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教師が本当にするべきこと

 先ほど、フレンドが付き添いで警察に居るというSNSの投稿を見た。中学校の教員時代、同僚が生徒の付き添いで裁判所に行ったり、生活指導の分掌だと警察に付き添いで行くというのは珍しいことではなかった。
 新学期の春には補導が1件もなかった学校で、生活指導の先生が仕事がないと喜んでいた学校でも、夏休み以降、転校生が入ってきてあっという間に荒れた中学校になり、生徒玄関に煙草の吸い殻が落ちていることもあった。
 その当時、腐ったみかんは伝染すると揶揄した管理職がいて、その言い方は良くないと批判を浴びたこともあった。
 そのため、2学期は毎晩10時過ぎまで生活指導や保護者の対応で朝7時から夜10時くらいまで教務室に居た。また、土日は部活で泊まりがけの遠征もあった。遠征では朝早く出かけるので、計算すると週に100時間くらいは学校の仕事をしていたのだ。
 一番大変だったのは印刷だ。私が勤務していた学校は1000名近い中学校も少なくなかったので、印刷室に1時間以上籠もって全校の生徒に配布物を印刷していたこともあった。職員会議には印刷の山を1セットずつ取って何十枚の印刷物を見ながら事前に読んでいないからそれをそのまま読む先生も少なくなかった。
 たかが印刷。1時間印刷仕事など楽で特に大変でもない、もっと大変な仕事もあるよ、と言われるかもしれない。しかし貴重な空き時間が潰れると夕方5時以降の仕事に教材研究の仕事がプラスされてしまい、その分、帰宅が1時間遅れるということもある。
 もう1つ、私は高校の教員からスタートしたこともある。大学卒業直後の高校では保護者会が先生が授業に専念してもらうために印刷の専門の方を雇ってくれていたので「これお願いします」というだけで教務室の机上に印刷されたものが枚数ぴったりに置いてあるという経験をしていた。だからちょっと贅沢な時代も経験したこともあってなおさら大変と思ってしまったかもしれない。
 私が出した問題と似たような問題が大学入試に出たと御礼を言いに来た生徒がいるくらい相当数プリントを作り練習問題をやらせた。大学入試は試験のスキルに重きを置いている限りはこういった繰り返しの問題を解くことは必須のことである。当時は夏休みの補習もお給料以外に保護者から手当が出た。保護者会のおかげで印刷の手間が無い分、教えることに注力できた。
 今、悔いがあるのは、入試問題なんかを解く技術だけを身につけさせるのではなく、もっと創造的な活動をさせれば良かったということだ。
 あんなに人生で1番「脳」が発達する時期に、創造性の部分を伸ばすことなく、入試に出そうな問題を繰り返し繰り返し解かせていたのだ。中学校でも書き順、漢字、古文漢文の暗記など。
 歯がゆかった中学校教員時代の出来事、それは、漢字のテスト問題はテスト範囲の教科書から出すのはダメと学校から言われてしまったことである。「漢字練習帳の中からしかテスト問題は出せない」と言う謎の決まりができたのだ。理由はテスト範囲の文章から出すと漢字の出題範囲が広がりテスト勉強が大変になるということだそうだ。しかし文章の漢字がわからなければ中間期末だけでなく入試で困ることだろう。そんなこともあってテストの成績が上がるようにとたくさん漢字の練習をさせ、印刷室に行って輪転機を回しプリントを作った。
 SNSには教え子でフレンドになっているケースもあるけれども、とにかく中間期末テストを丸暗記させるのではなく、どんな問題が出るかもわからない入試でも困らないよう、自分で勉強できるように自分では最高の愛を持って生徒に接した。
 前の学年の先生と比較して、中間期末に出る問題だけを教える方が良かった、という生徒もいたけれども、結果的には喜んでくれたようだった。けれども、それが未来に取って良いことにならなかったかもしれないと思うとすまない気持ちだ。

 脱線してしまったけれども、やはり教師は生徒が学ぶことに全力を注がなければならないと思う。教え込むのではなく生徒に色々なことを考えさせ学びをサポートするべきだ。そのためにするべきこと、それは教材研究であり、暗記させるのではなく、固定概念を押しつけるでもなく、新しい未来にサスティナブルに繋がる教育をアップデートすることである。
 そのために何が必要かというと「時間」である。生活指導は海外では教師がしない。部活も専門ではない教師が顧問を勤めない、というか、そもそも部活がない。保護者のクレームも教師は受けない。勉強を教える、そこが教師の仕事なのだ。むしろ不登校などは家庭に問題があるケースもあり専門の教育を受けた人でなければならないのだ。
 ではどうやって時間を作るかと言えば、やはりICT教育を行いDX化することである。これを言うと先生はそんなデジタル機器に頼らずにまずは対面重視だろうという人もいるかもしれない。
 でも逆に効率的にできることで時間が取れて対面の時間を取ることもできるのである。勉強内容ではなく勉強の方法について学校の勉強以外の学びなども含めた形で教えることも可能になる。
 米国の教師は飛び級のために学校以外で学ぶ方法を10通りも提案してきたと驚く保護者もいた。これも教員の時間が豊富にあることに起因するのかもしれない。プログラミング教育なども小中学校で数時間しか学ばないのところもあるようだが、家でのプログラミング教育方法についても学校で相談できたり、専門の先生が色々な塾などを一緒に探してくれるようになれば良いことである。
 フィンランドでは学校を出たらそこは先生の生活指導のエリアではない。保護者の管轄なのだ。日本は地震などの災害があった場合、生徒の通学路を教師が点検する。それが終わらないと学校がスタートできない自治体もある。では点検漏れがあったらどうするのだろう。教師の負担を軽くするためにも自治体や保護者がサポートするべきである。警察の付き添いなども専門もケアができる担当が良い。
 教師が学びに専念できるようにするために自治体や地域の企業、保護者などと学校が繋がって連携を取りグローバルスタンダードな学力を得ること、これは繰り返し述べてきた。少しずつは進化を初めているがまだまだなケースもあるようだ。
 教師が本当にするべきこと、それは生徒の「学び」に密接に関わること、そして応援することである。

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