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SFショート

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黄瀬が書いた、空想科学のショートストーリー
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2020年8月の記事一覧

書きたくない

まれに、書きたくない、と思える日が来る。 そんな日は、わたしは、いろいろから解放されて自由になれる。 書きたくない時は、書かなくていい。 そう、文学の神様がささやく気がする。 書きたいときに、書きたいものだけを書けばいい、って。 そういうわけで、今日は書かないことに決めたのだが、 結局、書かないことに決めた、という文章を書いてしまった。 どうしたものだろうか……。 本末転倒なのではなかろうか。 結局、文学の神様は、わたしをこき使って、 文字を、この世界に、

 ブランコとは幼年期のわたしにとってどんな存在だったろう。  公園の中に、当たり前のように、そびえ立っている時もあれば、  そもそも、それがない公園もあったはずだ。  だけれども、  わたしたちは、人生で一度はあの遊具に乗り、  一般的な座り漕ぎ、はたまた、ちょっとアグレッシブな立ち漕ぎを嗜んだものである。  さて、わたしは今、あまりメジャーではない、  いわゆる『寝漕ぎ』をやっているわけだが。  云わない?いわゆらない?  そんな意見もあるかもしれないが、

車窓と海

 この列車の終着駅、ジュール・ヴェルヌ・ステーションが刻々と近づいている。  寝台列車ノーチラス号と謳う割には、その形状は在来の車両群と、さして変わらない見た目をしている。  氷海を切り裂く金属製のツノも、船長室、もとい車掌室に特注の巨大な円形ガラス窓は取り付けられていない。  反面、わたしにあてがわれた小さな部屋には、水槽を見物するための、簡素な、すきとおった円形ガラス窓がしつらえてある。  莫大な水槽の中を覗けば、海底にそびえたつ高山の山腹が眼前に見えた。  う

一条の雲

  飛行機雲が征く空は、なんだか君には似合わなかった。  殺伐、と云って差し障りないほど、なんにもない、  夏の暑さの上に、冷たく、横たわる、  ただ茫漠と広がり続ける、空に、  一条の細長い雲が伸びているのだ。  君は、その、たったひとりで流れる雲の真下に立って、  笑っているわけだが、  あっけらかんとした笑顔は、逆光で見えづらいけれど、  たしかに、君の美しさを体現して、そこに在る。  だからこそ、この、どこまでも究極的に空虚な空には、  似合わない

羽毛

 翼が生えた。  まさに、天使のような、純白で、ふわふわと気持ちの良さそうな、羽毛だ。  行きたかった場所がたくさんある。  さっと飛んでいって、さっと帰ってこよう。  いろいろな場所を、見て回ろう。  そう思い立って、まさに、立ち上がったのはいいのだけれど、  翼が重い。  そう、これが、この世のものでないように、重いのである。  たしかに、人間に翼が生えるという事態、自体が、  突拍子もなく、現実味もないのだけれど、  本当に、有り得ないくらい重いのだ

伍佰

 アルセーヌ・ルパンの孫が乗っていた、と記憶している。  日本語で、五百、を意味する、伊語でいうところのチンクェチェント。  その、黄色く、丸いボディが、わたしたちの眼前を疾駆する。 「あの車に乗りたかったんだ」  君が運転席で、云う。  わたしたちは、交差点の赤信号で、停車している。  君が、頑張って買った、黄色のチンクェチェント。  最新ではないが、ごくごく最近のモデルだ。  今、目の前を駆け抜けた、チンクェチェントは、ヌォーヴァ、と呼ばれる車だ。 「ど

花火

 火花が、暗暗とした夜の闇に、  燦やかに散ってゆく。  落ち着きがあり、かつ、どこまでも力強い、  線香花火の閃光が、  君の顔を、明るく、弱々と照らし出している。 「服に匂いがつく前に、しまいにしよう」  そう云って、君が、後片付けを始めてしまう。  わたしは、もう少しだけ、と、最後に線香花火をもう一本取り出して、  火をつけた。  そうしたら、君も、片付け始めた袋の中から、  一本取り出して、いそいそと火をつける。 「わたしも……」  そう云って

