「余白」を感じ取る(ある男・平野啓一郎)
私は、映画館で映画を見る習慣がありません。
いちばん最近見たのは、「GRAVITY」です。
もう10年も前なのかぁ…
同じ場所に2時間以上座りっぱなし、というのが無理な人間です。
で、「ある男」というのも映画で公開されたようですが、先に「本」を読みました。映画なら2時間で済みますが「本」はもっと時間がかかります。電車内の通勤時間中に限定して読んでいるため、読了するまで数日かかるのが普通です。
「この先、気になる」
という感情を抱えて電車を降ります。
それでもいいっす。
小説の場合は、物語の「本題」以外の「余白」が結構たくさんあると思います。映像化されるとその「余白」部分はかなり削られ、本題でほぼ構成されるのではないでしょうか。「余白」部分まで全部映像化したらかなり長時間になってしまうと思うので。
余白、というのは、横道、というかエピソードとも言えると思います。本来は「本題」とはあまり関連性がない場合もあります。そこに、著者の訴えたいことも入っていて、それを楽しむのも小説の一つの楽しみだと思います。
映画を見ていないので、この作品の場合はどうなのか、検証できませんが。
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。