、外国の企業まで彼の略奪戦に加わっている。春樹の親は普通の子として育てたいとして、同意書にサインしない。だから春樹は二十歳になるまで働けないんだけど。
 義樹はいつもの運動会の捕り物から目を逸らして、ケーキを頬張る。そして、捕り物って死語かなって考える。いつもの捕り物だけど、ここからいつもとちょっと違う展開になる模様。
 
 さっきの十人くらいの警官の一人が戻って来て、義樹と麗美の前に立つ。麗美がバレエやってるとかで、付き合わされて観に行ったバレエに出て来た、背の高い男みたいだ。その男は、白鳥の湖に出て来た黒鳥の親分みたいな男で、って、親分って死語? その男みたいに、背は見上げるほど高いのに、身体はがっちりしてるみたいな、そんな感じ。顔は男前。君の小説には美形しか出て来ない、と先生に怒られるけど、まだ二人目だから、まあいいや。
 
 それでその美形の警察官、と言うよりは、制服着てないし、普通のスーツだから、きっと刑事さん?
「食事中、失敬。君達、春樹の友達だろう?」
美形は、背の高い背をかがませて二人に話し掛ける。義樹は、「失敬」が死語かどうか考える。
「俺達には春樹が必要なんだ」
義樹は主義として、春樹に関することには口は出さない。春樹の両親の考え方もよく知ってるし、義樹も彼に普通の青春を送らせたい。春樹とは中学一年からの同級生だ。
 義樹は無視を決め込む。麗美は美形に弱いから、刑事さんのことを時々盗み見る。
「人の命を救うんだ」
義樹達も何も言わない。刑事さんも何も言わない。時間だけが三人の上をパタパタ飛んで行く。
「刑事さんね、命を救うんだったら、勝手にやってください。僕達まだ高校生ですよ」
 
 また時間だけが輪になって飛んで行く。
「人質の一人は女子高生だ」
義樹は美形の顔を見た。美形は詳細を述べ始める。
「世の中には、スーパーレコグナイザーと言って、一度見た顔は絶対に忘れない、一万以上の顔を記憶できる人がいるんだ」
麗美が美形に微笑んで、可愛ぶった猫撫で声。「猫撫で声」と言う言葉が義樹を不安にする。
「あ、私それ、アメリカのドラマで観ました」
美形が彼女に微笑み返す。麗美はうっとりした顔をする。
「人質は三人の女性。犯人は彼女等をどこか郊外に監禁して、自分は街を歩いている。スーパーレコグナイザーが監視カメラで、奴の行きそうな所を見張っている」
 
 そこへ、あろうことか、食べ物が運ばれて来る。さっきのとは違う、もっと若い女。
「こんなもの頼んでないけど?」
義樹がそう言うと、女はこう答えた。
「でも、三番テーブルに、ってコンピューターに」
三人でそれを見ると、それは中華丼だった。義樹はこのファミレスには中華丼があるんだな、と驚いた。なんだか説明できないけど、中華丼はファミレスに似合わない。
 義樹が女に言った。
「僕達もう食べちゃいましたよ」
「ああ、俺、三日くらい碌に食ってないや」
美形は勝手に義樹の隣に座る。さっき、春樹が座っていた所だ。美形は一生懸命食べながら義樹に言った。
「中華丼だったら、結構色んなファミレスにあるよ」
流石、刑事さんだ。義樹の考えてることが分かる、と義樹は感動する。
 
 麗美の目の中にハートが一つずつ入っている。義樹は麗美の足を蹴る。麗美も負けずに蹴り返す。それを二人で何回もやる。
「君達、きょうだいだろう? 俺も妹とよくやった」
義樹は流石、刑事さんだと感心する。
「いとこです。僕達」
 美形は信じられない速さで食べ終わると、さっきの続きを喋ろうとした。
「どこまで言ったっけ?」
麗美が答える。
「スーパーレコグナイザーが監視カメラで見張ってるって」
「ああ、そうそう」
 
