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SFショート

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黄瀬が書いた、空想科学のショートストーリー
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#掌編小説

ほらいずん

ああ、沈んでしまう。太陽が。 広がる海の外がわ。 波は、その地点から発生して寄せてくる。 波は、その地点で産まれている。 他に発生源はないのだろうか。 考えてみよう。 † ないはずだ。 この海では、うねりも風もない。 それは、大きな液体が微動だにせず、 大地に張り付いている状態だ。 それは、この星が死んだ星だと、 痛いほど証左している。 冷たい星なのだ。 温度を上げる装置がイカれてしまって、 風も海流もない。 だから、 波は、あの地点から発生

車窓と海

 この列車の終着駅、ジュール・ヴェルヌ・ステーションが刻々と近づいている。  寝台列車ノーチラス号と謳う割には、その形状は在来の車両群と、さして変わらない見た目をしている。  氷海を切り裂く金属製のツノも、船長室、もとい車掌室に特注の巨大な円形ガラス窓は取り付けられていない。  反面、わたしにあてがわれた小さな部屋には、水槽を見物するための、簡素な、すきとおった円形ガラス窓がしつらえてある。  莫大な水槽の中を覗けば、海底にそびえたつ高山の山腹が眼前に見えた。  う

約束

 わたしは禁忌をおかした。 †  死んでから、5年。  人の一生は、思っていたよりも長かった。  待つことは覚悟していたし、約束していたから、  今日も、永い待ちぼうけを過ごす。  わたしたちの寿命は長くて20年。  わたしの寿命は18年。  妖精は、死してからが永い。  蝉の逆。  肉を失ってから、  地中、岩の向こうに降りて働く。  ヒトが征き着く場所とは異なる、  ヴェールに欺かれた、魔術の界。  天国でも地獄でもない、この世の理のすぐとなり

クロワッサン

「やっぱ月がないと、しまんないよねー」  窓のサンに身を乗り出して夜空を見上げていた君が云った。 「ほら、みかづき。見てよ」  君は頭をもたげて、わたしにうながす。  晴天の夜八時すぎの空には、鈍重な青が重なりあっていて平坦としていたが、  西の山あい、もう沈みそうにかたむく三日月が見えた。 「あそこだけ幕が破れたみたい」  たしかに空に切れ込んだ金色の弧線は、  幕の裏の光が漏れ出るようだった。  風がふきすさんだ、一瞬。  となりの君の髪がまとわりつい

映り込み

「君の目の色、わたしだ」  やたらと肉薄してきたと思ったら、唐突にそんなことを云うので、面食らってしまった。 「そんな顔もいいね」  なんて、追い討ちの様に囁きかけてくるので、ふいと目をそらして、両腕でぐいと遠ざける。 「そんなことしたって、ふたりの距離は変わらないでしょう?」  余裕をたたえたままの君の顔が、なんだか癪に触るので、  ずいと、目を見開いて、君の目を覗き込む。  ああ、なるほど、  瞳のうるうるとした鏡の中には、確かに、  自分だけがはっきりと

夜の魔法

 ホウキにまたがれば、そのまま飛んで行けそう。  都会の雑踏が、くぐもって聞こえそうなほど、高くへ。  そのまま、手元も、わたしを支えるホウキさへも見えないほど、暗い場所へ到達すれば、  もうそこは宇宙で、  どこまでも無限に広がっていて、  わたしは限りなく、飛ぶことへの喜びを、  知らない場所へ行く好奇心を、  新しい星を見つける知的探究心を、  永遠に、悠久の中で感じ続けることができる。

自転車

夏の光輝でたしかな陽光は、古い灰色のアスファルトの舗装を、真っ白に染め上げる。   自転車は坂道に差し掛かり、どんどんと速度を上げてゆく。 対岸には山、そしてそのまま入道雲。 カーブミラーが眩しく反射する。 田舎だって、君がいなくたって、私だけの夏は、いつだってここにある。 そのまま丸出しの肌が、風を心地よくキャッチする。 髪は、あられもなく振り乱して、後方へ流れている。 電線を超えて、木々の影を抜けて、海へ。

