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ショートショート:寂しい夜

 右手が重い。指に食い込むビニール袋。
 時刻は深夜二時。この丑三つ時が怖いと思わなくなったのは、いつからだろう。
 住んでいるアパートから三番目に近いコンビニを出て、街灯の明るい道を歩く。寒い。寒いけれど、昼間の寒さとは違う。まとわりつくような寒さではなくて、吹き抜けるようなからりとした寒さ。きっと吐息は白いのだろうが、マスクに遮られて目には見えない。

 それにしても、夜とは、こんなに明るいものなのか。
 半月より少し太った月が、さんさんと輝いている。月に対して「さんさん」という表現は相応しくないかもしれないが、それでも、「さんさん」と言ってしまいたくなるような月だった。
 月と街灯のおかげで明るい夜道は、怖いという感情から遠くかけ離れていた。夜が怖いと泣いた幼い日々は幻だったのか。

 右手が重い。
 左手に持ちかえた。ビニール袋のなかの缶ビールが、薄いビニールとスウェット越しに太股に触れ、冷たい。
 私は早く帰りたかった。

「先輩?」
 すぐ後ろから声をかけられ、ぎょっとする。振り向くと、後輩が立っていた。どこから来たのだろう。さっきまで、誰もいない道だったのに。
 それにしても、こんなところを見られるなんて。誰にも会わないだろうと思っていたのにあまりにも想定外だ。

「これから宅飲みですか?」
 彼はちらりと私の左手にあるビニール袋に目をやった。半透明のそれからは、数本のビールと乱暴に詰め込まれたつまみが透けていた。私は曖昧に
「まあ、そんなところ」
 と答えるよりなかった。
 だって、言えない。
 夜中にふと目を覚まして、妙な寂しさに襲われ、その勢いのまま家を出たなんて。そして、帰って寝るのも億劫になり、ひとりで深夜の晩酌をしようと思っているなんて。
「良いですね、宅飲み。ゼミの方たちと?」
「そうね」
「へえ!」
 これ以上彼に踏み込んで欲しくなくて、私は軽く右手をあげ、その場を去った。

 アパートに着き、買ったものをテーブルに置いたとたん欠伸が出た。さっきまでは目が冴えていたのに。
 寝ても良かったが、よく冷えたビールが惜しくて一本だけあけることにする。
 窓を開け放し、夜を眺めた。
 よく晴れている。
 窓からは、細かい星と、細い細い三日月が見えた。

 細い三日月?

 私は缶ビールを持ったまま立ち上がり、ベランダに出た。
 間違いない、細い三日月だ。

 では、夜道で見たあの月は何だったのか。
 深夜に出歩くなど、慣れないことをしたために見た幻だったのか。
 否、あの明るさが嘘だったとは思えない。
 
 妙な気分のままビールを飲む。そういえばあの後輩は、誰だったか。なぜか顔が思い出せない。思い出そうとするが、ぼんやりとした輪郭しか浮かばないのだ。
 そもそも。
 私はテーブルにビールを置いた。
 そもそも、私に、気さくに話をするような仲の良い後輩などいただろうか?

 飲みかけのビールをそのままに、私はベッドに潜り込んだ。
 目覚めたときの妙な寂しさはとっくに失せていたが、今は妙な胸騒ぎ。
 やはり夜は夜、丑三つ時は丑三つ時、というわけか。







 


※フィクションです。
 昨日は新月だったそうで。





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