言葉にすることのはじまりは高校時代のクラブノートから。
最近noteを読んでくれている友人から「いつからそんな文章を書ける人になったの?イメージがない!」と言われた。確かに苦手な教科は国語と英語だったし、本を読むこともあまりないし、自分でも文章を書くイメージがない。
文章を書くというよりは、ただ感じたことや思いをできるだけ言葉にするという感覚でnoteはやっている。noteを始める前からその感覚は変わっておらず、振り返ってみると、わたしは高校生の時からずっと言葉にすることを意識している気がする。
青春部活っ子だった高校時代、部活の練習とは別にクラブノートという物があった。クラブノートとは、大学ノートにその日の振り返りや何かに対する想いを書いたりする物だった。
わたしはこれを3年間1日1ページ以上毎日続けた。卒業する頃には1000ページ以上、ノートは20冊近くになった。
クラブノートはどんなに疲れていても、どんなに沈んでいても、泣きながらでも毎日書いていた。朝練が始まる前、毎朝7時頃に提出していた記憶がある。
クラブノートは毎日先生が読んでから返ってくる。書いたことに対してコメントがある日もあるし、交換ノートみたいにノート上でやり取りすることもあった。
あとは仲間を大切にしなさいとよく言われていた。当時は人に関心が無く、その人の自由にしたらいいじゃん?という思春期真っ只中、ひねくれた考えだったので、仲間が悩んだりしていても気にかけることがなかった。でも、それをよく怒られていた。それに対してどんな考えもその子の自由だと書いたら「この薄情者が!!!!」と言われノートを投げつけられたりもした。
仲間を大切にしなさい
人は人の良いところをみて好きになり、悪いところをみて嫌いになるけれど、どんな人にも長所や短所がある。それを受け入れることも大切で、時にはぶつかり話し合うことが必要なんだよって言われたことを覚えている。
こうしてクラブノートを見返していると、高校生ながらに言葉にすることを大切にしていたのがよく分かる。あとは自分の性格とか、高校生活を送るなかで変わっていった意識とかも分かった。
今の自分の土台はここにある気がするし、継続して何かを続けることや文章を書くことがそれほど苦ではないのは、このクラブノートがあったからだと思う。
それでは、また
もーにんぐ、か
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