短編小説:熱燗の美味しい居酒屋にて
慣れない駅のなか、真日はそわそわとあたりを見渡した。待ち合わせの時間は過ぎている。改札を出たところで待っている、と言っていたのに、見あたらない。電話でもしてみようかとスマホを取り出したときだった。
「真日さん!お待たせしました!」
懐かしい声が聞こえる。そちらを向くと、手を振りながら小走りする親友の姿が見えた。真日はほっとして、小さく手を振りかえす。
「久しぶり!あーちゃん!」
「すみません、遅くなっちゃって」
「全然待ってないから、大丈夫!」
あーちゃんは申し訳なさそうに頭を下げるが、彼女の遅刻癖は今に始まったことではない。真日もそれほど気にしていなかった。
「じゃあ、行こうか!どこのお店?」
数分の遅刻よりも、これからあーちゃんと過ごす時間の方が大切だ。真日が促すとあーちゃんは歩き始めた。
「すぐ近くですよ」
あーちゃんが指差したのは、駅前の古びた居酒屋だった。
「ここ、見た目はアレですけどおいしいんですよ」
「へえ」
「真日さんはオシャレなとこより、こういう店が好きかなって」
「お、さすがあーちゃん!わかってるね!」
真日がそう言うと、あーちゃんは嬉しそうにはにかんだ。真日はあーちゃんのその顔が大好きだ。
真日とあーちゃんは、大学時代に知り合った。サークルの先輩、後輩だ。真日は1年浪人しているので、年齢でいうとふたつ違う。でも、家が近かったことや、好きな芸能人が同じだったことから意気投合し、歳の差なんて関係ないくらい仲が良くなった。真日は彼女のことを後輩ではなく「親友」だと思っているし、大学を卒業して住む場所が離れてからも交流は続いていた。
今日は今年のふたりの「飲み納め」ということで、観光も兼ねてあーちゃんの地元に訪れていた。
「そういえばあーちゃん、マキとは会ってないの?」
乾杯を終え、お互いにほろよい気分となったところで真日は尋ねる。
「全然会ってないですね。連絡もとってないですし」
ため息まじりにあーちゃんは言った。
「そうなんだ」
「マキ…、槇尾さん、元気にされてます?」
「あー、うん、元気にしてるよ。相変わらず大学で研究続けてる」
答えながら、真日は少し寂しくなった。
マキ、こと槇尾は、真日の幼なじみであり、あーちゃんの元恋人だ。あーちゃんも彼のことを「マキ」と呼んでいたのに、今では「槇尾さん」なのか。すっかり距離ができてしまっている。
真日とマキは、物心つく前から家族ぐるみの付き合いが続いていた。保育園から高校まで、ずっと一緒だった。同じ大学を受験して、マキだけ合格したとき、真日は躊躇うことなく浪人する道を選んだ。それが当たり前だと思っていた。自分はマキと一緒にいるものだと思っていた。
「そういえばこの前、大学の近くまで行ったんですよね」
熱燗を注ぎながらあーちゃんが言った。真日は驚いて顔を上げる。
「そうなの!?」
「前に真日さんが電話で『大学の近くに用事があって寄ったけど、全然変わってなかった』って言ってたじゃないですか。それ聞いたら、なんだか私も行きたくなっちゃって」
そういえば以前、そんな話をした気がする。無鉄砲なあーちゃんのことだ。やりかねない。
「わざわざ行ったのに、マキに会わなかったの?」
「だって槇尾さんがまだ大学にいるなんて知らなかったから」
あーちゃんは熱燗をぐいっとあおった。顔が赤い。だいぶ酔っているのだろう。
「会えるかなー、とか、ちょっと思ったんですけど。会えなかったっすわ」
「会いたかったの?」
「んー、まあ、どうでしょうね」
「あーちゃんって…、まだマキのこと、好きなの?」
真日は、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。赤い顔をしたあーちゃんはふふっと笑う。
「いや、全然。もう、良い思い出ですから」
「…そっか」
ぎゅっと、胸が痛んだ。
マキも、まったく同じことを言っていたから。
あーちゃんと仲良くなってすぐ、真日は彼女をマキに紹介した。
真日にとって、マキもあーちゃんも大切な友だちだった。だから、そのふたりも一緒に仲良くなるべきだと思ったのだ。
真日の希望通り、あーちゃんとマキはすぐに仲良くなった。そして3人で遊ぶようになった。
そしていつの間にか…、あーちゃんとマキが付き合い始めた。
ふたりからその報告を聞いたとき、真日は純粋に嬉しかった。なんだか自分がキューピッドになったような、役に立てたような気持ちで嬉しかったのだ。
