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私は怒られる人

※長文ですが自分の中にあった心のブレーキが
外れるであろうところまで記載しています。


先日

一生涯使える
自分だけのブレーキ外し
スキルを手に入れる!
セルフカウンセリング1Dayセミナー

を受講させていただいた。

講座の名前だけでも
ウキウキしてしまうこの感じ。



本来は半年間じっくり学ぶ内容のものを
講師のとも花さんが1dayでも学べるようにと
重要点をギュギュッと濃縮して
瞬きできないくらいどこもかしこも
重要!大切!なメモ書きたんまりの内容に作ってくれた講座。

朝の9時半から始まり
あっという間の5時間半だった。


早速興味がある人はこちらから。
募集はメルマガからしか行わないみたい。


私が講座を受けて率直に感じたのは
「初心者の人がカウンセリングを学ぶ」
というよりは、すでにカウンセリングを学んではいるが
実践できてないとか
学んだけどまだ腹落ちしてないとか
自分のものにできてないとか

経験者のための
さらなるステップアップのための内容
と言った感じがした。

もちろん初心者さんも受講可能だと思うが
経験者の方が断然入ってくる内容や情報量が違うと思った。


ワークも盛りだくさんで
丁寧に遺跡を発掘するように
自分の奥底に眠っていた感情を
掘り起こす作業がたんまりあった。


コンスタントに取ってくれるシェアタイムでも
学んだ内容を都度アウトプットするので
受講者の人とのすり合わせもできて
大変ありがたい。


この日私は満を辞して年末から取り組んでいる
自分のテーマと向き合うことにしていた。


とあるワークから自分の潜在意識を辿っていく。


顕在意識から自分の奥深くに眠っている
潜在意識をカウンセリングを使って
辿っていくのだ。



私は漫画でもアニメでもドラマでも
実生活でもどんな場面でも、我慢できない人がいる。
つまり苦手、嫌だと思うキャラ。

こういうキャラが出てくると問答無用で怒りが湧いて
攻撃したくなる。

・とにかくいらんことする人
・失敗することを考えず向こう見ずに動いて
 結局失敗して周りに迷惑をかける人
・その後さっさとリカバリーもせずに
 自責して落ち込んでめんどくさい人
・自分という等身大を把握してなく
 根拠のなくポジティブだけで乗り切ろうとする人


例えば漫画やアニメの主人公で
チームで冒険している途中
危ないと言われているのに
大丈夫さ!僕は強運だから!
なんて言って、一呼吸おいて考えた方がいいのに
向こう見ずに突き進んで、結局敵に囚われてみんなに迷惑かけて
「僕のせいだ!なんてことをしたんだ!」とかいって
泣いたり後悔したり、自責したりするだけで
全然リカバリしないキャラ。とか

↑例えばで書いてるので
どのアニメに該当するかなどは不明


もう自分でもわからないくらい感情が湧き立って
抑えられない。


絶対におかしい。
アレルギーの人がアレルギー対象に触れたときみたいに
強い反応が起きる。


これを頼りにカウンセリング手法で
自分の深海に潜っていくと、あることが見えてきた。


落ち込むことを許してない
後悔することを許してない。


こんな自分が見えてきた。
確かに、落ち込む前にさっさと解決しなきゃ!
後悔するくらいなら未来にどう活かせるか考えろ!
なんて思っている。



ふむ。


次に自分がどうなりたいか?
叶ってない願望についてみていく。



またカウンセリング手法で出てきたのは


もっとお金が稼げてもいいはず。
もっとお金も時間も自由になっていいはず。


こんなことが出てきた。
しかしもし私がお金も時間も自由になるために
今自分が必要とすることといえば…


自分のアイデア、クリエイティビティを発揮することだと思った。


だけど、現実にこれが具現化してないとしたら
自分のアイデア、クリエイティビティを
発揮することをストップさせているということになる。



WHY?
なぜ?