 そしたら食後のデザートがコーヒーと一緒に運ばれて来る。
「こんなもの頼んでないけど?」
義樹がそう言うと、女はこう答えた。
「でも、三番テーブルはこれ、ってコンピューターに」
美形はロールケーキを食べながら言った。
「春樹の仕業だな。どうやら俺達、またあいつに逃げられたんだ」
そう言いながら、なぜか美形は嬉しそうだった。なぜ嬉しそうなんだろうと、義樹は不思議に思う。
「俺達の追いかけっこも長いから」
また、義樹の心を読む。麗美が口を出す。
「それで、見張っててどうなったんですか?」
「一度見付けたけど逃げられた。一刻を争うんだ」
と言いながら、美形はコーヒーをゆっくり味わっている。
「このファミレスのコーヒーは、いつも行く所より美味いな」
 
 義樹と麗美は美形の顔をじれったく見詰める。
「だけど、スーパーレコグナイザーだけじゃ無理なんだ。顔認識システムがないと。顔認識システムとは、丁度、スーパーレコグナイザーがやってることを、コンピューターでやるんだ。しかし、ここ一か月、警視庁の顔認識システムがハッカーの被害に合っている。犯人はスイスにいる。それだけは分かったんだ」
話が一気に進んだな、と義樹は思う。麗美がますますうっとりと美形を眺める。
「なんでそんなことするのでしょう?」
「愉快犯だ」
「愉快犯っていうのは、その辺で、愉快、愉快と思って見てるんですよね」
麗美は仕入れたばっかりの知識をひけらかす。美形は笑いそうになったけど、真面目にならなければいけないと思ったらしく、笑いはしなかった。
「だから春樹が必要なんだ。彼なら遠からずシステムを復帰させて、犯人を発見できるんだ。君から何とか春樹を説得してくれないか?」
美形の話はやっと終わりを見せた。
 
 三人は当てもなくファミレスを出て、さっき春樹が思いっ切りリレー走りをしていた交差点を渡る。
「君は春樹がどこにいるか知ってるんだろう?」
義樹はこれは鎌を掛けてるんだな、と思いながら「鎌を掛ける」は死語だろうか? と、怯えながら考える。
「俺は春樹の居場所は分かりません。だけど、春樹は俺の居場所を知っている」
「じゃあ、どこか彼にとって興味深い所を探そう。呼び寄せるんだ」
「俺まだ、美形、じゃないや、刑事さんに同意した訳じゃないですよ」
美形は頭を振り絞って考えてる。春樹と一緒にいる時みたいだ。頭のいい人が頭を振り絞って考えているのが分かる。春樹とは中学の時から一緒だ。
「春樹の両親からも頼まれてるから。春樹は大人になったらどうせ忙しい毎日を送るんだから、普通の高校を出て、大学も出て、せめて普通の青春を、って」
「俺達は大学出るまでは待たないぞ。永田町にも渡さない。彼は警察庁のものだ」
「そんな、春樹をもの扱いにして!」
 
 暫く影の薄かった麗美が急に浮上する。両目のハートが暗い所でピンクに光ってグルグル回り、髪の毛の蛍光ピンクとマッチしている。
「私が思うに、みんなさ、どうせ今だって、こんなに警察の人に追っ掛けられたりして、全然普通の生活してないんだから、そんなのどっちだって同じじゃない? 人助けの方が普通の生活するより、もっと大事じゃない?」
 美形は義樹の顔を静かに覗き込む。出方を伺ってるんだ。「出方を伺う」は死語じゃないよな、っと義樹は安心する。そしてカッコ良くこう言う。
「麗美、君の勝ちだ。春樹を呼び寄せよう」
 
 義樹は春樹の好きそうな所を沢山知ってるつもりだったけど、いざとなると、アイディアが浮かばない。
「刑事さんね、春樹は一度出没した所には、もう出没しないんですよ。だからもうファミレスとかは駄目ですね」
 美形は流石、刑事とあって、一生懸命考えている。
「彼は何が好きなんだろう? コンピューターのハッキングをする他に。……俺の記憶だと、彼は文学青年っぽい所があるだろう?」
「刑事さん、そうそう、いいポイントですよ。忘れてた。文学青年。春樹は、太宰治が好きな筈です」
「太宰か。……もう墓に行くには暗過ぎるし」
義樹は美形のことをただの美形だと思っていたが、こんなに細かい情報を頭に入れておくなんて、大した刑事さんだ、と感心する。
 義樹はケータイで太宰を検索する。三人は横丁の商店街の真ん中に立ち止まっている。買い物客や自転車が、三人を邪魔そうに避けて行く。
 
