誰がために装う? 〜私のドレスコード遍歴・1〜
たまには女子らしい話をしよう。
昨年8月刊行の、山本あきこ氏の本『これまでの服が似合わなくなったら』を読んで、そんな気分になったなった。
…ちっとも女子らしい展開にならないかもしれないけれど。
今の仕事に就いて、良かったこと。
そのひとつが、ドレスコードの呪縛から開放されたことだ。
小学校入学時、私は赤いランドセルを強く拒絶し、自分で黒を選んだらしい。
「自分の服装に、こんな大量の赤は似合わない」と言って。
好みのはっきりした子供だった。
その後、制服というものを一度も着ることなく、私は社会人になった。「ぜんざい公社」に入社した時の私は、制服や、それに付随したりしなかったりするドレスコードに規制される、という事について、まるで経験が、耐性がなかった。
配属された営業部門で、ショップ勤務の時用に、と渡されたのが、銀行のテラーさんのようなアンサンブル。これが制服というものか、と思った。
その制服はそこそこ私に似合ったが、制服と共に課された数々の規定…髪や爪の色と長さ、アクセサリーの数や大きさ、ストッキングの厚さに靴の種類やヒールの高さ…には、閉口した。その規定を守っている就業中の自分は、別人だと感じていた。
イベントホールに出向すると、ほどなく私は制服を脱いで私服勤務を始めた。グループ全社の女子制服がリニューアルされ、支給された新しい制服が、あまりに窮屈で動きにくい、労働に適さないデザインだったからだ。
一般部門でも新制服は大不評だったが、殊にこちらは、必要ならば大道具も担ぐ、という環境である。
「なぜ、着る女性達に意見を求めないのか」
「会社は、女性社員に何を求めているのか」
「女子制服のデザインを男性役員が決めるなら、役員は試着をするべきだ」
本気でそう思った。…営業部門で、優秀な男性営業部員が、売るために自身で打掛や振袖を試着する姿を見ていたので。
その後、また制服が変わり、黒いジャケットを含むセットアップが支給された。それを機に、イベントホールの女性たちは、「制服を着るか、私服に支給のジャケットを羽織るか」の二択を迫られる。
私は当然、私服を選択。以来、ジャケットを羽織ればホールスタッフに、脱げば舞台の裏方に、自前のアイテムを足せば制作担当者に見えなくもない…という路線を追及することになる。
三十路に入ってからの制服改造デビューである。
黒の着こなしに慣れ、タンスに黒ベースの服が充実した頃。突如、辞令が出た。私は、新設されて間もないwebニュース配信会社へ出向になった。
そこで私は、新たなドレスコードに苦労することになる。
…続きます。。。
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