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【考察】僕の自己啓発

『夢をかなえるゾウ』という本を
知っておるだろうか。

僕自身、このnoteの様々な記事を読む中で
この本の存在を知った。
ふーんそんな本があるんだぁ程度に
把握していたのだが、
この前、ある古本屋に寄ったところ
この本が安く売られていたため
即買いした。

そして、今日読み終えた。
感想としてはめっちゃ良かった。
諸々の啓発本に無いような分かりやすさと、
独特な説得の仕方だった。

今回はそのような『夢をかなえるゾウ』の
感想文を長々と書こうと思う。
そりゃあもう長々と。

しかしながら、この本を読んで得た感想は
ちょっと多すぎるため、
特に印象的だった部分を三点に絞って、
その説示を挙げようと思う。

初めに断っておきたいのだが、
この本はストーリーを踏まえて読まないと
真の価値は伝わらないと思うので、
少しでも興味を持ってくれたそこの君は
実際に読んで頂きたい!!

さて、先ずは大筋の
ストーリーについて纏める。

ある日、目を覚ますと、目の前にはゾウの姿をした不思議な生き物が座っていた。
怪物は、ガネーシャという名前の神様であると名乗った。
「僕」は、自分を変えて成功するための技をガネーシャに教えてもらう契約を交わしてしまう。

これは、そのような弱気な僕が、ガネーシャの教えをもとに変わっていくまでの物語である。

まぁ、ストーリー的にはよく見るやつだ。
僕も読む前は少しバカにしていた。
しかし、読んでみると、
学べたことが非常に多かったのだ。

ガネーシャの教えには「靴をみがけ」
「トイレ掃除をしろ」「募金をしろ」
などのような具体的な行動や、
「その日頑張れた自分をホメろ」
「一日何かをやめてみろ」
などのように指針となるような教えが多い。

いずれにしても
教えの内容や目標は様々なのだが、
とりわけ、ここでは「僕が」印象に
残ったものを述べてみることにする。

1、本気で変わろ思たら、意識を変えようとしたらあかん。

いきなりの関西弁でびっくりされたかもしれないか、ガネーシャは関西弁を使うのだ。

引用したセリフは、
禁欲や願望成就のためには
意識を変えようとしてはいけない

ガネーシャが教えている場面のものである。

これに対応する例を挙げれば、
僕は最近、寝る前にスマホをいじることを
辞めたいと考えている。
しかし、現在辞めれていない。

ガネーシャの指摘を踏まえれば、
僕は「意識」を変えようとしているに過ぎないのだろう。

ではどうするべきなのだろうか。

ガネーシャは『具体的な何か』を変えなければならないと言う。

『具体的な何か』。

ガネーシャは次のように言う。

◯本文より引用

「『テレビを見ないようにする』
この場合の具体的な何かって分かるか?」

答えられずにじっとうつむく僕の横を
通り過ぎ、ガネーシャはテレビの近くで
立ち止まった。
「それはこうすることや」

ガネーシャはテレビのコンセントを抜いた。

「テレビのコンセントを抜いたら、
テレビ見たくなっても、一度立ち止まるやろ。そしたら今までよりテレビ見んようになるわな。だって無いんやもん。見ようがないやん。
いや、ワシはテレビを捨てなあかん言うてるわけやないで。テレビを見るとか見いひんとか、そんな細かい話をしとるんやない。ええか?ワシが言いたいのはな、自分がこうするて決めたことを実行し続けるためには、そうせざるを得ないような環境を作らなあかんいうことや。ただ決めるだけか、具体的な行動に移すか。それによって生まれる結果は全く違ってくるんやで」(116頁)

つまり、実際にそうせざるを得なくなる環境作りが重要だと言うことだ。

最近、スマホをタイマーでロックするグッズが
流行っているのを知っているだろうか。

そのようなグッズを使っている人は、
このガネーシャの教えを独自に理解しているのだろうと思う。
しかし、僕を含めて、実行に移せないタイプも多い気がする。

考える前に、そうせざるを得ない環境を作る。
僕自身そうしなきゃなと納得させられる
指摘だった。

以下、自分自身の目標と
作る環境をここに宣言しようと思う。

・腹筋を毎日する
→腹筋ローラーを自分の部屋のベッドのど真ん中に置く。腹筋をした日、カレンダーにチェックをつける。
(やらないとと思うはず)

・YouTubeを見過ぎない
→タイマー制限アプリにて強制ロックさせる。

・「自分の昼ごはんの食器下洗いしてよ!」と妹を怒らせない
→洗ってなかったら五百円あげると宣言する
(洗わなきゃと意識して、忘れないはず)

はい。こんなもんかな。
スマホはロックせんのか!と思われるかもしれないが、そこはやっぱ甘えさせてほしい笑

いつまで保つかな。
継続しますように。

次!