 時間ばかりが経って行く。麗美が義樹のケータイを覗く。
「この写真カッコいい。足立てて座ってるとこ」
「あ、俺、思い出した! 春樹がこのバーに行ってみたいって」
美形が駆け寄る。
「なになに、どこどこ?」
美形が検索した結果、そこは銀座で今でも営業を続けるバー「ルパン」だということを発見する。太宰治や坂口安吾など、有名どころの作家が通ったバー。
「春樹、絶対来ますよ」
 三人は商店街を抜けて、タクシーに乗り込んだ。
「警官を配置させよう」
「捕まえたって駄目ですよ。本人にやる気を出させないと」
「よく知ってるな。流石、親友。俺達何度か閉じ込めて仕事させようとしたけど、奴はどんなセキュリティー・システムも潜り抜けて脱出できるんだ」
「閉じ込めるなんて、刑事さん達、何してるんですか!」
「悪い。忘れてくれ。もうやらない。今回は人命救助だといって御願いしよう」
後部座席に座った麗美が、何となく不自然に美形に近過ぎるような気がするけど、気のせいだろうか?
 
 義樹は今のうちにハッキリさせとく必要があるな、と思って聞いてみた。
「刑事さん、質問ですけど、貴方、御結婚は?」
「してる訳ねえだろ? 春樹みたいな馬鹿を追い掛けて、三日も帰ってねえんだぞ」
この人が独身なら、いつも不機嫌な、このいとこをやることもやぶさかではない。はいはい、分かりましたよ、「やぶさかではない」は死語です。
 三人は銀座のど真ん中でタクシーを降りた。こんなにど真ん中だとは思わなくて義樹は意外で、びっくりした。
 義樹が意外がっているうちに、麗美と美形が手を繋いでいるのを発見した。まあ、麗美はまだ高校生だけど、まあ、アメリカ人だし、それに公務員は悪くない。三日位帰って来なくても、この女なら自分のことでいつも忙しいから大丈夫に違いないし。
 
 バーに入った。平日だし、まだ八時前だ。カウンターのどこに座るか暫く迷った。美形が懐をごそごそしている。義樹は美形の腕を抑えて、それは止めてくれ、と言った。美形はバーテンダーに警察手帳を見せようとしていたのだった。
 義樹が言った。
「もっと自然にしていましょう」
美形は、口の中で繰り返した。
「自然ね、自然ね」
自然にしているのは難しいようだった。三日間夜昼無しで春樹を追っていたなら理解できる。高校と自宅の敷地には誰も踏み込めないことになっている。狙うならその他の場所だ。
 焦った美形は、麗美に後ろから抱き付かれているのも気付いていないようだった、ってそんな訳ないけど。
 春樹が警察の人と一緒の自分達を見たらどう思うだろうか? しかし、中華丼とロールケーキが出て来た時点で、春樹は自分達が美形と一緒だと知っていた筈。
 義樹は中高水泳部で、身体が逆三角形だし、麗美は外人だから胸が立派だから、義樹達は、バーの人に年を聞かれなかった。
 
「何でも頼め。ここは無礼講だ」
義樹が笑う。
「無礼講は死語でしょ?」
「そんなことないぞ。警察ではよく使うぞ」
バーの人にそれを聞かれてしまった。その人は女優さんみたいに綺麗な人で、人形みたいに肌が艶々している。
「御客様、警察の方?」
「うっかりした。言うつもりはなかった。忘れてくれ」
その人形みたいな人は、すすっと知らない内に裏へ行って、それ切り戻って来なかった。よっぽどヤバいことしたんだな。なんだろう? 家出かな? 殺人とかはないだろうし。
 美形は残った男性のバーテンダーと話している。その人は戦後からここでバーテンダーをやってそうな渋い人だった。タキシードが似合い過ぎる。他の服を着ているところを想像できない。
「文学青年がやって来るんでしょ?」
「そうですね。よく写真撮って、って言われます」
 
 それが不思議なんだ。声は入口からじゃなくて、店の奥から聞こえた。
「……写真撮って」
春樹の声。不気味だった。春樹が入って来れば自分達にも絶対見えたから。
 カメラのズームが動くみたいに、春樹が暗闇で小さくなっていたのが次第に大きくなっていった。そして普通の春樹の大きさになって、義樹の隣に座った。
「御客さん、写真撮りたいんだったら、混む前に撮っちゃいましょ」
春樹はカメラに向かって迷わずポーズをして、見たら、完璧に太宰と同じ写真に撮れていた。バーテンダーさんも感心する出来栄え。
「御客さんはやっぱり小説書かれるんですか?」
「僕はね、小説を書くには頭が良すぎるんだ」
春樹は暗い声で言った。美形は「自然に、自然に」と口の中で繰り返す。
 
