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【わたしのこと】ひとりの時間が楽しい理由と楽しくない理由。そして救いの話
朝起きて、ご飯をつくり、その残りをお弁当箱に詰めて、着替えて化粧して会社に行く。
この時点で、その日のエネルギーの半分は消費している。特に仕事始めの月曜日には、この一連の行為で1週間のエネルギーの3割分くらいを消費しているので、残った7割のエネルギーで後の勤務や生活を乗り切らないといけない。
コロナウイルスの影響で業務の時間に余裕はある。
行く予定だったコンサートや舞台が4つあったがすべて中止。リハビリ以外の予定も入っていない。
思いがけない連休。
もともと内向的だったので、家で楽しむためのツールはたくさんそろっている。
読みたかった本も、進めたかった勉強もある。
文字を追うのが面倒ならば、美術館で買った図録もある。
だが、休日もあまり観もしないテレビをみて、食事を用意して、そのほか家事をして、時々noteのストックを書いて、寝る。
という生活を続けている。新しいものはなかなか追加されない。
何かを楽しむということは、何かを消費するということ。
いまわたしは、消費に必要な体力と精神力が落ちている状態だ。
「生活」、生きるための活動だけをしている状態。いったい私に何が足りないのだろう。
わたしは、コンサートやイベントそのものよりも、「友人や親しい人と過ごしたり、話したり、楽しみを共有する時間」が楽しいと感じる。
それがあって初めてひとりの時間の楽しみも担保されるのだと気づいた。
そもそも友人も少ないので発電源も少ない。
話しても、最近はネガティブな話題ばかりだ。
何かを消費するためのエネルギーは、誰かと一緒に過ごす時間で生み出されていた。
コロナ流行期からの空白期間は、わたしの発電方法を図らずも教えてくれた。
noteを書くこともその1つだ、なにか反応があることも、エネルギーになっている。
書くことはもう習慣になっているし、反応を見ることで、読んでくれた人とのコミュニケーションが成立していると感じる。
実際会って話したりはしていなくても、文章を通じてその人と時間を共有したことになっている。
「続けなきゃ」という義務感もあるが、少ないエネルギーを使いながらも、続けられているのは、そこにわたしが「楽しい」と思えるコミュニケーションの要素があるからだ。
noteを書き続けたことで得られた、思わぬ副産物。
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