2、なんや、自分、『やりたいこと』分からんのんかいな

「別にやりたいことないんだよねぇ」。
大学時代に飲んだ友人がタバコを吸いながら、みんな言っていた。
ちなみに、体に悪いから僕は吸わない。

中には「俺はあれがやりたいんだ!」
しっかり目標を持っている人もいるのだが、
僕のコミュニティーでは圧倒的少数派だった。

明確な目標がないと言う人は、
大体、名のある看板を目指して
就活を進めていた印象だ。

今、僕の同期は23歳、
つまり入社二年目に突入し、
「仕事を辞めたい」と口にしているのを
最近ではよく聞くようになった。

「やりたいことこれじゃないって思っちゃうんだよね〜」「自分のやりたいことって何なんだろう〜」と多くの同期が言っている。

それに対し、ガネーシャはこのように言う。

◯本文引用

「なんや、自分、『やりたいこと』分からんのんかいな」
ガネーシャはふうとため息をついて言った。
「そうなんです。分からないんです。自分のやりたいことが何なのか、分からないんです。だからずっと考えてきました。でもその答えは見つかっていません」
するとガネーシャは「厳しいこと言うようやけど」と険しい表情をした。
「そのままやと、自分、一生やりたいことなんて見つかれへんよ」
「え?」
突然の言葉に、僕はおもわず顔を上げてガネーシャを見た。僕は戸惑いながら言った。
「で、でも、いつかは見つかると思います。見つかるはずです。」
「いや、見つからへんがな」
「な、何で、そんなことが言い切れるんですか」
するとガネーシャは落ち着いた声で言った。
「それはな…自分がやりたいこと見つけるのに、一番ダメな方法でやっとるからや」
「一番ダメな方法…」
「そうや。やりたいこと見つけるために一番やったらあかん方法、それはな…『考える』ことや。机に向かってうんうん唸っとったり、自分のやりたいことなんやろうて漠然と考えたりしとったら、何も分からん。分からんどころかよけい迷うことになるで」(264頁)

これを読んだ時、僕自身、
「考えた結果なにも手が出せない性格」
であることから、
一理も二理もある指摘だと思った。

自分のやりたいことは何だろうという
問題を考えたことのない人はいないと
僕は勝手に思っている。

だからこそ、考えるな。というのは斬新な視点で、とても刺激的に感じた。

ガネーシャは「やりたいこと」を見つける方法についてこのように言う。

「ええか?大事なことやから繰り返し言うで。
やりたいこと見つけるための方法は一つだけや。それを『体感』することや」(265頁)

目の前のことに挑戦して、
実際に経験することが大切だ。

ということだ。

やりたいことが見つからなくて悩んでいる人に
勇気を与えてくれる指摘だと思う。

僕自身、思考停止で飛び込むということをやろうと思う。

うん。
次に行こう。

3、今から自分の『足りない』を満たしてみよか。

足りないとは、満足していないということだ。

僕自身、満足していないことなんて、
山ほどある。

それはいろんな願望があるということ
なのだろう。

ガネーシャによると、
これを満たす方法があるらしい。

ガネーシャの言い分はこうだ。

「満たされる、というのは、『一緒になる』ということなんや。たとえば、人から愛されていると感じる時。人を愛していると感じる時。自分の幸せ以上に相手の幸せを思う時。自分よりも大事なものができた時。それは全部、『あなたと私は一緒です』ということを表してんねや。一番分かりやすいのは恋愛やな。男と女がお互い足りない部分を補完して一体化するわけやからな。これもまた、今、自分がカレーを食べたのと一緒なんやで。足りないもんが埋められて一つになる。一つだけでは満たされないものが、何かと一緒になることで満たされる。分かるか?」(308頁)

寂しさ、不安、悲しみなどなど、
ポッカリと穴の空いた感情が
渦巻くのが人間というものなのだろうが、
人と会う時、みんなそれを上手に
隠しているのだろうと僕も感じたことがある。

