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わたしの落とし物…拒食①
わたしは怒りの感情を抑え込んだと思っていた。だけど、別の形で現れることになる。
結論から言うと
怒りを抑えて、悲しむだけでは
自分は何も救われなかった
妹が統合失調症になり、
5年後、父がパーキンソン病になった。
わたしは、拒食症になった。
だけど、その頃のわたしは、家族に心配かけたくない。怒られたくない。という思いが強くて、拒食症だということがバレないように生活しようと決めた。
朝食は決まって家族4人で食べる。そこで食べなければバレてしまう。
だから、朝食だけは食べた。
でも、大学に通っている間の昼食も、その後の夕食も、もちろん間食も一切口にしなかった。
昼食は家族が見ていないからバレなかった。
夕食はバイトのシフトを週5日にして、家で夕食を食べないようにした。バイトのない日は、友人と過ごした。
友人には、食欲がない。と伝えて、
どこに行っても何も食べなかった。
友人はスープくらい飲んだら?と言ってくれたが、わたしには残酷な言葉だった。友人が優しさで言ってくれてることも分かったから、頼んでみることもあったが、
いざスープを飲もうとすると
身体が拒否をした。
それは、心が拒否をしていたから。
お腹空いた……と思っても、その空腹感は一瞬で失くなる。空腹感に罪悪感を抱いていたから。
朝食以外、食べなくなった身体は、もちろん痩せていった。それが嬉しくてたまらなかった。自分の頑張りを
結果として評価できるものが他になかったから。
だけど、わたしに想定外の事が起こった。
拒食症になってから4ヶ月後。
わたしは、ヘルパー2級(現:初任者研修)の資格取得のために、講習や実習を受けていた。
ヘルパー2級の資格は、父がパーキンソン病だと知った時に取得しようと決めた。
その資格講習の際に、
"食事の介助"
をペアになって練習する講習がありました。
わたしは、どうしても介助される側になることができませんでした。
食事を口に入れたくなかった。
何かを食べるという行為ができなかった
ヘルパー2級の講習中は、他の受講者よりも常に積極的に講師に質問したり、意欲に溢れていた。
だから、食事の介助の日、
わたしは、講師から呼び出された。
講師はわたしにの異変に気付いてくれていた。
泣きながら、食べられない。と伝えた時に、講師は、あなた食べなくていい。と言ってくれた。
だけど、それだと食べさせてもらう側の気持ちが分からないから、しっかりみんなの感想を聞くように。
それだけだった。
わたしにスープでもいいから飲んで……と言ってくれる友人の優しさも分かっていたが、講師が食べなくていい。と言ってくれた言葉が嬉しかった。
拒食症のわたしを否定しなかったから
その結果、わたしは母親に打ち明ける決意をした。
4ヶ月間、朝食しか食べていないことを。
拒食症だということを。
わたしの異変…②-2 へ続く。
気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