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サラリーマンは企業のリーダーを目指す「精子」ではない

大企業にお勤めの皆さん、社長メッセージや人事からの発信でこんな趣旨のことが社員に告げられることはないでしょうか?

「このたび我が社は人事制度を刷新し、次世代のリーダー育成のために若く有能な人材を発掘し、その貢献度に応じたポストを与えていく。
社員の全てにチャンスが与えられるようになるので、各自ベストを尽くしトップを目指してほしい。」

大半の人はこう思うでしょうね。
「自分には関係ねえや」
チャンスが与えられるのになぜ投げやりなのでしょうか?
今回はこのことについて話していきます。

「出世」がご褒美ではやる気が起きない

こうした人事制度に関心を持たない人はどんな人でしょうか?
どうせ結果が出せないからと諦めている人?
出世に興味が無いアウトロー?
そもそもやる気のない無気力人間?

それらも確かにあるかもしれませんね。
でもこれらはごく一部だと私は思います。
残りの大多数はこんな人ではないでしょうか?

頑張って上に上がっても代わりに仕事がきつくなるのが嫌な人
終わりのない出世競争に魅力を感じない人

こうした人たちには「出世」をエサに頑張ってもらおうとしても、会社が期待したようには頑張ってくれないのです。

やる気が起きない人たちは「出世」というご褒美にメリットを感じていない

「出世するために頑張るのに、なぜやらないの?」
そう感じたあなた、世間はそう考える人ばかりではないのですよ。

会社に入った目的が出世なのでしたら頑張るのは当然です。
ですがそう自ら言い切れる人は、まあ年々減っていくでしょうね。

何らかの使命感や達成感を求めている人。
こうした人は出世はエサにはなりえず、むしろ出世をチラつかせても現場から離れたがらないかもしれません。

それ以外のほとんどの人の頑張る理由は「幸福」を感じるためです。
この「幸福」は人それぞれなのですが、おそらく次世代のリーダーや会社のトップになることではないと思います。
昇進に伴う給料アップもほどほどで良いと思っているのではないでしょうか?

「寝太郎さん、そりゃあんたの決めつけだろう?給料はいくらでも欲しいに決まっている。だから出世したいと誰だって思っているさ。

違いますね。
それならなぜ全力で頑張らないのですか?
出世したいなら一瞬たりとも休んではいられないはずです。

なんで上、っつーかトップを目指さなきゃいけないの?

最初に挙げた社員へのメッセージに戻りましょう。
「次世代のリーダー」とか「トップ」とか、私はなりたくはありませんでした。
会社を好きに動かしていい立場なら楽しそうですが、バブル時代ならともかく最近の経営者にはあまり魅力を感じる人が見当たりません。
ムダに元気なおじいちゃんか、目の吊り上がったカリスマ経営者…

そんな感じの人がトップに立つのは良いとして、なんで私たちがそれを目指さないといけないんでしょうか?

「上を目指したくなければ目指さなければいい。」
それはそうですが、他に会社がご褒美を用意しなければその他大勢の社員たちはやる気を失っていきます。
会社がそれでいいのならいいですよ。
どうせお給料はもらえますから。

頑張りたくない人は頑張る人を内心バカにしている

ただ頑張らないだけならある意味「人それぞれ」ですが、そんな薄っぺらいダイバーシティごときでは済まない感情が存在します。
そうした点で頑張らない人たちは賢い人たちです。

会社が掲げる制度によるとトップに就くのは選抜に勝ち残ったたった一人です。
最後の一人になるまで正解を出し続けた人、多くの偶然の中で運よく最後まで岩壁の出っ張りを掴むことができた人。

断言できることは「経営能力が優れている」という視点で選ばれた人では絶対にないということです。
それなら入社後最初に出世コースからはじかれた人は「経営能力が劣っている」と見なされた人なのでしょうか?
合わない上司に当たったり、たまたま失敗が続いたりしたのではないでしょうか?

少々胆力があり、たまたま一番にトップにたどり着く人を「我らがリーダー」として担ぐことの滑稽さに気が付いているのが、頑張らない人たちなのです。

彼らから見たら、偶然だろうが評価が実態と合ってなかろうが、たった一人の勝者になるために頑張る人を冷ややかな目で見ています。

それはひとつの卵子を目指す無数の精子たち。
自分の遺伝子を残すために必死で泳いでいますが、精子自体に意志はありません。
人間が同じことをしているのが何とも浅ましく見えて、自分はそうはなりたくないと思っているのです。

将来のトップを育成するって、そんなに大事なことなのか?

優秀な人材を早い段階で選別して、育成していくことに注力するという企業は大企業には多いと思います。
ですがそうしたことは現トップ層の自己満足であり、何ら将来に寄与しないと思います。

「負け惜しみ」と笑われることを覚悟で言いますと、人物の器を測ることができる目を持った人はごくごく少ないと思います。
それは経営者や人事も同様です。
石田三成を見出した豊臣秀吉のような人は現代にはいません。

優秀な人材を見出し、育成して、期待通りの人物になってくれる保証はありません。
あまりにも不確かなことに大きな経費をかける経営判断は誤りだと断言します。

トップはどうやって選ばれるべき?

新たなトップを選びたいならば、その時公平な目で全ての人の中から選ぶべきです。
それでこそ常にチャンスが全ての人にあると言えるし、皆が常に頑張る動機となりえるのです。

「会社の言うことに従わない、やる気のないカスどもは無視して、従順で優秀な人材だけで経営を進める」という判断も経営者の自由です。
ですがベストな判断ではありません。
大半の社員にとって共感できる判断でもありません。

それでも会社はただの「精子」みたいな人間をトップに戴き続けるのでしょうか?
私たちサラリーマンはそんな受精レースには加わりたくはありません。

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