 四人で暫く黙って、バーテンダーさんは入って来たばっかりの常連さんの所へ行ってしまった。美形がようやく話し出す。
「君が何度か小説本読んでるの見たことあったから」
「はい、御蔭で一つ夢が叶いました」
春樹は美形に写真を見せる。
「いい笑顔だなあ」
その言い方はとても自然だった。義樹はよかった、と思った。
 春樹がバックパックから小さめのパソコンを取り出した。美形が春樹の後ろへ回ってコンピューターの画面を覗く。
「おい、おい、今ここでやるのか?」
「僕の気が変わらない内に」
春樹の指が滑らかに高速で動く。
「スイスの奴に脅しをかけます。正体をばらすと言ってやります」
 春樹と美形は本気で仕事を始めた。義樹と麗美は、無礼講だからと言って、やたらと食べ物や飲み物をオーダーする。麗美はドリアで遊んだけど食べてないから必死に食べる。バーだからつまみばっかりだけど、どれを食べても美味しい。
 
「どこか場所を変わろうか?」
美形がそう言っても、春樹の指はそのまま動き続ける。さっきから三十分はそうやってコンピューターに向かっている。暗いバーのカウンターで春樹の顔がコンピューターで照らされる。義樹には、春樹の横顔がいつもの彼と違って見えた。春樹が仕事として真剣にハッカーと戦っているのを見るのは初めてだった。
「スイスが出て行くのは時間の問題だけど、その後で顔認識システムを構築し直すのはそちらでできる筈です……。あ、あっちが取引に応じましたよ」
美形が聞いた。
「何が欲しいって?」
「保証が欲しいって。僕が奴の正体をばらさない保証」
「警察庁長官のサインを取ろう」
「はい。それで十分だと思います」
義樹は春樹が、氷がすっかり溶けてしまったオレンジジュースに初めて手を付けたのを見た。義樹が聞いた。
「警察庁長官て誰?」
「警視総監より偉い人。日本の警察のトップ。その人が機密を守ると保証すれば万事オーケー。サインが取れたら直ぐスイスに送るから」
 義樹は感心しながらも、「万事オーケー」が死語であるかどうか考えていた。美形がバーの外に出て、電話で話している。義樹まで緊張してきた。警察の一番偉い人か。
 
 美形が長い電話を終えて、バーに戻って来た。春樹の顔に映るコンピューターの画面が変わったのが見えた。
「あ、サイン、来ましたね。これを叩き付けよう」
春樹と美形はスクリーンに集中する。
「いなくなったか?」
「もうちょっと……。あ、今いなくなりました」
義樹の目に、Goodbyeと言いながら手を振るアニメーションが見えた。Goodbyeという言葉は漫画の吹き出しみたいなのに入っていて、手は白い手袋をしている。不気味だった。まあ、春樹だって不気味だけど。いきなり中華丼とか。
「これからセキュリティーを強化して、絶対、誰からもハッキングされないようにしときますから。僕がやるのはそこまで」
 
 そのセキュリティー強化というのにはやけに時間が掛かるみたいだった。美形が春樹にもう一度聞いた。
「場所を変えるか?」
「いいえ。このスポットはとても遣り易い」
誰かの声がした。
「太宰さんが御手伝いしてるんですよ」
義樹が顔を上げた。その言葉は春樹の写真を撮ってくれたバーテンダーさんから出た言葉だった。太宰治の幽霊か。コンピューターのことが分かるって流石だよな。
 
 物凄い集中力だ。店にはうるさい客もいるのに。麗美はチャラチャラケータイをいじってるけど、その他の面々は真剣だ。義樹は春樹が何をしているのか全く見当つかないながらも、沢山の数字や変な記号みたいなのが躍るのを見詰めていた。美形も息を止めて春樹のやることを見ている。
 店が静かになって、バーテンダーさんが片付けを終わった。美形はスクリーンを見詰めながら片手でバーテンダーさんに警察手帳を差し出した。バーテンダーさんは無言で頷いて、外のネオンを消しに行った。
 春樹の母親から義樹にメッセージが入った。義樹は今、春樹と一緒にいるから大丈夫、と返事をした。
 
