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最近の記事

日本の芸術・文化における〈主客合一〉の傾向について ~『雪国』とシャニマスの共通点~

0.はじめに 池上嘉彦「日本語話者における<好まれる言い回し>としての<主観的把握>」において池上は日本語における〈主観的把握〉の傾向について述べ、日本語話者が事態に臨場するような仕方で物事を捉えている(=〈主客合一〉)のではないかという仮説を展開した。この論は非常に興味深く、特に「おわりに」で試みられていた、〈主客合一〉を認知的なレベルにまで展開し、それによって日本の伝統美術にまで言及する論は多少の飛躍を感じさせたものの、一定の説得力も感じさせるのである。本稿では、池上嘉

    • 遺伝子として生きるか、ミームとして生きるか

      以前投稿したものを大幅に加筆・修正しました。 人間には、文明のために生きる姿勢と、文化のために生きる姿勢の双方があるように見られ、多くの人間の中でその2つの姿勢は相反しながらも混ざり合っているように感じられる。そして、その2つの動機を支えるものはそれぞれ遺伝子と言語なのではないか、という仮説が私の中で立っている。以下からは、それについて詳しく述べたいと思う。 ■ 「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」 そう喩えたのは生物学者リチャード・ドーキンスである

      • 物語を批評するとき、一体「何」を批評しているのか?

        このような話題は私が書かずとも誰かがすでに精緻な議論を展開していそうだが、思考の整理として書き留めておく。もし類似の議論を行っている書籍や論文をご存じの方いたらぜひご教示ください……。 以下の指標は物語以外に対してもある程度適用可能だが、エンタメ的価値と倫理的価値がもっとも相乗りしやすいのが物語という媒体であるため、それに限定して話を進めている。 我々はしばしば物語作品を評価、あるいは批判するが、その際無意識的に特定の価値判断軸を通して作品を鑑賞し、その軸に従って価値判断

        • 「狂気のタックスヘイブン」としての創作

          先日私が書いた音楽ゲームの記事について、非常に熱いリプライnoteを頂きました。 私の作品なども引き合いに出して頂き、誠にありがたい限りです。 こんなに丁寧な返歌をいただけるとは思ってもおらず(そもそもあの雑noteをこんなちゃんと読んでもらえるとは思っておらず)、せっかくなので私もこれを受けてビビッときたことなど書いていこうかと思います。 kqckさんは上のnoteでダンスを客体的/主体的なものに分類しており、氏の「ダンスはMVである」といった論は客体的(視覚的)な側

        日本の芸術・文化における〈主客合一〉の傾向について ~『雪国』とシャニマスの共通点~

          いわゆる「音ゲー」じゃない音楽ゲームについてダラダラ語るだけのnote

          身内のSlackでダラダラとやった音ゲー語りをそのまま投稿します。 ここではビーマニとかポップン、太達みたいな「固定されたレーンに乗って譜面が流れてくる音ゲー」からは少し外れた音楽ゲームを取り上げてます。とはいえ私自身熱烈なゲーマー・音ゲーマーというわけではないので、ただの思い出話程度に読んでいただければ幸いです。 音ゲーUIといえば、やっぱ「グルーヴコースター」が革新的だった 筐体が置かれた当初は仲間内でちょっとしたブームになり、「グルコースやりに行こうぜ〜」っていいな

          いわゆる「音ゲー」じゃない音楽ゲームについてダラダラ語るだけのnote

          SNS時代の美的カテゴリー「エモい」「映える」「刺さる」を考える

          SNS時代に美的判断を表す「エモい」「映える」「刺さる」について考察した今年初め頃のメモ書きを放流する。以下、前提としてこの3語の背景を軽く説明する。 「エモい」は音楽用語から始まりここ数年で使用が拡大した言葉で、心の強い動き全般に広く用いられる。その性質からよく「言語化の放棄」としてバッシングされているが、ここではその存在を擁護している。 次に「映える」。「映(は)える」という言葉自体は古くから使われていたが「インスタ映(ば)え」などの語の登場により「映(ば)える」という

          SNS時代の美的カテゴリー「エモい」「映える」「刺さる」を考える

          倫理的主張を評価する際の指標の整理

          何か倫理的な議論をしようとか、倫理的な表明の評価をしようという時にその評価のモノサシを巡ってすれ違いが起きることがままあるな、と思ったので脳内の整理も兼ねてメモ。もしこの辺掘り下げてる書籍ご存じの方いたら教えて下さい……。 私が考える限り、倫理的主張にはまず2種類存在する。その2つをここでは「理念的倫理」「実践的倫理」としたい。以下で説明する。 まず、人類が目指す理想的な世界を考えたとしよう。素直に考えれば、それは「全人類が幸福な状態」とかだろうか。しかし、この「全人類が

          倫理的主張を評価する際の指標の整理

          同人音声スタディ -耳かきボイスはVR-

          「同人音声」という概念がある。同人音声とは、要するにオタクがオタクのために作った音声作品のことで、声優がボイスドラマやASMRを収録したようなコンテンツを指す。 具体的にどういう作品があるのかは、DLsiteのページとか見ていただければと思う。(だいたい試聴できます。) 数多ある同人音声作品だが、最近は特に「バイノーラル録音された、視聴者を中心としたロールプレイを含む音声作品」がその大きなメインストリームになっている。なので、このnoteではさしあたり上の定義を中心にして

          同人音声スタディ -耳かきボイスはVR-

          ツユ『過去に囚われている』のMVを観る

          ひと目見て、めちゃくちゃ語れるわこれと思ったので語ります。 ▼全体構成セーラー服を纏った少女を主人公としたMV。主人公の少女(黒)は今に絶望していて、栄光を手にしていた過去の自分(白)と比べてしまう……という構成。表主人公(黒/現在)と裏主人公(白/過去)の対比が大きなテーマとなっている。全体として歌詞を丁寧に回収したMVで、水たまり、あくび、飛行機など歌詞の具体的な場面がMVに落とし込まれているのも特徴。 ▼色全体としてグラデーションを持たないフラットな配色で、色数はか

          ツユ『過去に囚われている』のMVを観る

          ヒプマイについてダラダラ語るだけのnote

          身内のSlackでダラダラとヒプマイ語りしてたら4000字くらいになってたのでそのままnoteに投げます。 私自身めちゃくちゃ熱心なヒプマイオタクというわけではないのですが、楽曲群を聴く中でかなりの発見と感動があったので、それをつらつらと綴っている次第です。映像とかサンプリングとか韻とかの話をしてます。 以下本編 ヒプマイって映像を作る上で素材がめちゃくちゃ少ないから必然的に立ち絵と文字をうまく組み合わさてやらないきゃいけないんだけど、その制約の中でカッコいい映像作って

          ヒプマイについてダラダラ語るだけのnote