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【ショートショート】バスの停車ボタンの秘密

僕はいつものように池尻大橋の大学に行くため、家の前のバス停でバスを待っていた。
昼前の11時13分。それが目的のバスの出発時間だ。
水曜日は午前中の授業がないから、朝寝坊して家を出ることが出来る。

ちなみに池尻大橋に向かうなら三軒茶屋駅で電車に乗れば良いと思うかもしれないけど、駅まで家から徒歩15分はかかる。家の前のバスに乗れば、その時間も短縮できる。

時刻は11時13分。
定刻通り、池尻大橋経由、渋谷行きの13番のバスがやってきた。バス停には僕一人で、僕がバスに乗り込むと同時にバスは出発した。

世の中は自動運転化が進み、この路線も運転手のいない自動運転バスが運行している。今日のバスはいつもと何も変わらない。サラリーマン風の男と僕の2人だけが車内にはいる。おそらくいつも乗っている男だ。顔をまじまじと覗いた事はないから、本当に同じ乗客かと聞かれたら「多分」としか答えられないけど。


途中、三宿の交差点に差し掛かった時、バスが少し強めのブレーキを踏み、僕はバランスを崩してしまった。

「おっと」と思ったのも束の間、体で停車ボタンを押してしまった。

「次、停まります」
機械的なアナウンス音が車内に流れる。

やばい。僕はもちろん、確かこのサラリーマン風の男もこのバス停では降りないのに停車ボタンを押してしまった。

急いでいたのだろう。乗客のサラリーマンは少し不機嫌な顔をして僕の方に目線を一瞬向けた気がした。
その時、やばい、どうしよう、何とかしなきゃとの思いがごっちゃになり、なぜそんな事をしたか分からないけど、エレベーターの停止ボタンをキャンセルする要領で、停車ボタンを素早く二度押ししてしまった。

すると、驚いた事に次のアナウンスが流れた。

「次の停車はキャンセルされました」

その時は流石にサラリーマンも「えっ?」という顔をした。
なんせバスの停車ボタンがキャンセル出来るなんて予想だにしなかったからである。
とはいえ、僕とそのサラリーマンは赤の他人である。不思議に思いつつ、お互いに言葉を交わすことはなく、車内にはエンジン音だけが響いていた。

バスは池尻大橋に近づき、今度は僕は自分の意思で停車ボタンを押す。「次、停車します」とのアナウンス通りバスは停留所に停まり、僕は学校へ向かった。


その翌週のこと。

11時13分。
定刻通り、池尻大橋経由、渋谷行きの13番のバスがやってきた。

プシュー。僕を乗せたバスが出発した。今日のバスはいつもと何も変わらない。乗客は僕とサラリーマンの男の2人。でも、なぜだろう。少し視線を感じる気がする。サラリーマンが僕の方をたまに見ている気がするのだ。

気のせいだろうと思い、ぼーっとしていると、バスは池尻大橋に近づいてきた。
僕は停車ボタンを押し、次のバス停で降りる準備を始めた。

バスのスピードが落ち、「あと3秒くらいで停まるかな」なんて考えていると、なんとあのアナウンスが流れたのだった。

「次の停車はキャンセルされました」

僕は驚き固まっていると、バスはまるでそこに停まる予定など最初からなかったかのように、スピードを上げ走り出した。

車内に目を向けるとサラリーマンの手が素早く動き、不自然な角度でスマートフォンを触っている。

「こいつ、やりやがったな」

定刻より少し早めに池尻大橋を出発したバスは、2人を乗せたまま渋谷へ向かった。渋谷で降りたサラリーマンはいつもよりゆっくりとした足取りで会社へ向かうのだった。


その翌週のこと。

11時13分。
定刻通り、池尻大橋経由、渋谷行きの13番のバスがやってきた。

僕は何食わぬ顔でバスに乗り込む。さっと社内を見回すと、いつも通り、乗客は僕とサラリーマンの2人である。

今日の僕には作戦があった。僕は決して負けるわけにはいかないと闘志を燃やし、来るべきタイミングを待っていた。

バスは池尻大橋に近づき、僕はまずは何食わぬ顔で、停車ボタンを押す。
「次、停まります」
車内には無機質なアナウンスが流れた。

そして、その時がやってきた。
バスのスピードが落ち、「あと3秒くらいで停まるかな」というタイミングで、サラリーマンの手が停車ボタンに伸びるのを確認する。

その瞬間、僕もまた停車ボタンに手を伸ばし、ボタンを押したのだ。しかも3回。

すると僕の作戦通りの車内には次のアナウンスが流れた。
「次の停車はキャンセルされました」
「次、停まります」

「次、停まります」の「す」が流れた時に丁度バスは停留所に到着し、プシューという心地よい空気圧の音とともにバスの扉が開いた。

サラリーマンの唖然とした表情を横目に、僕はすました顔で下車し大学へ向かったのだった。


さらに翌週のこと。

11時13分。
定刻通り、池尻大橋経由、渋谷行きの13番のバスがやってきた。僕はそのバスに乗り込む。

暫くして池尻大橋が近付いた。僕は先週の作戦通り停車ボタンを押そうと手を伸ばしたその時だった。無情なアナウンスが車内に鳴り響いた。

「次の停車はキャンセルされました」

「まさかっ」と思ったときは既に手遅れだった。続いてアナウンスが鳴り響く。

「次、停まります」

「次の停車はキャンセルされました」

最後のアナウンスが鳴り響いた後、バスは池尻大橋には停まることなく、渋谷に向け出発した。

サラリーマンの男は僕がボタンを押す直前に5回ボタンを押していたのだった。
2回がキャンセル分、1回が停車分、そしてもう2回が再キャンセル分である。

2人を乗せたバスは池尻大橋を素通りし渋谷へ向かった。バスは渋谷に定刻より早く到着し、サラリーマンは余裕の足取りで会社へ向かった。


その翌週以降、僕らの戦いは熾烈を極めた。
サラリーマンがボタンを5回押すなら、僕は6回。そして、サラリーマンが8回押せば、僕は9回と徐々にボタンを押す回数が増えていった。もはやこの戦いは留まる事を知らず、僕がバスに乗車した瞬間に僕とサラリーマンのどちらかがボタンを押し、その後どちらかが降車するまでボタンを押し続ける、そんな戦いになっていた。


来る日も来る日も僕らはボタンを押し続けた。


そして迎えたある日のこと。

11時13分。
定刻通り、池尻大橋経由、渋谷行きの13番のバスがやってきた。

僕はバスに乗り込むやいなや、いつもの習慣でボタンに手を伸ばしボタンを押し込んだ。
すると・・・・・鳴らないのである。

いつものアナウンスが鳴らないのである。なんでと思いながらサラリーマンの方を向くと、サラリーマンも同様に困惑している。

繰り返し、繰り返しボタンを押すがアナウンスは流れない。
おそらく、僕とサラリーマンが毎週のようにボタンを連打し続けた結果、ボタンの接触部分が故障し、反応しなくなってしまったようだ。

池尻大橋が近付き、僕はボタンを押すが当然アナウンスはならず、バスは停留所を通り過ぎた。そして、渋谷に近づき、サラリーマンはボタンを押すも、当然バスは停まらず、通り過ぎてしまった。

その後、僕らの困惑をよそに、2人を乗せたバスは延々と都内を走り続けるのだった。停車ボタンを失った今、このバスを停める方法は誰にも分からない。

                               (了)

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