 やっと終わって外に出た。バーテンダーさんには警察から何だか知らないけど、御礼が行くそうだ。四人で銀座を歩く。流石、銀座だ。車が行く、人が歩く。夜中過ぎても。
 和光の前で春樹が立ち止まった。手には彼のケータイが握られている。
「スイスからメールが……」
春樹はコンピューターを取り出して、和光のショーウインドーの前で胡坐をかいた。
「ほら、この人の顔がこんなに。これはスイス個人のアドレスから来てるな」
美形が叫んだ。
「犯人だ! それは六本木ヒルズだ。早く行って捕まえよう!」
「これ昼間の写真ですよ。昨日だな。写真まだまだ来ますよ。あいつ、日本の警察が追ってる犯人まで知ってたんだ。これは今日の朝だ」
「それはアメ横だ。なんでそんなとこにいるんだろう?」
「それは知らないけど。ほらもっと来ますよ」
最後に来たのは、スイスが白い手袋の手を振っていなくなる直前の写真だった。
 
 和光の前に警察庁の刑事が集まった。犯人確保より人質の解放が先だ。スイスから来た写真を分析して、まず人質の居所を特定しよう。麗美が文句を言った。
「ねえ、私達いつ帰れんの?」
義樹は言った。
「俺は春樹と一緒にいて、警察が春樹の意に反して仕事をさせてないか見張って春樹を守る」
「じゃあ、私は?」
「御前はあの美形といちゃついてればいいだろ」
 警察の顔認識システムは長い間使えなかったから、スイスから来た画像だけが手掛かりだった。春樹に届いた画像は、速攻で警察庁の鑑識に送られた。美形が春樹に聞いた。
「なんでスイスは俺達にこんな画像を送って来るんだろう?」
「あいつが人命に興味があるとは思えないから、きっと日本の警察より自分の方が頭が良いってことを証明したいんだ。あ、ほら、もっと送って来た」
スイスは犯人の写った背景を分析して、人質の場所を半径十キロ以内に突き止めた。
 
 刑事達は慎重だった。一番偉い人みたいな人が、春樹にこの位置情報は本当か? と尋ねた。
「スイスがそう言ってるなら本当です。彼は自分の能力を証明したいんだから。さっき画像送ったのに、鑑識からまだ何も言ってこない。もう三十分以上経っているのに」
「鑑識からの返事を待とう」
一番偉そうな人がそう言った。
「もう人質のいる場所が分かってるのに? 十キロだったら周りを包囲して警察犬でも何でも連れて行けばいいでしょう?」
 美形が発言する。
「スイスのことを一番知ってるのは春樹です。鑑識を待ってる暇はありません」
 
 夜中過ぎに和光の前に集まった人相の悪い男達に、人々は振り返る。最終列車が出て、途端にタクシーが多くなる。ここは銀座だ。酔った人々のスタイルも洗練されている。バッグや靴も一目で高級品と分かる。女の靴もそうだが、男の靴もここにいる刑事の誰よりもスタイリッシュで、綺麗に磨かれている。銀座を歩く人々は知っている。刑事達が銀座に属していないことを。
 一番偉い人が鑑識と電話で話している。そして皆に伝える。
「市を限定して、町まで分かったそうだ。スイスの情報と一致する」
美形が声を大にする。
「町まで分かって、その先は? 待ってる暇はないです! 若い女性ですよ。何が起こるか分からない。それに、ここからだと車で小一時間掛かる。地元警察に連絡して、警察犬も手配しましょう」
 警察の偉い人はまだ指令を出さない。義樹が発言する。
「俺は春樹とは中学からの親友で、俺は春樹の言うことなら絶対信用します」
義樹は「絶対」という言葉を強調した。意外にも麗美まで口を出す。
「私は義樹とは子供の時からアメリカと日本と御互いに行ったり来たりで、一緒に育ったから、義樹のことは絶対信用します」
彼女も「絶対」という言葉を強調した。
 