またこの講座のすごいところだと思ったのが
ここからもっとマリアナ海溝並みに
深い自分に潜っていけるステップを学べたことだ。


手順に沿って
ワークを進めていくとびっくりすることがわかった。



私はよく口癖で
「怒られた」という。


例えば、靴が玄関であっちこっちに脱げてますよ!と
夫に言われたとしたら
「あ〜怒られたー!」

トイレの電気がつけっぱなしですよ!」
「あ〜怒られた!」

お菓子を食べっぱなしにしてるからこぼれてますよ!
「あ〜怒られた!」



普段の私のポンコツぶりが露呈してしまうが
この際どうでもいい。



こんな感じで多分夫は怒ってはいないのに
何かしら物申されたら「怒られた」と認識する癖が
私にはあるようなのだ。


私は怒られる人


そういうセルフイメージがあるらしい。


確かに、幼い頃から
親はもちろん、近所の人、学校の先生、親戚縁者
いろんな大人たちから「変わっている子」という
レッテルを貼られて怒られてきた。


今考えると、自分の枠内に収まらない
のびのびした子供に手を余した
ちょっと残念な大人だと思うのだけど



当時は、絶対的な同調圧力というか
ただただはみ出しっ子としてしか認識してもらえず

輪を乱す、突飛なことをする、いらんことをする

でとにかく怒られた。


ダメ!
つまらん!(九州の言葉でいけないの意味)
いけません!



そして私は怒られるだけで


なぜそんなことをしたのか?
どうしてそれをしなければならなかったのか?
何をどうしたかったのか?
など、説明する機会も与えられなかったし
私の言動に興味も持たれなかったし
私の言動を尊重されることなど
ただの一度だってなかったのだ。


問答無用で怒られる。
言い訳もできない、説明もできない。
まさに辻斬り。



だから私はこういう大人たちに
怒られたくないがために


・勉強ができる自分
・なんでもそつなくこなせる自分
(できないことは華麗にスルーできる技術)
・常に人の役に立つ私


であることを自分に課したらしい。


自分の思ったことを形にすると怒られる。
自分のいいと思ったことをすると怒られる。
自分がナイスなアイデアだと思っても怒られる。


そんな毎日が続いたら
誰だって自分の天才性を発揮するのは
絶対によそうと思うに違いない。


そして、ワークの途中で思い出したことがある。



幼稚園の時。
よく夕飯の後父がかき氷を作ってくれた。
家で食べるかき氷は好きな味が作れて
楽しいしおいしかった。


ある日の日中、一人で家にいた私は
かき氷を食べようと思い自分で作ろうと思った。


機械の使い方はわかる。
父さんのやってるのを見たから。



だけどかき氷を作る機械は私の届かないところにある。
どうしたもんか?と思ったときに
私は引き出しの中にある
野菜をスライスするスライサーがあることを思い出した。

あ、かき氷を作れるかも。

私は冷凍庫から氷を出して
スライサーに氷を押し当てて
かき氷を作ろうとスライスした。


シャっ!!


できた〜!!!


でも手がどうにもこうにも冷たい。
持ってられない。


どうしよう。


あ!!!
ハンカチで氷を持とう。
アイス食べる時に、手が冷たいとハンカチで持っていたことを
思い出したのだ。


お気に入りの水色のゾウさんが描かれたハンカチ。
そのハンカチで氷を掴んでスライスをする。


シャッ


できた!
何回か往復する。


でも、あれ?なんか引っかかった。


そう、ハンカチが刃に引っかかって
少し穴が空いてしまった。


お気に入りだったハンカチに少し穴が空いて
私は悲しくてもうかき氷を作るのをやめた。



その後帰宅した母さんが
その一連の私の行動を察して案の定怒ったのだ。


ハンカチに穴を開けたこと。
危ないスライサーを勝手に使ったこと。


確かにそうなのだが
子育て中の母とはこんなに子供の意見を聞くほど
余裕がないものなのだろうか?


