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【体験談】初海外イタリアで絵画を値切った話


一昨年の11月、地元の友達と二人でイタリアに行った。ヴェネチアとローマの二つの街の旅だ。

その友人は海外に何回か行ったことがあり、経験豊富なのに対し、僕は海外初体験で、なにもわからない状態だった。
そのため、僕自身は不安と期待という相反する感情に包まれた旅だった。

僕は予習として、英語を勉強してはいたが、実際はあまり使わなかった。全力でジェスチャーすれば大体伝わるのである。
出川イングリッシュ様様である。

一番英語を使ったのは、飛行機の機内だったかもしれない。CAさんは日本人もいるはずなのだが、僕のところには英語オンリーのCAさんしか来なかった。もはや何かの実技テストに感じた。

僕は炭酸が好きなので、ひたすらジンジャエールとスパークリングワインを交代で注文したため、その二つの発音だけは上達したと思う。
この二つの発音で僕の右に出ることができる人間はジャスティンビーバーだけであろう。

食事については、メニューを選択できるのだが、メニュー自体が全部英語で料理名が謎なため、材料の英単語から想像力を働かせてメニューを選んだ。

頼む時は全てメニューを指差して
「this one please」だ。
日本語で「これちょうだい」
これは絶対失敗しない素晴らしい言葉である。

結局イタリアに着いてからも、
友人のお陰で僕は「This one please」と「Yeah!」だけで生きていけた。
六泊八日の旅がこの二語に収まるのだから、
楽なものである。

いずれにしても、イタリアの話を全部してたら日が暮れるので、またの機会にするとして、題名にある通り絵を買った話をしよう。

僕は、イタリアに行ったら絵を買う!
と決めていた。
芸術の本場イタリアで入手した絵を自分の部屋に飾りたかったのだ。

しかし、イタリアのガイドブックを見ても、絵を見るための情報は山のようにあるが、絵を買うための有力な情報は見つけられなかった。

僕は絵を見つけられないままヴェネチアの旅を終え、ローマに拠点を移すこととなった。
ローマ生活が始まって二日目、「スペイン広場」近くの駅に着くと、絵画の市場を見つけた。

これだよ!これ!これを探していた!
僕は子供の頃を思い出したかのようにワクワクした気分で市場を見て回る。

こんな市場ないかなぁ、と想像していたまんまの市場が現実の世界にあったのだ。
テンションも爆上がりである。

絵画は転売されたものではなく、
画家本人が横に座り、売っている市場だった。

僕はその市場を歩き回る中で、
ある一つの絵が妙に印象に残った。

見た瞬間にビビビと電流が走ったのだ。

この絵いい。
僕は自分の直感を刺激した絵をマジマジと見つめた。友人はとぼけた表情で横に立っている。

そんなに良いか?とでも言いたそうな友人の感情を察したが、気にしない。

お店の人なのであろうおじさんは、ペラペラとなにか話しかけてくるが、もはや何を言っているのかわからない。
僕は解ってるフリをして堂々と頷いた。

しかし、わからないのも当然だ。
イタリア語だったのだ。
伝える気はもはやゼロだったのかもしれない。

これは僕が絵画の説明を聞いてきる時の写真。左手に持っているのがお気に入りの絵だ。


僕の友人は「こいつがこの絵を気に入ってるようです」とスマホで検索して英語で伝えてくれた。おじさんはそれを聞いて、嬉しそうに微笑んでいた。

それに続くように、
僕もこの旅行で初めての英会話を始めた。
僕「How much is this painting?」
 (この絵いくら?)
ギリギリ記憶にあった中学英語をドヤ顔で繰り出す。あの時の英語の先生ありがとう。


おじさん「50€ホニャララ」

おお!聞き取れた!
なるほど、50€か、1€大体130円だから、6500円。この絵なら安い。

がしかし、あっそうですか、買いますとはならない。海外は値切るのが普通という価値観が僕の中であったのだ。値段を浮かせて、甘いジェラートを食ってやろうと思った。

また、「this one please」と「Yeah」だけのイタリア旅行にするのは嫌だったため、ここで英語でコミュニケーションをとりたいという意図もあり、値切りをしたくなったのだ。
突如として僕は値段交渉を始めた。

