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NOBU TOKYO「ブラックコッドのレタス包み」から”背景を差し替える編集”を学ぶ

今日は、僕が月1〜2回通うレストラン「NOBU TOKYO」の一皿から、編集者として何を学んだか、記録しておきます。

NOBU TOKYOについては、こちら。

https://www.noburestaurants.com/tokyo/home/

ここに出ているメニューの「ブラックコッドのレタス包み(Black Cod Bites on Lettuce)」が今日の主役です。

前菜として一皿目に出てくることが多い。ちなみにアラカルトオーダー。

まず、この料理を知るには、「銀鱈の西京焼き」に遡る必要があります。銀鱈以外にも西京味噌に漬け込んだ魚を焼いて、白米のおかずにするのは日本ではトラディショナルな食文化ですね。

NOBU TOKYOのオーナーである松久信幸(通称、NOBUさん)は、アラスカのブラックコッド=鱈を用いて、ロサンゼルスの自身の店「MATSUHISA」で西京焼きをメニューとしていました。

これを気に入ったのが、あの名優ロバート・デニーロ。デニーロは、NOBUさんの料理に惚れ込み、4年間をかけて、ニューヨークへの支店進出をきっかけとした多国籍展開をしようと口説き落としたという伝説があります。

デニーロのことを4年待つのでなく、デニーロを「待たせた」んですからね(笑) 

こうして世界に「銀鱈の西京焼き」がNOBUチェーンにより拡散されていくわけですが、西洋文化で育った人びとにもアピールできるように、いわゆる割烹・会席料理の店とは違う雰囲気の盛り付けになっています。

NOBU TOKYOの西京焼き。丁寧に骨は取り除いてあり、少し強めの柚子味噌で漬け込んである

こうしてNOBUの人気料理になった「銀鱈の西京焼き」をさらに再構築していったメニューが「ブラックコッドのレタス包み」。日本のトラディショナルな料理の、文化や生活の背景を模様替えする編集によって生まれたような一品ですね。

「西京味噌・箸・家庭や割烹・白米のおかず」という従来の付帯要素から、どう離れ、どう離れすぎないかの計算をして生まれた料理といえます。

NOBUさんの面白いのは料理人としての「ネタ」が食材だけでなく、既存の日本料理も「ネタ」になるというところ。これができるシェフがなかなか少ない。

NOBUさんは素材でなく、すでに完成され親しまれた料理の再解釈をして、ただの変わり種でなく、新たな価値を創造しスタンダードにできる人。今回の主役となる料理は、日本料理の「西京焼き」というネタを、どうグローバルに転換して、新価値を創造するかという挑戦の結果です。

背景が、主菜 -> フィンガーフードに変わっている。

銀鱈を柚子味噌で味付けして皿で出てきて箸で食べて、ご飯をかきこむ。いわば日本の伝統の主菜を、西洋人を想定してつくられたコース料理の最初の一皿のフィンガーフードに「書き換え」られているわけです。

フィンガーフードですから、客の満足・感動を引き出すには、最初にオーダーしているだろうシャンパンやカクテルとの相性も大事になりますが、レタスとカダイフ(揚ワンタンのようなもの)と干し杏にレモンを添えることで、それを解決しています。

伝統的にあるモノ・コト。その文化背景や伝統や儀礼などに敬意を払いつつ(※)、対象物はそのままに、別の視点・背景で見つめてみる。

(※)ここがいい加減でデタラメな食・音楽にはよく出会い辟易しますが。。。そして背景を変える編集・創作が目立つNOBUが誤解を受け、一部のオーセンティックな和食が好きな人が嫌われる理由でもありそうです。

それは編集においては定番なメソッドで、音楽活動もしている僕は「リミックス」や「カヴァー」において、何度も実践してきました。たとえば1950年代のリズム&ブルースの曲を、2010年代のダブステップに背景替えをしたり。最先端のダンスミュージックから、ビートや派手なシンセを取り除き、インディーバンドの雰囲気に変えたことも。

どこかをクローズアップして切り取ることで独自性をつくれるけど、一方で背景自体を変えてみるのも面白い結果を生み出すのです。

定番ながらこの思考法には常に可能性があるように思っていて、その理由は現行の社会・経済・文化の変容体系を見ると、トレンドや潮流や習慣は無限に生まれ、無限に改定され、やがて消えていくからです。

奇をてらいすぎてもダメ。
意外性が無いと、インパクトは生むことができない。
この塩梅がなかなか難しいところではありますが。

大事なのは、対象物=ネタが新鮮で高品質であること。そして、そのネタの特性を見定めて、どういかすことができるかと熟考することでしょう。

僕らのように記事を中心とした編集物を製作している際。たとえば、あるパーマカルチャーガーデンを取材するとして、そのガーデンのどの部分にフォーカスするかは考えて当然なんです。それが独自性・記事の価値を生むから。

でも、そのパーマカルチャーガーデンを、単に「パーマカルチャー」のいち事例として扱うのか。それじゃ、正直、あまりつまらないですね。

そこで背景・目線を変える。対象物=パーマカルチャーガーデンを白紙の中心において、空白部分の絵・色彩をいろいろ変えてみようと考える企画のつくり方です。

その背景・目線を変えるセンスは、そのヒト・モノ・コトのどこに魅力があるかというクローズアップの取捨選択のセンスよりも、今後は大事になってきそうな気がします。独自性あるコンテンツをダイナミックに生み出せるし、より難易度も高いし、場数を踏んで鍛えて得れるセンスですからね。

話がそれましたが、あるレストランの一皿にじっくり向き合う、味わう。そういった機会からも編集を学べる。というか編集を学ぶために僕は食べ歩いている。と、ただの遊びを仕事を用いて正当化しているだけかもしれませんけどね。

最後まで読んでいただきありがとうございます! よろしければチップや、仕事依頼もぜひご検討ください◎