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【ただの日記】「その気持ちわかるわぁ」と共感されることのしんどさ
今日は雨。
僕は今日、研究の資料を求めて大学の図書館へ行き、その帰り道、コーヒーを飲みにカフェに寄った。
店内が空いていたため、一人で二人席に座り、カフェラテを飲みながら音楽を聴いて、時間を堪能していた。
少し経って、イヤホンからブザーが鳴った。
充電切れだ。
家から学校までずっとイヤホンで音楽を聴いていたため、イヤホンが充電切れになったのだ。
Amazonにて3千円で買った安いイヤホンにしては頑張った方だ。
イヤホンを取り、「おつかれ」とばかりに充電ケースに入れ、イヤホンを休ませる。
すると、隣の席の会話が勝手に耳に入ってきた。聴こえたのは男の声だ。
「あ〜、その気持ちわかるわぁ〜」
何の気持ちだろう。
イヤホンを取った瞬間聴こえてきたからよくわからない。
僕は、他人の会話に聴き耳立てるのは良くないなぁと思いながらも、次々に会話が耳に入ってきてしまい、結果的に聞いてしまっていた。
男と対面しているのは、女性だ。
会話を聞く限り、カップルというよりはバイトの先輩後輩か、出会い系アプリで知り合った関係と推察する。
女性はどうやら悩みを相談しているようだった。「どうしていいかわからない」だとか、「もう全部辞めたい」とか言っていて、辛い様子だった。
結構重たい話だ。
その話に対し、男は「あ〜、そうなんだ。でも俺、その気持ち分かるよ」と繰り返し、男自身の体験談を聴かせていた。
女性は僕の席側に座っているため表情は分からないが、男の体験談を聴きながら、妙な空気になっているのを感じた。
僕は、カフェラテを飲み終わってから
2分くらい聞いてしまったのだが、聴いているのが申し訳なくなり、店を出た。
そこからの帰路、「その気持ち分かるよ」という男の言葉がやけに耳に残った。
そのうち、僕の昔の記憶が蘇ってきた。
「私、その気持ちわかるなぁ〜」
女性の後輩から言われた言葉である。
これは少し昔の話である。
ある冬、僕のお婆ちゃんが亡くなった。
亡くなる数十分前、危篤状態という知らせを母親から受け、今すぐ逢いに行くように言われた。
僕が大学の重要な行事に行こうと準備をしていた時だった。すかさず、欠席の連絡を入れて、老人ホームへと向かう。
全速力でお婆ちゃんの元へと自転車を走らせた。しかし、着いた時には遅かった。
お婆ちゃんの部屋には、スタッフの人と父親が立っていた。
父親は言った。
「さっきまで普通に話せてたんだけどねぇ」
僕の着く三分前亡くなったらしい。
僕はいろいろと後悔した。
お婆ちゃんの部屋には次々に人が来て、手を合わせていった。
僕は部屋にいたのでは邪魔になると思ったため、部屋のすぐ側のロビーに行って、椅子に腰を下ろした。
現実逃避のスマホを開く。
ラインが数件来ていたから返す。
その中に、ある女性がいた。
当時仲の良かった後輩だ。
今だからこそ言えるが、後輩は僕に好意があったようで、僕もその気持ちに気づきながら、割といいなとだけ思って日々のラインを続けていた。
僕は後輩などに弱みを見せたがらない性格なのだが、その後輩は割と心の許せる人間だった。
その日、いつも通りラインを返す中で、僕はお婆ちゃんとの一連の出来事を伝えた。後悔していることなども伝えた。
普段は僕がその後輩の悩みを聴いていることが多いのだが、今回は初めての逆の立場だった。
そのやりとりの中で、このような文字が来た。
「私、その気持ちわかるなぁ」
心の中で思う。「ほぅ、分かるのか」
後輩は続ける。
「私もずっと大好きだった犬が死んだ時、その場にいなくて、1ヶ月ずっと泣いてたもん。」
そうかぁ、やっぱ身近な存在が亡くなると悲しいよね、そうだよねとも思った。
しかし、どこか妙な違和感を感じた。
本当はそんなことないのだろうが、その時の僕は、「お婆ちゃんの死と犬の死を比べられた」という印象を感じてしまった。
そして、なによりも「わかるなぁ」という言葉がやけに軽く感じて、心の中で尾を引いた。
返信はもはや、「そうかぁ〜、そうだよねぇ」しか言えなかった。
もちろん、後輩が言わんとしていることはわかる。僕のことを想っての言葉であろうことも。
しかし、その言葉は僕にとって、一気に引き離されるような感覚を与えるものだった。
ただただ、何か悲しくなった。
僕は、妙な悲しさと寂しさを感じながら、「なんか暗い話しちゃって悪い。慰めてくれてありがとな」と返信してラインを終わらせた。
僕はこの出来事が起きて以来、
「それ分かるわぁ」という言葉の冷たさと残酷さを感じるようになった。
もちろん、僕自身、使われて嬉しい時の方が多い側面もある。
「あの映画面白かった」「あのパン屋うまい」などの会話から、「それめっちゃわかる」と共感されて嬉しいタイミングは多い。
一方で、悲しみや悩みの場で、相手の気を分かった気になったり、「分かるよ、俺もこんなことがあってさぁ」と個々の体験と比較するというのは、時に辛い気持ちにさせる可能性があるということにも留意が必要なのだろうと思う。
「知らざるを知らずと為す、是知るなり。」
他人の気持ちに共感は出来ても、知ることはできないと僕は思う。分からないことは、分からない。そのような自覚と、分かろうとする努力は相手の気持ちを真に共感するための土台になるのだと僕は信じる。
いずれにしても、
みんなはどうだろう。
「その気持ち分かるよ」と言われて、やり場のない気持ちを感じた経験はあるだろうか。
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