この場所で写真集を作ろう。
写真集「ここにある」 この写真集を作りたいと考えてから、5ヶ月が経った。
今、その時思い描いたものが形となった。全ての写真がタイトルにある通り、県営住宅内で撮られたもの、県営住宅内を映したもので構成されている。月に一回程のペースで撮影を行う。決してあらかじめ計画を立てていた訳ではなく、体が反応した時にだけ撮影を行なった。この写真集は、書店で発売されているものではない。完全に僕個人で作ったものだ。
私は躁鬱病という症状を持っている。医者からそう診断された。薬をもらったが使わないことを選択し、この一年自分の中の葛藤と日々向き合い生活をしている。その中で、自分なりの処方箋を調合してきた。日記、読書、料理、掃除…それぞれが葛藤、自分と向き合った中で自然と導き出された行動だった。今までなら、3日坊主で終わっていたものが、お腹が空いたから食事をとるように、いつの間に日常に溶け込んでいた。
この県営住宅に住み今年で8年になる。住み始めすぐに、外国人と高齢者の割合が多いことに気がつく。ただ、気がついただけで何も関心はなかった。半年後飛び降り自殺が起きた。一人暮らしの高齢男性だった。
いつもエレベーターホール周辺で遊んでいる4人の子供と仲良くなった。その4人は兄妹で、明るく活発で仲が良がよかった。ある日彼らが私の家まで着いてこようとした。名前をまだ知らなかった彼らに名前を聞かれた。当時高校一年だった私は、本名を教えると家を探られると警戒し彼らに対して偽名を使った。最初は、サンタクロース、次に妖精、妖精ではな事がバレ、最終的に知り合い君という名前で落ち着いた。彼らの友達が私を見て「知り合いの人?」といった事がきっかけだ。
ある日、一階に彼らの住まいがあるとのことだったので、玄関まで着いて行った。靴は散らかり、動物の独特の匂いが漂い、壁は一部剥げ落ち、呼び出しベルはテープで補強されていた。なんとなくだが彼らの生活感が見えた。
2021年4月。共益費を回収する係が回ってきた。各階一家族が一年毎の交代制で担当する。とある部屋に集金しにいくと、外国人らしき女性が出てきた。流暢な日本語で対応してくれた。
「すいません、共益費の支払いですが、今日中にお願いします」
「分かりました」
女性はドアを閉めた。その日お金を渡しに来ることはなかった。玄関には「NHKから国民を守る党」のステッカーが貼られていた。県営住宅の班長(住民のまとめ役のような)に話を聞く機会があった。その女性は旦那さんと、幼い子供2人の4人暮らし。どうやら最初のうちは支払っていたが、数年前から支払いを拒否しており、支払いが溜まっている。そのため県から、通知書を送ってもらう様にかけ合っている最中とのことだった。
私の中に言いようのない感情が込み上がった。
20201年4月、私は介護のバイトを始めた。その際、介護士資格を取る学校に通っていた。ある日、家を出ると、目の前に知らない高齢女性が立っていた。「何か用ですか?」と尋ねると、「ここ私の家じゃない?」とその女性は言った。
「ここは〇〇〇(部屋番号)私の家ですよ」
「あれ…。そっか。ごめんなさいね。」
その対応を見て私は、この高齢女性が認知症で徘徊をしていると考えた。介護の学校に行っていた事が功をそうし、落ち着いて対応する事ができた。会話をゆっくりと紡ぎながら家がどこにあるのかを一緒に探した。名前を知れた。生まれた場所を話してくれた。私の手を握ってくれた。笑顔を見せてくれた。
それが山口さん(仮)との初めての出会いだ。山口さんは私の一つ下の階に住んでいた。
旦那さんと、お孫さんと3人暮らし。玄関には、チラシお断りのステッカーが貼られていた。「近隣の人に迷惑をかけ続けている。申し訳ない」と旦那さんは言った。山口さんの徘徊はこの一回だけでなく、他住民から怒鳴られたこともあるらしい。
この状況を知れば、きっと他の住民の人も理解してくれるのにと私は思った。
私はそれから1ヶ月後の5月に手紙を書いてポストに入れた。友人から教わった「giveする心、見返りを求めるな」という言葉を心に持ち行なった。すると、その数日後、旦那さんと山口さんがカステラを持って会いに来てくれた。
「手紙をありがとう。いつでも家においで、お茶でもしよう」
旦那さんは笑顔でそう言ってくれた。帰り際、山口さんが「あの人、優しいね」と言っているのが聞こえた。嬉しかった。そして山口さんは私の事を忘れていた。
この交流が続くことを私は願って、月に一度手紙を書くことにした。6月、7月と手紙を書いた。
7月、エレベーターホールで旦那さんにあった。山口さんが入院してるとのことだった。
「私みたいな老ぼれが、あなたのような若い人とは話が合わないよ。」と言い残し彼は行ってしまった。私の中にぽっかり穴が空いた。
自分自身と向き合う一年間を経たことで、8年住んでいながら、初めてこの場所に"異変"を感じた。この県営住宅という密集した空間にも関わらず、それぞれが孤立しているきがした。他者に関心がなく、常に壁がある感覚。
私自身今まで他の住人にあまり関心がなかった。隣人の苗字が何かも知らずに8年過ごしてきた。しかしこの1年間で自分自身へ葛藤と向き合い、考え続けていたら、いつの間にか、他者の存在に目を向けていた。心が軽くなっていた。この自己体験を住民の人に共有したい。その思いからこの写真展を作るに至った。
写真を撮る過程で、幸せとは訪れるものではない気がした。幸せとは常に目の前にある。その幸せを切り取っていく作業はとても気持ちが良かった。この写真展が成功するかは分からない。私の中の成功は形にしづらい。だからこそ、これからも勤め続ける。
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