まず、交渉の初手は相手が「それは無理だよ」と言うくらい低い額を言うのがセオリーであることは知っていたのだが、図々しいかなと無性に申し訳なさを感じて「please discount」「40€」と控えめに単語を言った。

それでok!となれば話は終わりなのだが、
「40€」と聞くと、おじさんは涼しい顔をして首を振り、「47」と言ってきた。
まぁですよねと思う一方、対抗があって嬉しかった。

僕は「うーん」と考えたふりをして駆け引きをする。全く重大でもない薄っっい交渉なのだが、この時間はマジで楽しかった。

最終的に、「45!」と言うと、おじさんは親指を立てて「ok!」と言ってくれた。
日本円にして「650円」の差額なため、向こうからしてみれば想定内なのだろう。
しかし、大事なのは値段ではない。

僕は大満足だった。

絵を買えた瞬間も僕はめちゃめちゃ嬉しかった。おじさんが梱包してくれる横で、通訳アプリを使って、「宝物にします」とイタリア語に翻訳する。そして、その画面を見せた。
すると、おじさんは満面の笑みで握手してくれて、絵画の裏にペンで「Good life」と書いてくれた。その後二人で肩を組んで写真も撮った。良い思い出である。

その絵は僕がイタリアから持ち帰った戦利品として部屋のベッドの上に飾られている。

イタリアから帰ってきて、るんるん気分で家族に絵を見せると、「へぇーこれなんの絵?」と淡白な言葉をかけられた。

その絵がこれだ。


どうだ、素晴らしいだろう。
真ん中に描かれているのは、コロッセオだ。

僕はとても気に入っているのだが、僕の家族はこの絵の良さがわからないらしい。なんでこの絵を良いと思ったの?と往々にして聞かれた。

少し説明してやろうと思う。

まず、絵の好みに正解はない。
僕は抽象画が好きなのだ。
分かりやすい絵より、解釈がいくつも分かれる謎なタッチの絵の方が面白いと思う。

この絵を見た人は、マンションの絵?と言うことが多いが、僕はコロッセオの絵なのだと分かっている。そこも一興である。

見る人によって違う印象を受ける絵ってのは面白いじゃんと僕は思うのだ。

この絵で言えば、
・上の方の空が黒く描かれているってことは、雨の日なのかな
・ごちゃごちゃしてるのは濡れた窓から見た景色だからなのかな
・下に描かれている屋根はなんの屋根だろう。
あの遺跡の屋根なのかな
・もしかしたらあの場所の高台から書いたのかな
などなどと、いろんな想像ができるのである。

こうゆう絵は非常に面白いと個人的に思う。

この絵は僕の中で思い出の詰まった一番好きな絵なのだ。

また、僕はこの絵を額には入れていない。
額に入れないと湿気によって、劣化しやすくなるのだが、それはそれで良いと思っている。

自分が歳をとると共にこの絵も歳をとる。
外気に触れさせて、わざと劣化させることからは、初めての異国の地・ローマで出会ってから一緒に人生を歩んでいる感を可視的に感じられるのだ。

この絵が朽ちようと誰も困りはしない。
自分だけがその価値を知っているからに他ならない。

絵とはそういう楽しみもあるのだと思う。

しかし、こんなにこの絵を気に入っているのだから、値切らずに「この絵に50€なんて安いものです!買います!」と言った方がおじさんは喜んだのだろうかとも振り返って思う。

おじさんに5€をチップとしてあげなかったのは後悔だ。

いずれにしても、僕にとってあのおじさんは、ゴッホよりダヴィンチよりも「great artist」なのだ。

約1時間しか一緒の時を過ごさなかったが、
ベッドの上の絵を見るだけで、その日の情景が蘇り、おじさんを思い出す。


今もまだ素敵な作品を作り続けているのだろうか。

使う言語が全くことなるだけで、全然気持ちが伝えられなかったことがとてももどかしいのだが、次イタリアに行くことがあって、もし再開する機会があれば、イタリア語で御礼を言い直そうと思う。

おじさんこそ「Good life」を送ってくれていることを祈るばかりである。

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