停留

 見上げる青空に、雲がいくつか、流れている。  風が強く、君の髪も、波のように流れている。  ざあ、と、木々がたなびく音。  君が、古い腕時計に、顔をしかめる。 「また止まった」  君は右利きだけれど、右手に腕時計をする。  左手の指で、軽く、筐体を叩いている。  時を操る時計でさえ、時の流れには逆らえないんだな、  と、少しおかしくなる。  この葉が舞うままに、留まっていて、  木々も、雲も、風の向かうままに、  固定されている。  一切の音がしない

薄情

「ふとして、太陽を思い出そうとしても、夜の月明かりの前じゃ、何も思い浮かばない」  君が云って、わたしに背を向ける。 「わたしって、わたし達って薄情だね」  振り返って云う。  なぜわたしまで、とは思ったが、  刹那、考えれば、たしかに、太陽の虚像を、  思い浮かべることのできない自分がいる。 「たしかに、薄情、だね」  わたしは、云って、  もう、めっぽう、めっきり見えなくなってしまった、  空の下、途切れた空の下に、移動した、  太陽を、見遣るように

星の海

君が見上げる先には何があるのだろうか。 と、今まで何度も思ってきたのに、いつも、確認せず、 いつかに、先延ばしに、しつづけてきてしまった。 今日は、あの日の、君だけの展望を、わたしの目に焼き付けるために、 天体望遠鏡を、かってきた。 のぞけば、よわい光が、ぼうっと明るく、みえている。 一寸ずつ、ピントというものを合わせ、わたしは、遠くをみる。 少しずつ、君の見上げた空を、望遠鏡の円に、入れる。 とは云っても、 そこには、無数の星々が、散在していて、 いった

旋律

君が弾くギターの音は心地よい。 アコースティックだからこその温もりもあるのだろうけれど、 ピックをつかわずに、指の腹だけで、 弦を撫でるその旋律は、 わたしの、琴線という琴線を網羅して、揺さぶる。 ただでさえ、君は美しいって、わたしは思っているのに、 そんな、美しく、艶やかな旋律を聴かされてしまったら、 わたし、 もう、どうしたって、 離れられなくなって、 しまいそう。

黄昏

「今日日、黄昏時、なんて時間帯は無くなった、って小説に書いてあったけれど、そんなの噓だったね」  君が、空を仰ぎ見て云った。  真昼のあたたかな感じも、夜に向かう寒々しい感じも、  どちらも、この空にはなくて、とても幽玄な景色だった。 「わたし、この時間の中に、永遠に閉じ込められていたい」  君がそう云って、わたしに背を向けた。  夕暮れが好きな君は、本当に、このまま、  この時間に縛りつけられてしまって、帰ってこないんじゃないだろうか、  と不意に、不安にな

真実

 わたしたちの夏は、雨からはじまった。  それも、とんでもない豪雨だった。  全てが洗い流されるような、虚飾を剥離するような、雨だった。  風はほとんどなかった。  雨は、横殴りになることもなく、ただ、ただ真っ直ぐに、  地面に打ち付けられていた。その音が煩かった。  雷が鳴っていた。幾度となく、閃光が、雨雲に輝き、轟音が落ちた。  家は震え、室内は、何度も明るくなった。  目をしばたたいて、一瞬にして暗闇に戻った、室内を、そこはかとなく見遣る。  黄昏時の

波際

 断崖の海岸線を散策していると、  崖と崖に囲まれた、小さな小さな浜をみつけた。  波打ち際は、狭い。  けれど、海は莫大だ。  自分が、額縁の中にいるような、  妙な疎外感と、ひどくちっぽけな感じがする――  しばらく、ぼうっとしていた。  渺茫たる、漠々たる海は、  そろそろ、夕に溶けてきた。  青の上に、紅が乗る。  波際に寄せる、白波が、  きらきらと、優しく、  わたしの足にかかる。  額縁の向こう側の、莫大な世界と、  ちっぽけなわたし