病まない人なんていないのだが、病んだとしても上手に隠す人が中にはいる。

そうゆう友人の話を聞く限り、心の穴は、娯楽恋愛埋めようとすることが多いらしい。

ガネーシャの「何かと一緒になることで満たされる」にある通りだと思う。

さらに、ガネーシャはこのように言う。

『足りない、足りない』て思えば思うほど、家もお金も、自分から逃げていくんや。皮肉なことやろ

どういう意味なのか。

ガネーシャは続ける。

「ええか?話をカレーに戻すで。
自分は腹が減った。カレーを食べたい。カレーと一緒になりたい、そう思うわな。でも、カレーを手に入れるには何が必要や?」
「お金ですね」
「そや、お金や。で、そのお金はどないしたら手に入るんやった?」
「人を喜ばせることです」
「そやろ。人を喜ばせることでお金が手に入る。そのお金でカレーを買うことができるんや。けど、自分ごっつ腹減ってんねやで。腹減ってんのに、人喜ばせることなんてできるか?そんな余裕ないやろ。」
「はい。お腹がすいてたらイライラするし、難しいと思います」
「せやろ。でもな」
そしてガネーシャは言った。
「自分が足りない足りないて思てる状態ちゅうのは、まさにその腹が減ってる状態と同じなんやで」
「な、なるほど」
「そやからこそ、足りない、足りないて思えば思うほど、足りない状態から逃れることはでけへんのや。欲しがれば欲しがるほど、欲しいもんは逃げていくんや。自分が満たされてへんと、人を喜ばせることはでけへん。人に与えることがでけへんのや」(296頁)

極端な話をすれば、餓死状態の時に手に卵かけご飯を持っていたとしたら、僕はそれを人にあげられない。おそらく絶対。
与える余裕がないからである。

やはり、まずは自分が『足りない』と思う状態から抜けることが必要なのだろう。

僕の場合、いろんな場面で、
『足りない』を言い訳に考えることが多い。
「もっと時間があれば」
「コロナなんてなければ」

しかし、これは環境のせいにしている
言い訳なのではないかと自分自身思う。
これも、「足りない」という
気持ちの反映なのだろう。

「足りない足りない」と思っているうちは、
足りない状態から抜け出せない。

ならば、どうするべきなのか。
ガネーシャはこのように言う。

『おおきに』て感謝することや

これを見た時、「感謝ですか。」と
やけに淡白に感じた。
ありきたり過ぎる言葉なのだ。

ガネーシャはこう続ける。

「自分の中に足りんと感じてることがあって、そこを何かで埋めようとするんやのうて、自分は充分に満たされている、自分は幸せやから、他人の中に足りないことを見つけ、そこに愛を注いでやる。この状態になってこそ、自分が欲しいと思ってた、お金や名声、それらの全てが自然な形で手に入るんや。だってそやろ?自分らは、お金も、名声も、地位も、名誉も、自分で手に入れる思てるかも分からんけど、ちゃうで。むしろ逆やで。お金は他人がお前にくれるもんやろ。名声は、他人がお前を認めたからくれるもんやろ。全部、他人がお前に与えてくれるもんなんや」(297頁)

「取らんと欲する者は先ず与えよ」
という言葉がある。

利益が欲しければ、
利益を与えよということだ。

このガネーシャの言葉に置き換えれば、
「満たされたければ、満たせ」
ということになる。

しかしこれは、自分の心の穴を無視して、
他人に感謝を注げと言っているのだ。

僕自身よーく考えると、
これは結構難しい行動だなと思った。

「あーあ、暇だ。退屈だ」
「メンタルやられたー」
という時に、
「自分は満たされてるんだ」
「自分は幸せだ」と考え、
人に感謝しろというのだ。

いや、むっず。

難しいけども。

皮肉なことに、
そういうことを実行している人を想像すると、すごく幸せそうな人が連想される。

環境に言い訳せずに感謝している人は、
尊い人だと思うのだ。

日常的に感謝する。
簡単なようで難しいことだが、
実践していこうと思った。

これについては、僕自身実践してみたので、
体験談を述べようと思う。

この本を読んだ日、セブンイレブンにモンブランを買いに行った。めっちゃ好物なのだ。
店員さんにモンブランを渡して、会計をする。

僕の習慣として、お釣りを受け取って、レジを離れるタイミングで必ず「ありがとうございます」とお礼を言うようにしているのだが、この日、店員さんの目を見て言ってみることにした。しっかり感謝を込めて。

その日、おじいちゃんの店員さんだったのだが、僕が先に「ありがとうございます」と目を見ながらお礼をすると、向こうも目を見て、満面の笑顔で「ありがとうございました」と返してくれたのだった。無性に嬉しくなった。
それは普段見えなかった景色だったのだ。

ちょっと言語化しきれないのだが、
僕にとってはこれが「満足」なのだなと感じた。

小さなことだが、「感謝」を表す「行動」として、「ありがとう」と言うことを増やそうと思う。

はい。僕の自己啓発は以上である。

長々と自己満足な感想文を書いてしまったのだが、最後まで読んでくれる人はいるのだろうか笑

いずれにしても、読んだ人が何かを感じてくれたら幸いだ。

おっと、感謝を忘れそうだった。
読んでくれた人ありがと!

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