同時に、何かが痛かった。
漠然とした、負の感情があった。
もしかしたら私は、マキのことが好きだったのか。
真日は考えた。
ずっとただの幼なじみだと思っていたが、本当は別の感情を抱いていたのではないか。この痛みは、いわゆる「恋」なのではないか。
でも、どれだけ考えても、自分のマキへの好意は友だちとしての好意だとしか考えられなかった。恋愛感情などなかった。むしろ、マキとそういう関係になることを想像すると、嫌悪感が沸き上がって来るほどだった。それに、あーちゃんに対する嫉妬心のようなものもまったくない。
では、あーちゃんへの気持ちはどうだろうか。
あーちゃんのことは大好きだ。でもそれも、友だちとしての「大好き」なのだ。決して「恋」ではないのだ。
あーちゃんもマキも、真日を蔑ろにしたりはしなかった。ふたりの交際が始まってからもかわらず仲良くしていたし、3人で飲むことも遊ぶこともあった。でも、真日はずっと痛かった。苦しかった。
この気持ちが「独占欲」だと気付くまで、さほど時間は要さなかった。
真日にとってふたりは、とても大切で、近くにいることが当たり前の存在だった。ふたりの交際により、真日は自分の大切なものを奪われたように感じていたのだ。
真日もあーちゃんもマキも、友だちであることに変わりはない。でも真日にとって、ふたりはただの「友だち」ではなく、「いちばん近い存在」でなくてはならなかった。それなのに、ふたりともいっぺんに遠くに行ってしまった。そんな風に、感じていた。
だから、ふたりが別れたと聞いたとき、本音では嬉しかった。
またふたりとも、自分のもとに戻って来ると思ったのだ。
それなのに、何かが違う。
あーちゃんとマキがお互いに嫌い合ったり、どちらかに未練があったり、またやり直したいと思っていれば良かった。そうすれば自分が間に入ることができたはずだ。「よりを戻す」ということにはしないまでも、また「友だち」に戻れるようにするために一肌脱ぐつもりだった。元通り、仲良し3人に戻るはずだった。
それなのに。
あーちゃんもマキも、同じことを言う。ふたりともお互いのことを
「綺麗な思い出だ」と言うのだ。
思い出になってしまえば、自分は間に入れない。ふたりは真日の知らないところで「友だち」でも「恋人」でもない、「思い出」という関係になってしまっている。もう真日には入りようのない状況だった。ふたりはとっくに、手の届かないところに行ってしまった。
それが、とにかく痛かった。
「ね、真日さん、槇尾さんのことより、明日どこに行くか話しましょうよ!」
少し大きなあーちゃんの声で、真日は我に返った。
「…そうだね、そうしよう!」
真日は「恋」がわからない。
昔からだ。
自分の「好き」の感情が、いわゆる恋愛感情とは別のものだと気付いている。
だから、「失恋」もわからない。
どうして好きだったのに嫌いになるのか。大切に思っているのに会わないのか。ただの「良い思い出」にしてしまえるのか。
全然わからない。
あーちゃんもマキも、大好きなのにわからない。
熱燗をあおるあーちゃんを見ながら、真日はカシスオレンジを口に運んだ。なんだか、すごく甘ったるい。
ふと、あーちゃんの飲んでいる熱燗が気になった。
真日には、日本酒の味がわからない。
でも冬になると、あーちゃんもマキも「おいしい」と言いながら熱燗を飲んでいた。
真日はあーちゃんが注いだ熱燗をひょいっととると、ぐいっとあおってみた。
「ちょっとー、真日さん、私のっすよ、それ」
「…いいじゃん」
ああ、苦い。全然おいしくない。
―熱燗の味すら、私はふたりと共有できないのか。
苦い。喉が痛い。全部が痛い。真日はごまかすように、残っていたカシスオレンジを飲み干した。
「え、大丈夫っすか、そんなに飲んで」
「うん、大丈夫!」
真日さん、さすがっす、とあーちゃんが笑っている。
ふたりだけの綺麗な思い出、じゃない。
今だけは、あーちゃんと独り占めしたい。
ちょっとくらい、良いでしょう。
真日は再び、あーちゃんの熱燗に手を伸ばした。
※フィクションです。
ちなみに真日ちゃんは「よく晴れた真昼間に生まれたから真日」という設定があります。どうでも良いですね。
おそらくこれが2022年の「note納め」作品になると思います。
7月末から始めたnote、よく続いたなあ…。
2023年もよろしくお願いいたします!
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