 スイスが特定した、その町に着いた。春樹を守ると主張する義樹と、なんでか知らないけど、麗美も同行した。皆は人気の無い平地にいた。そこにはぽつぽつくらいしか木はないが、その先は森になっている。今にも森のくまさんが出没しそうだ。
 暗がりに犬達の目が光る。十頭はいるだろうか。犬達は意気盛んだが、沈黙を守りながら指令を待っている。ジャーマン・シェパードとドーベルマンがいる。その他、義樹の知らない種類の犬もいる。
「あの犬は犯人に森の中に逃げられた場合を想定してるんだ」
 後ろから春樹の声がした。春樹は義樹に、暗がりに黒光りする双眼鏡を渡す。森の木々の隙間からこんな田舎に似合わない、瀟洒な洋館がある。二階建てで屋根に煙突がある。その他は暗いから見えない。一階にほの暗く明かりがともる。
 明智小五郎と怪人二十面相が出てくるドラマみたいだ。壁や床に仕掛けがあって、明智小五郎とか少年探偵団の小林少年なんかが罠にはまって捕まえられる。
 犬を連れているのは、義樹が見たことのない制服を着た部隊だ。腰に暗がりに黒光りする拳銃が見えた。ライフルを持っている者がいる。
 また後ろから春樹の声がする。
「ここにいるチームは、特殊事件捜査係と言って、誘拐とかハイジャックとかを解決するために訓練されたプロ集団だ」
 美形がいる。指揮官の一人として活躍している。暗がりに麗美の目がピンク色のハートになってぐるぐる回る。
 
 犬を連れた特殊事件捜査係が森に散って行く。警察犬の息の音。踏まれた木の枝の微かな音。洋館を取り囲む作戦だ。また後ろから春樹の声がする。
「あのライフルは犯人が銃器や爆弾を持っていることを想定している」
義樹は春樹の声が何度も後ろから聞こえるのが不気味で嫌になったから、春樹の横に佇むことにした。
「一階に時々人影が見えるらしい」
春樹がそう言った。義樹が尋ねた。
「なんでそんなこと分かるの?」
春樹は耳にケータイを当てている。義樹は驚いた。いつの間にか春樹は警察をハッキングして盗聴しているんだ。
「犯人は携帯をオフにしているから、正確な場所確認はできないらしい。だからどうやって踏み込むのか決められない」
 
 沈黙が続く。暗がりに夜の動物の鳴き声がする。鳥とか、よく分かんないけど狐とか。そうしたら、厚い雲の合間から、いきなり満面の月が御挨拶の顔を出す。春樹の声。
「ヤバいぞ。捜査係、犯人に見られたらしい。全員木の陰に隠れた。犬は伏せている」
「どうしてそこまで分かるの?」
春樹はケータイを見せる。義樹は驚いた。捜査係の胸に付けられた小型カメラをハッキングしているのだ。小型カメラは高性能で、暗がりでもよく写る。
 春樹のケータイから銃声が聞こえた。半秒遅れて実際の銃声が遠くから聞こえた。ここにいる人全員に緊張が走る。春樹の笑い声が暗がりに響く。
「皮肉だな。犯人は防犯カメラをあちこちに仕掛けてるんだ。さっきの銃声は、捜査係が防犯カメラを撃った音だ」
 銃声はその後、五発ほど聞こえた。あ、ケータイから女性の悲鳴が聞こえる。銃の音に驚いたのかな。無事に救出されますように、と義樹は祈った。
「捜査係が壁をよじ登って二階のベランダに入ったぞ。流石だ!」
義樹は春樹と一緒にケータイを覗き込む。信じ難いことに、屋根の上にも捜査係の陰が見える。春樹が、流石だ、流石だ、と興奮している。
「上と横から犯人を確保する作戦だ。犯人が目の前にいる捜査係に気を取られている間に」
 
 春樹のケータイから捜査係の混乱した声が聞こえる。
「犯人は銃を持っている。人質の頭に銃を当てている」
春樹がケータイを操作しながら言う。
「あれは本物の銃じゃありませんよ」
それを聞き付けて、美形がやって来る。
「どうしてそんなこと分かるの?」
「ほら、これ玩具ですよ。プラスティックの」
 春樹は捜査係から送られて来るデジタルデータを警察よりも高度に解析しているんだ。美形が春樹からケータイを奪う。
「ほんとだ、これ俺が子供の時に持ってたのと同じだ。銃口の部分にメーカーの名前が入ってる、ってなんでこれこんなに良く見えるの?」
「捜査係にあれは玩具の可能性が高い、と伝えてください」
 
