遠くの親戚より近くの他人?

分かるけれど、違ってもいる。


遠くの親戚より近くの他人は、果たして頼りになるのか…?

ふと、そんなことを頭によぎった。
なので、本日はこれをテーマに思っていることを綴ってみよう。


結論としては、時と場合、そして相手との関係性の構築具合などで決まるのではないか、とわたしは思う。


実際、わたしの親戚は役に立たないし頼りにもならない。
寧ろ、親戚は…モラハラ気質というか、パワハラ気質というか、そんな人たちしかいなかったと絶縁した今冷静に思う。

それに、頼りになっていたら、今のわたしは天涯孤独になんてなっていないから。笑


では、近くの他人はどうだろう?
これこそ、人(人柄など)、相手との関係性によるんだと思う。

例えば、わたしの体調面や、精神面であればお世話になっている医療従事者は頼りになっている。
この方々はもう長年の付き合いなので、わたしの癖や、人間関係の構築の仕方、適切な距離感を熟知している。
だからこそ、常にわたしの立場に立ち考え、時に一緒に悩んでアドバイスをくれる。
時に厳しい指摘もあったとしても、それは確かにそうだと納得もするし、腑に落ちる。


では、医療従事者以外の他人はどうだろう?

ここでは、就労移行支援関係を例に取り上げてみる。

利用者同士だと、所内だけで色んな話をするようにはなった。
そこで、相手の意外な一面も発見されるので楽しい。

しかし、頼りになるか?と言われるとどちらかと言えばNo寄りだと思う。

ただし、何かを共に行うという場面であれば、頼りになる、リーダーシップを発揮する利用者は確かにいる。
なので、No寄りではあっても、時と場合によるのだろう。


では、支援員だとどうだろう?

これも、正直、相性、関係性の構築がどれだけなされているか?による。
本気で役に立たない支援員も存在する。
(生理的に無理な支援員もいる)

就活の場面では、とても頼りになるということは実感している。
それはそうだろう。
就職する為に利用しているのだから、その本質の部分が支援できていなければその事業所はアウトだと思う。笑

では、その他の面はどうだろう?

例えば、わたしが辛くなった時に、わたしの話や思いをただただ傾聴してくれ、わたしとの適切な距離感を掴んだ支援員はかつていた。
この方がいた時は、本当に頼りになっていた。

今もいないわけではないのだが、この方並に傾聴し、どっしりと構えて向き合ってくれる支援員は…正直いない。

どちらかというと、無理矢理わたしとのこころの距離を縮めて関係性を構築できたと勘違いしている支援員がいたり…。
最悪だと思うのが、職場恋愛をしていようがいまいが匂わせあってる気持ち悪い支援員が存在している。

あとは、向き合うと口だけで本音は逃げ腰な支援員だったり。笑

その辺りは、こうやって綴りながら思ったことがある。

頼りにならないな、気持ち悪い。
人としてアウトじゃない??笑


そうか、わたしの場合はこうなのかもしれない。
綴りながら、答えが見えた気がする。

遠くの親戚より近くの他人は、確かに頼りになることはある。
けれど、近くの他人より、更に近くでわたしの立場に立って考えてくれる人がわたしの中では最も頼りになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?