未完

 真夏の色が刻々と君に落ちてきている。  たぶん、もう歯止めは効かないので、諦めて、夏色を湛え始めた君の横顔を見やる。  入道雲が浮かぶ、いつまでも深いままの空が凪いでいる。  君は浅くどこまでも遠い湖のほとりに椅子を用意して、そこに腰掛けて、髪を揺らして、詩を書いていた。  何を書いているのか、と気になって覗き込むが、気がついた君がぱっと手で覆い隠す。 「未だみせられない」  そう云うと、ぼくを肘でぐいと押しのけて、また、筆を持ち直す。  結果、君は死んでしま

初夏

 淡い色がだんだんと、濃淡で艶やかな情景に変わってきたと思ったら、もう初夏だった。 「日陰ができる様になった。ほら小道に入ろう」  昨日まで、その木々に覆われた道は、雨を防ぐための傘の役割をおっていた様な気がするが、果たしてどうだったろうか。  君と、陽を避けながら歩くこの小道は、もう随分と前から、  陽光に照らされて、木の葉の端々からきらりと光のすじを通して、  ふくふくと光合成をして、私たちを覆っていた様な気がする。  一条の光輝な糸が、私たちを結ぶ。  雨粒が

翼が、欲しい。 あの夏の夜に飛び立てる翼が。 わたしだけ置いてけぼりをくった、あの夏の夜に。 まだ、君はいるだろうか。 まだ、君は笑っているだろうか。 また、わたしは間違えないだろうか。 ただただ不安で仕方のない憂を隠して覆う様に、 大きな翼がわたしの背に生えないだろうか。 包み込んで欲しい、あたためてほしい、 あの日まで飛ばせて欲しい。 夏の夜にそう思う。 夏の夜を想う。

水たまり

水に沈む。 目をつむって、体を丸める。 ごうごうと、水の鼓動の音が耳にへばりついている。 気泡がはだしに吸い付いて、こそばゆい。 時折、陽光が屈折を繰り返して、わたしのまぶたを突き抜ける。 雨の水たまりに入りたいとおもう。 マンホールより、ひとまわりくらい大きな水たまりであれば、 わたしの体はすっぽりと収まりそうだ。

海底

言葉の可能性を考えるなんて大それたことはわたしにはできない。 今日だって、君が沈んでいった街の上を船で行ったり来たりして、 昨日からの間に崩れた瓦の数とか、 くっきりと残る、あの日走らせた自転車のわだちをなぞったりして、 ただ、偸安に、一日を浪費した。 「ぼく、夢があるんだ」 なんて、あの日の君は自転車を漕ぎながら、 風に流される言葉を必死に紡いでそう云ったけれど、 その夢がなんだったか、わたし、もう忘れ始めている。 言葉って、案外、脆かったよ。 言葉って

混浴

「あめがひどい」 君が、水の滴る服をしぼる。 わたしは、君から受け取った傘をかわかしている。 最近住み始めたアパートの玄関で、ふたりでぬれねずみだ。 扉の向こう側の豪雨は、音だけになっても、そこに確かに厳存する。 「あなたがどうしてもというのなら……」 君が服を脱ぎながら云う。 てらてらと濡れた地肌があらわになって、艶めく。 「あたためあうのもいいと思うんだけれど」 君があくまで憮然と云いはなつ。 わたしは君の胸奥を透かし見ることができるので、 君が求め

落下

傘を穿つように、激しく振り付ける雨が、胸に響く。 道の縁に生える紫陽花も、雨にあてられて、幾度も首を上下させている。 眼下の水面にわたしの全身が映る。 真下からの姿見も悪くない。 自分が、梅雨の曇天に落下するように感じる。 傘をクッションにすれば、安全に雲の上に降りたてるだろうか。 もしうまくいけば、雲の上で、残りわずかの梅雨の間を過ごそうか。 そうしたら、梅雨の節が終わる頃、雲が霧散すると同時に、 わたしは快晴の空に生まれる。 愛しい夏に生まれる。