約束
わたしは禁忌をおかした。
†
死んでから、5年。
人の一生は、思っていたよりも長かった。
待つことは覚悟していたし、約束していたから、
今日も、永い待ちぼうけを過ごす。
わたしたちの寿命は長くて20年。
わたしの寿命は18年。
妖精は、死してからが永い。
蝉の逆。
肉を失ってから、
地中、岩の向こうに降りて働く。
ヒトが征き着く場所とは異なる、
ヴェールに欺かれた、魔術の界。
天国でも地獄でもない、この世の理のすぐとなり。
しかしわたしは、
ヒトと恋して、子を産んだ。
ゆえに永遠に立ち入れない。
けれど、ただひとつの救済措置がある。
恋をした相手が霊界に来るまで待ち続けられれば、
ヒトのあの世に連れ立ち、
ヒトの輪廻に加われる。
待てなければ……、
永遠によりどころのない、流浪の悪魔に成り果てる。
†
死んでから10年、ふたりはまだあの家に住んでいる。
君が大学の頃から借りている、家賃の割に広いアパート。
あの子は部屋をもらった。
君が書庫に使っていた四畳半。
二段ベッドの下がデスク。
煌びやかな王国。
幸せな家庭がある。
君の目許にはクマがある。
苦労をかけさせているなあ。
夢枕に立って、助けになってやれればいいんだけど。
死んで18年、ふたりは見晴らしのいいマンションに引っ越した。
君の事業が当たって、大忙し。
あの子は十八畳の部屋に篭りきり。
それか街に入り浸り。
無邪気に信じていた妖精の子どもは、
いたく現実的に変わっていった。
命日に、食卓の口数は少ない。
おとうさん、いい歳なんだからさ、流石にもう妖精だったなんて信じてないよね。
心配させまいとする、気遣いだったんだろうな。なあ、いつもごめんな、ひとりにさせて。
何も云わずに、部屋に引っ込むあの子。
すぐ死ぬってわかってたのに、なんで産んだんだよ。
わたしには聞こえるよ、あなたの声が。
自分より背の大きいこの子は、抱きしめようにもうまくいかなかった。
あの子の存在が、
証のためではなかったと、どうやって言い切れるだろうか。
妖精は女王を除いて母にはならない。
わたしには母であるということの覚悟も、時間もなかった。
それでも、この胸の中には、
たしかに何かが響いている。
浮ついた色つやだけの情などではない、
憐れみ、愛おしさ。
でもそれを、暖かい手を握って伝えることはできないのだ。
死んでから30年が経った。
あの子は所帯を持って遠くに暮らしている。
君は、またボロアパートに逆戻り。
ベランダにはカラカラに乾いた洗濯物。
それを路地から見上げるわたし。
もうずいぶん待ったよね。
先に逝って、
今も隣で励ましてあげられなくて、
あの子のこと、なにもしてあげられなくて、ごめんね。
変なお伽話を、本気にさせてしまってごめんね。
君はもう、そんな話覚えていないよね。
君が来たとき、そこで待ってるのが怖い。
待つのも大変。
だけど、生きる方が、何百倍も大変だ。
合わせる顔も、
かける言葉も何もない。
わたしはそろそろ征く、
見知らぬ遠い地へ。
羽もなく、姿を保つ力も、
もうほとんどないから。
「ちょっと、鍵もかかってなかったよ」
歩き出したそのとき、
振り向けば、あの子が来ていた。
「おかあさんのこと、世迷言なんて云ってほんとにごめん」
君は、老けてぼろぼろの顔で笑ってみせて云った。
「いや、お前が正しいよ。おとうさん、変な空想でもしてたんだ」
「違う」
すっかり大人の女になったあの子は云った。
あたしのことを見てくれないおとうさん、
あたしのことを残して死んだおかあさん、
ふたりのこと、恨んでたこともあった。
それでひどいこと云っちゃった。
でも、歳をとるにつれて忘れていったけど、
昔は、声も聞いた。姿も見えたんだ。
「これ見て」
おかあさんが残してくれた、まじない帳。
あたしが生きていくために、役に立つこと、書いてくれてた。
これぜんぶ、使えるんだよ? 信じられないでしょ。
「それに何よりこの名前」
瑠璃って、ラピス・ラズリのことでしょ?
ラピス・ラズリは『最強の聖石』。
妖精の国はどこの神話でも大抵地下にある。
自分たちの石の中で、もっとも力の強い石の名前をくれたんだ。
「なんで、育てられやしないあたしを産んだのかって、ずっと責めてた。
でも、本当はずっと支えてくれてたんだ」
あの子が、ふいにわたしを見たような気がした。
「おとうさん、忘れちゃだめだよ。
だってふたりは恋人なんだよ。
『二つの肉体に宿れる一つの魂』って云うじゃない。
おとうさんが忘れたら、おかあさんはいったいどこに帰るっていうの?」
そして君はペンをとり、記録した。
鮮やかに絵を描いて、物語を綴った。
その絵本は、少しずつ人々に受け入れられた。
それは、君とわたしと、それからあの子の家族の物語だった。
わたしは君の隣で思った。
待っている時間は、
ずっともっと長い方がいいな。
†
「お待たせ」
「待ってないよ、ぜんぜん」
あたりはずいぶん賑やかになっていた。
女王まで来ている。
「君は、変わらないね。あの時のままだ」
「これからは、一緒に変わっていけるよ」
川のような、雲のような白い流れが開き始めた。
「もう行こうか?」
「ううん、もうちょっと気長に待つよ。ほら」
ふたりでまた、世界に戻る。
「瑠璃をね、待ってないと」
*
KISE Iruka text 131:
Promise.
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