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目に見えない辛さ。

noteは記録用でしたが、もし少しでも私と同じように苦しんでいる方や、私と同じだった方。

そして、少しでも知りたいと思ってくれる方に向けて書きます。

やっと母と少しずつ話しができるようになったので、分かってきたことがあります。

それは、幼少期の私の話と、母自身の話です。

32歳になって母と話せるようになるまで、私は知らないことでした。

私の母は、母が2歳の頃に父親を病死で亡くしました。私の母は、周りに甘えることなく大人になりました。

父と結婚して、母は甘えることができるようになったようです。

ただ、甘えられることが苦手でした。

自分の子供からも甘えられることが苦手でした。


母は、父と出会ったことで、やっと甘えることができたから、甘えられるよりも甘えたかったんだと思います。

私が産まれた時はとてもとても嬉しかったらしいです。

だけど、

母は、育児ノイローゼになりました。


私の小学生の頃の記憶ですが、母のヒステリックになる言動は、とても覚えています。

そして、常に辛そうでした。

母が、甘えているなんて思ったことありませんでした。そのくらい母はいつも辛そうでした。

母を責めたこともありませんでした。

それは父がたくさん遊びに連れ出してくれたからです。

それでも、母との思い出がないことは、

とても寂しかったです。


そして、どれだけ頑張っても母から褒めて貰えない事が、

私の自己肯定感の喪失に繋がりました。


そして、転機を迎えます。

妹が統合失調症と診断されたのです。


母は、甘えられることが苦手なのに、妹のサポートのために妹を甘えさせることを頑張りました。

母は、妹のために仕事を辞めました。

今まであんなに辛そうにしていた母が、

急に強い人間になったかのように見えました。

でも本当は

母は、もっと弱くなっていました。


そして母が私や父に甘えられるように、私や父も頑張りました。

妹のために外出しなくなった母の代わりに、高校1年生の思春期の私が、父親とスーパーで買い物をしました。

反抗期を迎えていいはずの私は、

反抗するような余裕は、ありませんでした。


妹は統合失調症で苦しみました。

母は妹を支えるために必死でした。

父は仕事と家庭を守るために休む場所がありませんでした。

私は孤独と戦っていました。

家族は、みんな頑張っていました。

お互い

目に見えない辛さを抱えて。




気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