私は子育てをしたことがないから
何もいえないのだが
理由も聞かずに抑えつけるのは
いささか信じがたい。


もしくはもう母さんの中で
せしぼんはおかしなことをする子。
というバイアスがかかっていたのだろうか?


例えばだけど
もし今の私が当時の5歳の私に出くわしてたら


あったまいいね〜!
これでかき氷ができると思ったん??
すごいね!

でもお気に入りのハンカチに穴が空いて
一番悲しいのはせしぼんちゃんよね。


と思っただろう。
ま、でも非現実的な想像をしても仕方がないから
よしておく。


そう、誰も当時の私のアイデアや
クリエイティビティには気づかず
私のお気に入りのハンカチに
穴を開けてしまった悲しさにも気づかず

ただただ行動を否定する大人しかいなかった。



そんなことが毎日のように続いたからか、
私は自分で色々と考えるのが嫌になった。
どうせ考えたって怒られるんだから。


かと言って言われたことをそのままするのも癪だし
ということで、言われたことにちょっとだけアレンジをする
という手法を身につけて、
微妙なオリジナリティを確立した。



2次著作的な?


というエピソードを思い出したのだが
そりゃ、自分のクリエイティビティ発揮するの怖いわ。
アイデア思いつくの怖いわ。
いいこと考えるの避けるわ。


したいと思ったことは邪魔される
何かすると怒られる


こんな風に潜在意識で思ってるなら


自分の能力発揮しようとも思わないし
そうしたら仕事もそこそこ、
十分な報酬も得られんのも納得。


お金も時間も自由にするためのブロックがここにあった。



私の深海に、新種の深海魚発見。



そこでもう一度カウンセリング手法を使って
新たな自分を再構築していく。


そしてその傷を癒すべく
最適であろう手法が見つかったので
行動療法で近々それを行う予定。


ふと思った。


私はお金も時間も自由ではないのだろうか?


よくよく考えてみると私は自由にしている。
富豪ではないが、スーパーで好きなものを
カゴに入れる生活はしている。


そして夫は、誰よりも私を尊重してくれる。



ご飯だって作りたい時にしか作ってないし
家事だって自分が好きだからやっている。
仕事も自分がしたくてしてるし
遊びにだって自分で決めて出かけている。



なのに、
これまでの偏見メガネのせいで


私は周りの人の言うことを聞かねばならない
そうしないと価値がない
言い訳ができないから失敗もできない
相手の理想を生きなければ私は生きられない
自分の思った通りにしてはいけない


とおもってたから
全てにおいて「させられている」と勘違いしていた。


どうせ仕事しないと私を認めないんでしょ?

どうせご飯作らないと嫁失格なんでしょ?

どうせ家事しないとグータラっていうんでしょ?

理想の妻でないと一緒にいたくないんでしょ?


びっくりするわ。
どんだけ他人軸なん。
ってことに今気づいた。


だから全てにおいて被害者意識。



全部自分で好きでやっているのに。
そして自由も与えられているのに。


がんじがらめにしていたのはまさに自分だったわ。
ってことに気づき.…


↑いまここ


とはいえ、母さんも初めての子育てで
色々と訳もわからぬことだらけだったと思う。
それに加えて、あからさまに個性が強い子だと
よその子と違う、おかしな子になる!
そんな恐怖もあったのかもしれない。


今の歳の私なら
当時の母さんの言動も理解できなくもない。


心の仕組みを理解することで
本当にいろんなものがほぐれていく。


講座が終わった後、トイレに駆け込んで
絶賛デトックスが起きた。



潜在意識に触れるとどうも私はこういう
デトックスが起きる模様。


今後も重たい荷物をどんどん手放して
自分の能力や天才性を発揮して
軽やかに生きていきたいと思う。


で、話は戻るけど
この講座めっちゃおすすめです。


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