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わたしの落とし物...自傷

わたし自身と向き合うための記録です。

最後には、誰かに寄り添えれたらいいな。と思い、書き続けます。

◆過去記録

わたしの落とし物...感情の崩壊

わたし落とし物...拒食①

わたしの落とし物...拒食②

 

拒食症が一旦治まったあと、

すぐに自傷行為が始まりました。


ネットやメディアで見た事のある

"リストカット"です。

よく死ぬ気ではない。と発言される方もいます。

死ぬ気でなくても、リストカットをするくらい、苦しいことは変わらないです。

私の場合、

自分の心の苦しみを周りに上手に伝えられないから、リストカットをしていました。

でも、

でも、リストカットをしても、何も伝わらなかったです。


家族は、半年経っても気付きませんでした。

知り合いは、見て見ぬふりをしました。

そんなものです。

それでも止められませんでした。

"こころが痛いこと"を気づいて欲しい。


なのにリストカットをしてると分かると、周りからは怒られました。

母も怒って、泣いていました。

わたしは、自分の辛さを

「助けて」という言葉で伝えられなかったのです。


「助けて」と心では叫んでいても、周りは分からない。

言葉で「助けて」と伝えても、周りはどう助けていいか分からない。

その時は、

これからわたしは、どうやって生きていけばいいのだろう。

辛い気持ちまで怒られる。。

なんで?

無理しないで。って

どういう意味?


そんな時、高校時代からの友人は、

「いつでも連絡してね。」

と言ってくれていました。

だから、わたしはたくさん連絡しました。でも、友人が電話に出られずに友人から折り返してもらうときは、友人の電話代がかかります。

その当時、かけ放題なんてプランも無料通話ツールもありませんでした。

わたしは、電話代のことなんて考えずに、電話をしました。

自分の携帯料金が高いと、両親から怒られました。友人もきっと高かったのでしょう。

人伝で友人の言葉を聞きました。

「折り返すと電話代がかかるから、電話をしたくない。」


そして次第に、何が原因かも告げられないまま、

多くの友人から、避けられるようになりました。

多くの友人から、連絡が返ってこなくなりました。

そして、1番信頼していた親友から

「友達をやめたい。」

とメールが届きました。

毎日のように、わたしからの連絡は辛かったのでしょう。

電話代も苦しかったのでしょう。

最初は、本当に支えたいと思って、「いつでも連絡してね。」と多くの友人が言ってくれたのでしょう。

でも、友人達は言えなかった。

自分も辛いんだ。

ということを。

わたしは、「友達をやめたい。」その一言を言われるまで、分かりませんでした。

自分勝手に生きてました。

頼っていい人に、どの程度頼っていいか。

そんな分別をつけなければいけないことが、分かりませんでした。

友人と親友を合わせると15人程の人と連絡が取れなくなりました。

わたしは、何を信じたらいいか分からなくなりました。


母に、親友から「友達やめたい。」と言われた。と伝えました。

母の第一声は、

「〇〇ちゃん、何かあったのかな?」

わたしの心配ではありませんでした。


誰からも見られない人間。

誰からも必要とされない人間。

それがわたしでした。


自傷行為は、リストカットから耳の裏の皮を剥くことに変わりました。

そっちの方がバレないからです。

外耳炎や中耳炎を繰り返しても止めませんでした。

わたしが悪いことをしたから。友人の苦しみに気づけなかったから。迷惑をかけたから。

そんな風に自分を責め続けました。

気付いてほしい辛さから始まった自傷行為は、

自分を責めるための自傷行為になりました。

ある日、繰り返しの外耳炎と中耳炎で、一時的に耳が聴こえなくなりました。

どんな自傷行為をしても、救われなかった。

その時わたしは、

自分の救い方が分からなかったのです。


自分のことを誰よりも憎んでいた。

自分のことを誰かに愛されたかった。

自分で自分のことを愛せなかった。


そして、

ずっと支え続けてくれた、大切な恋人までも失いました。

そのお話は次の記録に書きます。







気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