「生きていれば何とかなる」
皆さまこんにちは。
先般のドラマで、上戸彩さんが言っていたセリフが話題になっているようです。
素晴らしい言葉だと思います。
私の限られた経験から言わせていただくと、
「生きていれば何とかなる」→「生きていれば何かが見えてくる」と思います。
私にとっては、そのあとに北大路欣也さんが語った
「生きて、彼と話をしたかった」
という言葉も心に刺さりました。
今、私自身の身の回りにもいろいろなことが起こっています。
私自身も、
この世界から消えられればラクになるな
という心境になるときがあります。
でも、「今は」それはやめようと思います。
成年後見人として、自分の親を最後まで面倒見る意識があります。
そして、子どもを成人させ、仕事を持って家を出るまでは頑張ろうとも思います。
上記の2つが済んだら、今までやりたかった魚釣りとスポーツを存分にやりたい、そのために少し働いておこうと思っています。
「消えたい」と思った30年前
今よりも数段「この世から消えたい」と思ったのは、高校2年のときです。
部活動の運営がうまくいかず、本来助けになってくれるはずの同期全員に裏切られ、毎日絶望的な気持ちを抱きながら学校へ行っていました。
今なら、その学校から定時制なり通信制なりに転校する手段もあるのかもしれませんが、当時はそんな選択肢は考えられず、通い続けるかこの世から消えるかの2択状態でした。
「この世から消える」を打ち消したのは2つです。
ひとつは、「親が悲しむだろう」。常に笑顔だった両親が悲しむ顔を想像しました。
もうひとつは、「学校生活はいつかは終わる」。
物事には区切りがあります。高校生活は3年、部活動に至っては2年数カ月です。同期の顔は見たくないが、その競技自体は大好きでした。スポーツに罪はありません。
最後の試合が終わり、同期から「お前、みんなの前で泣くかと思ってたよ」と言われましたが、「お前たちのために泣くわけないだろが」と心の中で思いました。
「やっと終わった。明日から彼らの顔を見ずに済む」とホッとしました。
それからもう30年以上経ちました。今、思います。
生きていて良かった。
そして、転校しなくて良かった。
存在自体に意味がある
今、月に1回程度ですが、母校へ行き、生徒とそのスポーツを一緒にさせていただいています。
なかなか上手になるものではありませんが、それでも彼らには「ノビシロ」がたくさんあります。それを見つけて励みを与えたいと思います。「うまくなっているよ」と声をかけるようにしています。毎日だと成長は発見しづらいかもしれませんが、月1だと「ノビシロ」がよく見える気がします。
でも実は、そんな交流を通じて自分が元気をいただいているのです。彼らの顔を見ることが本当に自分の心の支えになります。
大昔のOBですが、快く受け入れてくれる母校に、心から感謝しています。
時折、野球部やサッカー部が都大会で上位に進むときがあります。そんなときも、時間が取れれば見に行って応援します。何の関係もないのですが、後輩が頑張っていることで勇気を受け取れる。「私はオッサンだけど、オッサンだからこそ頑張らないと」と思うのです。
だから、今、苦しい思いをしている中学生や高校生には、
「苦しいかもしれないけれど、耐えてほしい。いつか、違う景色が見えるから」
と言いたい。
そして、
君たちは、普通に生活しているだけで大人をすごく勇気づけているんだよ
とも言いたいです。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。