 どうやったのかは知らないけど、春樹がそこにいた全員のケータイに映像を流す。捜査係から犯人の銃をアップにした映像が送られる。警察の一番偉い人が笑う。
「なんだ、これだったら俺も持ってたぞ。本物みたいなんだ。警察官になりたい、なんてほざいてるような子供なら誰でも持ってたぞ」
暗がりのあちこちから、俺も、俺も、という声がする。警察の一番偉い人が、あれは玩具の銃である、と認定した。
 捜査係が屋根の上とベランダから、窓を破って突入する。すんでのところで犯人に逃げられる。「すんでのところで」は死語であると認定される。
 警察犬が、暗がりの深い森を走る。捜査係達が後を追う。
「人質が無事救出されたぞ!」
警察の一番偉い人が叫ぶ。人質を乗せた救急車の赤灯が暗がりに、グルグル派手に回り、サイレンが暗がりに、ピーポーピーポーと派手に響く。
 
 警察の人がみんないなくなって、義樹と春樹と麗美が残された。明るくなって見ると、その町は旅館が立ち並ぶ美しい町だった。町の中心に流れる川から、湯気が穏やかに登っている。義樹が温泉に来たのは久し振りだ。子供の頃、こんな湯気の川を見たのを思い出す。沢山の客引きが、熱心に三人を追い回す。
 春樹のケータイから着信音。
「草枕という旅館を探すようにって書いてある。草枕とはまた風流だな」
文学青年は感心する。
 草枕旅館に着いた。愛層のいい中年男性が三人を部屋に通す。
「まだ温泉開いてますから入って来てください」
三人はよく訳は分からないけど温泉に入って、昨日一日の緊張から回復する。部屋に戻ると、なんだか知らないけど、若い女性が海や山の幸を盛り込んだ豪華な朝御飯を運び入れている。
 
「こんなもの頼んでないけど?」
義樹がそう言うと、女はこう答えた。
「でも、三番の御部屋はこれ、って言われたんですけど……。じゃあ、もう一回チェックして来ます」
女性はぱたぱたスリッパの音をさせながら去って行く。
「春樹、また御前の仕業だな?」
「僕、なにもしてないし」
 女性は古風な手紙を持って帰って来る。義樹が封を切ると、下手糞な字でなんか書いてある。
「君達の働きには警察庁全員感謝している。警視総監から感謝状が届くことに決まった。ここで一晩ゆっくりしてくれたまえ。望月隼人」
義樹と麗美がハモって聞いた。
「誰それ?」
そう聞きながらも、義樹は「してくれたまえ」はどう考えても死語だと結論する。春樹が古風なおひつから、三人分の御飯をよそってあげている。
 
「あの人だよ。望月隼人。中華丼とか、銀座のバーとか」
なんだ、美形のことか、と義樹は思う。麗美がため息をつく。
「まあ、素敵な名前だわ」
義樹は諦めの境地に達する。
「いいや、もう。こうなったらゆっくりしていこう。なんかあれだな、俺、進路なかなか決まらなかったけど、あの犬連れてた人達カッコ良かったよな」
麗美が珍しく素直に同意する。
「義樹ならなれるわよ。あの犬連れてた人。水泳部だし」
義樹が、水泳部との関連について考えていると、ケータイが鳴って春樹が飛び上がる。
「駄目だ。一つの所に長くいちゃ駄目なんだ。永田町が俺を狙っている。内閣のコンピューターをハッキングしてる奴がいるんだって」
 
 部屋が、暑苦しい黒服の男達で占領される。義樹と麗美は、そっちを見ないようにして豪華な朝御飯を続ける。
 食べ終わった義樹が楊枝を使いながら男達に言う。
「未成年の誘拐は罪が重いですよ。これから警察庁の知り合いに電話します」
男の中で一番偉そうな人が発言する。
「何を言ってるんだ。誘拐じゃない。今、ここでやってもらうんだから」
「じゃあ、強要罪」
春樹がパソコンを開きながら言う。
「いいよ、義樹。僕、このくらい朝飯前に片付けちゃうから」
 
 
 

 
2023年2月




『こんなもの頼んでないけど?』のプロモーションビデオを創りました。


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